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泥だらけ

泥棒
顔に泥を塗る
泥沼
泥仕合
泥酔




辞典で「泥」と引いてみると、ひとつも良い意味がでてこない。
その一文字で「けがす」「けがれる」「にごる」などという意味をも表わす、とあるから仕方がないのかもしれない。それだけ人間は昔から泥に悩まされた歴史があるのかもしれない。しかし、すっかり泥との交流が途絶え、整然と美しく整った街並みと人びとの生活にあって、いまさらながらに泥の功績を思えば、ひどい扱いといえるだろう。



土や泥を避け清潔と経済効率を求め発展してきた人間社会は、結局大地からの恩恵をも寸断し、自らの首を絞めていることを知らない。抗菌と名を打った商品が通常仕様となり、人間は自然界から自らを隔離した。土、泥には微生物や菌類が内在する。大地からの恩恵とは、つまりそういった微生物なのにだ。




人間が嫌ってやまない微生物と菌類は、実は人間の健康を司る者たちであるという。彼らは人間の内臓で消化や吸収システムをサポートするだけでなく、身体全体の炎症バランスをもとっているのだ。免疫システムを司るまさしく中枢回路なのである。愚かな人間は彼らと離別しアレルギー、うつ病、がんなど数知れない原因不明の不具合を生んだ。人間は、自分が菌や微生物に生かされていることを忘れてしまった。原因不明の不具合は、そういった健康の使徒たちをないがしろに扱った代償といえるだろう。



息子が通った保育園は、かなりファンキーだった。なにしろ朝から晩まで泥だらけなのである。わざわざ重機で大きな泥の山を園庭の中心にこしらえ、泥すべりを推奨するほどである。もちろん、子どもたちが躊躇するはずもない。保育士さんが良いって云うんだから仕方がない。いくら親たちが悲鳴をあげても、汚れた服の泥を洗濯するのが大変だと文句を云っても止まらない。




調子にのった我が息子。通勤前に子どもを送りにきた同じクラスのお父さんへ泥だんごをお見舞いした。頭のテッペンから足元までビシッとスーツで決めているお父さん。息子は当然ビシッと叱られた。後ほどぼくもコッテリ叱られた。大体藤堂さんの家は自由過ぎる、とご立腹。ごめんなさい。その通りです。




親はコッテリ絞られたが、どうやらその恩恵はあったようだ。毎朝のトイレラッシュは我が家族の健康の使徒が今日もお腹のなかで元気に活動してくれていることを示しているのだ。

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