組織内で繰り返される心因性の求職者を防ぐには

#COMEMO #NIKKEI

「まさかのあの人が?」という言葉そのものが、心因性の疾患に対して、まだまだ周囲の理解が得れない世の中なんだろうなと。「周囲の理解が得れない」というと、まるで罹患者に原因がありそうだが、、、いつまでたっても自分事として不勉強故の不理解が当人も組織内にも根強くあり、その不勉強への免罪符な言葉が「まさか」だと感じる。

「心」って文字が持つ「人間ではなく神様の世界感」的な強さ・神秘性・不可解さがそうさせてるんだろうけど、あくまでも「脳」の不調なので。脳を持ってる人なら誰でも起こりうる話。

誰かの学びの報告を待っているより、自分で学びを深めれば「まさか」という機会も減る。

「心」って文字が持つ、「人間ではなく神様の世界感」的な強さがそうさせてるんだろうけど、あくまでも「脳」の不調なので。脳を持ってる人なら誰でも起こりうる話。

周囲からの「まさかあの人が」自分自身からの「まさか私が」、その「まさか」が新たな心療疾患者を生むし、復職を遠ざける。「まさか」なんて言葉は不勉強の現れ。現状把握できてないときの言葉。

結果主義になればなるほど、他人の仕事のプロセス、課程が見えなくなって「途中で助けてあげる、異変に気付く」ことが非常に難しくなってるなと。でだんだん他人のプロセス理解もしなくなる。

あなたの周囲にもいませんか?
・だれがどうみても仕事ができる
・つねに最前線で仕事してる
・お客様の前でも社内でも常に中心、前にいる
見つかりましたか?
では、あなたが「仕事ができる」という判断を下した判断軸は何ですか?

技術力?学習能力?マネジメント能力?
明確な言葉で「仕事ができる人」の定義づけできますか?
こうして他人のプロセスに興味がなくなると、合わせて組織の学習機会も減る。Aのプロセス、Bのプロセスを掛け合わせてCのプロセスを生み出す力も衰える。

具体的な判断基準が答えられなかった場合、「体力+精神力=行動力」だけで「仕事ができる人」だと思ってたり「結果論」だかで「仕事ができる人」としか判断できないのであれば、、、プロセスが見えない、いつまでたってもそうなる理由が見えないので、改善することもできない。

結果を求めるから結果のでてるプロセスだけ続けて、チャレンジャーが減る。

そうこうしているうちに顧客サイド、世の中が変化して、その変化についていけない顧客と自分たちで値段の叩き合いみたいな仕事ばっかり続く。


結局その「特別な人」を特別視して、ますます「仕事ができる人」に活躍の場を与え、仕事も増えていく。
「特別な人」なのでなんとかしてくれると思ってる。
たぶん、これまでもなんとかなっていたのでしょう。

ただそんな状況が続いていると、そうした仕事できる人もいずれその体力も精神力も枯渇するので「まさかあの人が、、、」と無責任なことを言い出す始末。。。

そしてまた同じように組織の中で「まさかあの人が、、、」を繰り返させる。

ある意味「仕事ができる人」というより「周囲から仕事ができると思われてる人」ほど危ないと思います。


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