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Xデザイン学校|リフレクション:#07 構造化シナリオ法

今年の5月から、UXデザイン知見強化のためにXデザイン学校ベーシックコースを受講しています。今回は第7回目、いよいよ講義も終盤です。
浅野先生から重要な回と聞いていたので、とても楽しみにしていました。

前回は、ペルソナのニーズを満たす「本質的な欲求」のための価値=“バリューシナリオ”を作成したところで終えました。
今回学んだのは、この“価値”に加えて、具体的なユーザーの行動=“アクティビティシナリオ”と、そこから想定されるユーザーが行う操作=“インタラクションシナリオ”の2つを加えたうえで、アイデアを詳細化する技法。
ここで抽象度の高い概念を具体的な思考へと変化させ、ユーザー目線に立ったサービスの課題を浮き彫りにして行きます。

アクティビティシナリオはドラマティックに

書き方のポイントはズバリ、利用シーンをナラティブ化すること。
私事ですが、幼い頃は作文を選出されたり、普段からfilmarksで映画レビューを毎日のように投稿していたりするので、文章を書く作業は好きな方。
なのでワーク自体はとても楽しかったのですが、そう上手くは行かないもので、1本/日の頻度で映画を観ているくせに、基本をすっかり忘れていた私は、とても簡素なアクティビティシナリオを書き上げましたw
違いは微妙ですが、起承転結が存在するストーリーとは違い、ユーザーの行動や考えによって筋書きや結末に変化を伴うのがナラティブ。
実装に依存しないアクティビティシナリオには、エモさが必要なようです。

インタラクションシナリオはペルソナになりきる

書き方のコツは操作の流れをストーリー化すること。
実装に依存するインタラクションシナリオは、アプリケーションの画面やUIを想定し、ユーザー行動の流れに沿った記述をする必要があります。
アクティビティシナリオがナラティブなのに対して、こちらは操作一覧であるため箇条書きでも良いと思っていましたが、恐らく5W1H(いつどこで誰がどのように)を意識するのがコツなのかなと思い至りました。
ただ、この時ペルソナになり切れていないと、実際ユーザーが利用する際こんな操作するだろうか?といったチグハグなものになってしまう。
今回、まさに私はこの部分を先生から指摘されました😅
アクティビティシナリオがしっかりしていれば、インタラクションシナリオは意外と簡単に産み出せるものなのかも知れません。

企画とは「あるある」に気付けるかどうか

講義の中で、作詞家・放送作家として著名な秋元康氏が例に挙がったのですが、翌日タイムリーに秋元氏のロングインタビューを取り上げたTV番組が放送されており、その中で自身は「0.1を膨らます方が得意」だと語っていたのは意外でした。
てっきり私はアート思考派だとばかり思っていましたが、秋元氏いわく「自分の周りで原石を見抜く力が長けていた人物は故・ジャニー喜多川氏」だったそうで、「自分は0を1にする能力は全くない」と言うのです。
では、その優れた企画力はどこから産まれるのか?と問われると、「すべて日々の何気ない遊びの中からアイデア化している」とのこと。
この話を聞いて、以前から浅野先生が仰っていた『何事にも興味を持って接すること』とリンクし、自分は日常の中に潜む”種”の存在に気付く能力が、現時点で備わっていない事に気付かされ茫然とするハメに。。
また、秋元氏は「隙やマイナス要素を入れる」ことで「取っ掛かりからストーリーが生まれる」とも語っていて、これも以前うかがった『雑味も大事』という言葉に共通するエピソードと感じました。

まとめ

学びとは、自分は何が不得意なのか、何を知らないのかを理解すること。

不得意な事は自覚できても、実際「何を」知らないのか理解出来ているか?と聞かれると、答えに詰まる気もします。ですが、この言葉を受けて薄っすら光が差し込んでくる兆しは感じ……るような気がしました。
というより、上手く前進できない歯痒さに救いを求めている、といった方が正しいのかも知れませんが、今回でUXの川は渡り切れずとも、せめて橋の袂までは到達したい。川で溺れてしまう事だけは決してしないように。
既にサンドボックスで派手なコケ方をしてしまってはいますがw

「悩む」ことは物事を複雑化すること、「考える」ことは物事を簡素化すること。いつまで経っても悩み続けている理由はどこにあるのだろう。
チーム内のアイデアがまとまっていない事が起因しているとは感じつつ、
悔いが残る学びで終わる事だけは何としても避けたいので、今一度、モチベーションを高めて残り3回(!)に臨みたいと思います。


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