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怪異を訪ねる【菅原別館】その五 完結編

 しばらく眼を閉じては、ふと眼を開く。その度に、部屋中に隈無く眼を向ける。此処は縫いぐるみや玩具に囲まれた異世界だ。これでは眠れるはずもない。心の中で、「わらしさーん」と呼んでみる。七割ほど開いた障子の向こうに、誰か居ないか意識してみる。しかし、気配は感じない。

 ゴトゴト・・・。

 廊下から音が鳴ったような気がした。廊下には共同トイレと洗面台がある。誰かが居てもおかしくはないが、深夜に耳にすると、そんな音すらも座敷わらしによる物音かと思ってしまう。宿泊者が少ないとはいえ、子供のような印象や霊的な気配も感じないので、恐らく誰かが歩いていただけだろう。私はそんな風に納得して、また眼を閉じた。
 それでも、定期的に身体を起こしては、カメラで部屋を撮影する。相変わらず、埃は写る。それ以外に不思議な点は見当たらない。何度かそのような動作を繰り返すうちに、浅い眠りに入っていった。

 (ふーん・・・。外が少し明るくなってきたか・・・。もうそろそろ夜明け?何か・・・。横に、美味しそうなお菓子があるなあ。赤色。たぶん、キャラメルコーンだ。普段は全く食べないけど・・・。悪い気はせん)

 朝六時半過ぎ。いつもの如く、旅先での寝付きが悪い私は、やはり早めに目が覚めた。

(あー。眠りが浅いけど、二度寝する感じでもないな・・・)

 睡眠時間は決して長くはなかったのだが、不思議と目覚めは良く、緑風荘に泊まった時と同じ感覚であった。
 私は少しボーっとしながら、辺りを見渡した。そしてキャラメルコーンを探す。

(ん?ああ、やっぱり夢か。そりゃ、自分でコンビニで買ったりしてないもんな)

 先程見た景色が夢であったことに気付く。しかし、どこか現実のような感覚があった。そこに人の気配はなく、声が聞こえたわけでもない。ただ、美味しそうなキャラメルコーンの赤い袋が傍らにあり、謎の幸福感を得た。一体、あれは何だったのか。

早朝の部屋

 すぐそこにあった不思議を回想しながら、座布団に座って一服する。テレビを点けて、普段はあまり知ることもない岩手県の朝のニュースを垂れ流す。
 話は逸れるが、旅の醍醐味はこのようなところにもあると思う。つまり、朝に身体を起こして、その土地のローカルニュースを吸収して新しい一日が始まるという、異国感にも似た情緒だ。
 お茶を飲み、簡単に菓子類を食べて時間を過ごす。写真も何枚か撮ってみた。部屋の机には事前に宿泊者アンケートが置かれており、チェックアウト前までに書くつもりで放置していた。感謝の気持ちをしたためる。そうこうしているうちに、時刻は七時半を過ぎた。
 そうだ、一階に降りてみよう。どなたかいらっしゃるかもしれない。スリッパを履き、二重扉を出て縫いぐるみだらけの廊下を歩く。階段を下りて、正面玄関までの短い一本の廊下を歩く。私の足音だけが響く。縫いぐるみや御供え物が置かれた玄関を改めてじっくり見学する。

廊下

(そうか、あと数時間でこの空間とお別れか、寂しいな)

 そんな名残惜しい感覚が湧きおこった私は、部屋に戻ろうと廊下を引き返す。丁度、スタッフルームに差し掛かった時、御主人が廊下に出てこられた。

「おはようございます」

 朝の挨拶を交わすと、朝食でサービスのコーヒーとパンを出して頂けるとのことであった。宿泊費用には含まれないサービスなのだそうだ。岩手県では有名な「福田のあんバターサンド」を用意して頂いているようで、数種類ある味のタイプから好きなものを選んで良いとのこと。

「初めて見ましたけど、大きいですねー」

「まあ、一番スタンダードなのは、あんバター味でしょうね」

 御主人の助言もあり、基本の味で定評のあるあんバターを選んだ。コーヒーを入れてから一緒に部屋に持って来てくださるとのことで、私は一旦、部屋に戻った。
 数分後、御主人が御盆にパンとコーヒーを乗せて部屋に持って来られた。ごゆっくり、との会話を交わして、また寛ぐ。岩手県内であればコンビニやスーパーで買えるというご当地パンは、味は如何なものか。

