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夜勤のとき早く電気を消してしまう職員の話し

施設の介護において、例えば、利用者さんに早く寝て欲しいからとフロアの電気を早く消してしまう職員はよくいる。
ケアとは言えない、ただの雑なアクションなんだけど。

でも電気を消しても認知症の影響で寝ない人は必ずいる。つまり成果が出ない。
自分の「早く全員寝て欲しい」という願望を「電気を消す」というラクな行為で達成しようとしているわけだけど、上手くいかないから、結局自分がイライラすることになる。
でも、やっている方は「夜は寝るのが正しい(という建前で、寝てくれないと自分がめんどくさい)」という根拠のもとに、それを達成するためのアクションとして「電気を消すだけ」というのは、ラク=効率的=得という感じで、自分のために良い選択をしている気になっているので、実は自分にストレスを増やす原因を作っていることに気づかない。
結果寝てくれないのでイライラして「早く寝てください!」とか言って利用者から反論されると、もっとイライラする。
怒られた利用者はより落ち着かなくなり、夜通し寝なかったりもする。
何一ついいことがない。

そしてもう一つ大きなストレスがある。
実は、電気を消しても寝ないだろうことはやっている職員にもどこかでわかっている。
にもかかわらず、寝たくない人を無理に眠らせるために電気を消す。
こういう、シンプルに言えば「人が嫌がることをする」というのは、利用者はもちろんだけど、実はやっている職員にもストレスを溜める。やっぱり、人が嫌がることを日々続けて何も感じないほど、人は鈍感で強くはないので。
ただ、前述した通り、自分はラクで得な行為をしていると思っているから、鈍く、薄く、広くせまってくる「人が嫌がることをしているストレス」を自覚することができない。
「だって仕方ないじゃん」「ここは施設だし」そういう理由で、ラクこそ正しいということにして思考と行動に蓋をしてしまう。

こんなことを毎日続けていれば、そんな仕事が楽しいわけないのね。たまたま上手くいったってその日ちょっとラクなだけで、上手くいかない日の方が多いし、「仕事楽しいよね」と思える要素は何もない。
楽しいことはないのに、嫌なことはいくらでも起こるので、結局退職に繋がってしまう。
自分が辞めなくても、そういう人が多い職場からは人は去る。結果自分が大変になる。
「前の方が良かったよね」「最近きつくなったよね」なんて話は、よく聞く話だ。

良いケアと書くと、利用者本位で、キラキラした理想論のように聞かれてしまうけど、そうじゃない。
自分が良い仕事の時間を得るために。ストレスを減らすために。良い職場・人材を維持していくために。自分のためだけを考えても、良いケアをするようにしたほうが、まず得なんだよね。
介護の理想論とかじゃなくて、自分のための、ものすごく現実的な話しなんだな。

でも、目先がめんどくさいの。
だから、めんどくさいに負けない。
大事なことは、だいたいめんどくさいの先にある。
家族だって、恋人だって、だいたいめんどくさい。でも大事にするのは、めんどくさいの先に大事なものがあるからで。

仕事も同じ。
というお話し。

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