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今日のラブレター | 板チョコとボンボン・ショコラへ。

チョコレート考


チョコレートの中に、射し込む、あるいは立ち込める、闇や蠱惑や、はっとするような可愛げや。大好きです。私はボンボンよりも板チョコ(bean to bar遭遇以降の文章です)に満足を授かることが圧倒的に多いのですが、これについて、心彷徨うまま考えてみます。

板チョコ。まず形状からして直球です。至るべき充足へスッ…っと伸び、我ら踏みしめるべき道かのようです。確かめたければどんどんと進めばよい、バリバリいただけばよい。遮る何物も無く、潔く明確であるという性質はなんという優しさでしょう。口に含めばズドンとわかる、原材料からの、私への誘惑のあるや無しや。

対しボンボン・ショコラ。なぜでしょう、「ボンボン?好きだよ♪」と拘泥なく言えません。容姿も整えられ会話もトピック豊富である彼らへ、なぜ。どうしても、しばしば生まれる小さなさみしさを思い出すのです。企てと彩りとメッセージの多きは、豊かさかそれとも濁りか、と。

いえ、会ったことはあります!憧れています。ボンボンが羽ばたく時の、あのえげつない風圧・衝撃に。

要素の複雑がすべてしっくりと座す時、それは、前に立つ人を跪(ひざまず)かせる絵画に等しく、又は綿密に仕組んだ華やかな靄(モヤ)の中に全て抱き込む香水の名作にも等しく。一瞥と・一嗅ぎと・一舐めは、同じ秘密に人を迷わせ得るのだと思い知ります。馥郁(ふくいく)への扉、余韻が構築する世界観の確かさ、身じろぎを躊躇(ためら)う程そこに在る、perfect world!!

…と、早口になる自分を落ち着かせつつ、つまり、つまりは。名画・名香・名ボンボンであるならば。【頻発する事象ではあり得ない】。

ボンボン然り、複雑な作為を編み上げることで成るクリエイションはきっと、「素材(自然)を活かす」という範疇が相対的に減っていきますから…、勢い「人の起こす奇跡。」というジャンルにならざるを得ないのではないでしょうか?干渉の仕方こそセンス&人智、けれど干渉をどばどば必然へ高められるとしたら、神ですから(結構神いるな〜とも思うわけですが)。

愛が愛が!愛が昂ったので、チョコ買いに。

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