福田のあんバターサンド


 一口含んでみる。しかし、見た目通りの大きさに合わせた大口で頬張るしかない。うむ、甘さとバターのバランスが良く、ただの和菓子のようになってもいない。勢い良く食べてしまったが、お腹はしっかり満たされた。ボリュームがあり、私はすっかりこの福田パンのファンになった。どのお土産よりも、岩手県に来た際には、最優先で購入したいと思える一品として、記憶に残った。

 菅原別館のチェックアウトは十時までとなっている。この日は特に急ぐ予定もなかったので、コーヒーを戴きながら、もう少しこの空間での時をまったりと過ごす。時折、写真を撮ってみる。

朝の光が差し込む部屋

 もう、何かが起こることはないだろう。そのように思えるほどの朝の清々しさが、室内にも広がっていた。カーテンを開けた窓の向こうに映る盛岡の朝の景色には、白い雪がシトシトと降っていた。

 荷物をゆっくりと纏めていると、時刻は九時半を回った。そろそろこの部屋とお別れしよう。何かが写ることを期待するつもりもなく、想い出を刻む為に、改めて部屋の写真を撮る。自分は一年前に予約を取り、ようやくこの部屋に辿り着いたのだと、部屋を出る前にもう一度、感動を覚える。

静けさに包まれた朝の部屋

「座敷わらしさん、ありがとうございました。お世話になりました」

 心の中で御礼を言って、私は部屋を出た。
 一階の廊下へ降りると、女将さんがスタッフルームから出てこられた。朝の御挨拶をさせて頂き、チェックアウトを伝える。

「本当に快適で、楽しかったです。一年待った甲斐がありました。もう、盛岡は雪が降ってるんですね。」

「ありがとうございますー。雪はねえ、今年の初雪みたいでー」

盛岡は十一月の下旬で初雪が降った

 雪国を知らない私が、ふと思えば東北で初めて雪を見たのがこのときだった。同じ日本で、季節や暦が同じでも、土地が違えば景色の移ろいや表情は少しずつ変化する。そして何より、それは風習や伝説についても同じことが言える。だからこそ、怪異を訪ねて歴史を踏みしめることは止められない。

「下手な絵ですが、座敷わらしちゃんをイメージして絵を描いたので、貰って頂いて良いですか?邪魔なら捨ててもらって構いませんので(笑)」

「あら~!素敵な絵、ありがとうございます~。最後にそしたら、人形さんと玄関をバックにしてお写真、お撮りしますね~」

 緑風荘に続いて、またしても自作の絵を自己満足でプレゼントさせて頂いた。煮るなり焼くなり、破るなりして頂いて構いませんといった心境だ。そして、せっかくなので、御言葉に甘えて写真を撮って頂いた。

女将さんに玄関で記念撮影していただいた私

「本当にありがとうございました!お爺ちゃん、お婆ちゃんの家に遊びに来たような感じで、寛げました!またいつか来ることが出来れば、そのときはお世話になりますね。」

「こちらこそ~。ご満足いただけて良かったです。この後はどちらへ?」

「盛岡八幡宮に行こうかと思ってるんですけど」

「あーそれでしたら、この道を真っ直ぐ行かれると良いですよー。またいらしてくださいね。ありがとうございます~」

「はい!失礼いたしました!」

別れを告げた朝の菅原別館

 名残惜しいが、女将さんとの会話を終えた私は、一年越しの念願を果たして宿を後にした。去り行く私の背中を、女将さんは見えなくなるまで見送ってくれていた。私の身体に初めて降り注ぐ盛岡の初雪が、これから先の怪異を訪ねる旅に拍車を掛けて、「まだまだお前は初心者だ」と言わんばかりに後押ししてくれているように思えた。(完)

※訪問年月は二〇二〇年です。現在は、料金プランや旅館の様子は変化している可能性がございます。ご了承ください。

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