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「ジェーン・エア」と「高慢と偏見」。


久々にハマった小説二作品を読み終わり、只今満腹、至福の至りでございます。同時にちょっぴりロスですが…


毎年決まって訪れる一月の私の誕生日には、日本のアマゾンから本を買って良いことにしている。海外送料は本の料金と同じくらい課せられるが、もうそれは腹を据えたというもの。

今年は、イギリス文学の王道に誠に遅ればせながら手を付けてみようと思いたち、ジェーン・オースティンの「高慢と偏見」、それからシャーロット・ブロンテの「ジェーン・エア」を購入、そして双方止まらず読みつづけた。

ああ、この二作品をこの2024年の冒頭に読んでしまって、あとの10ヶ月はどうしてくれるんだ。それほどに大物を一気に味わってしまった気分だ。


ここ数年というもの、私はネットフリックスで韓ドラばかりみていた。高慢と偏見も映画で観たことがあった。しかし原作を読んでみると、今さらながら本というものはいいもんだなーと思った。あのセリフとセリフの行間の描写が良い。ドラマでは役者、カメラマン、技術や演出家たちの努力によって視覚、聴覚として提供されている表現が、本では文字のみで提示される。それにより行間や表情や雰囲気の読解が読者の想像力にかけられている。


そして面白いことに、文字から状況を理解しようとすることは映像/音声入力よりもよほど脳を使うようだ。量的というか、脳のより広い領域を刺激されているような感覚。長い間小説を読んでいなかったおかげか、今回その感覚が良くわかった。ドラマを途中まで観て次を待てずにワクワクすることはあるが、本を読んで脳が興奮する感覚はそれよりもっと気持ちがいいことを思い出した。99歳まで元気に生きて毎日読書を欠かさなかったうちのおばあちゃんをみても、やっぱり読書は脳に良いはずだ。おばあちゃん、テレビのバラエティー番組の噂話も好きだったけどね。


さて、話は作品に戻り、文学好きな人のみならず、イギリスではそこいらの女の人のおしゃべりでも良く比較される、「オースティン派」と「ブロンテ派」。私はどちらも好きだった。自分の人生に取り巻いている現象に近いのはブロンテで、ちょっと憧れるエンターテインメントと芸術性ではオースティンだ。

音楽で例えるならモーツァルトかベートーヴェンか。絵画に例えるなら、モネかゴッホか。

一方は洗練された一筆一筆で見事に完成された万人に愛される芸術作品で、一方は鋭い光と暗を表現しているどこか武骨さを感じる作風だった。どちらがどっちかはご想像にお任せとして。この作品に対する男の人の意見はまだ聞いたことがないが興味がある。今度だれかに聞いてみよう。

さあ、このあとにはヴァージニア・ウルフが私のベッドの横でその時を待っている。しかしここはジェーンロス的な寂しさを抱えつつ、もうしばらくこの二作品の余韻を味わったほうがいいような気がしないでもない…。


最後にこの方の素晴らしい記事を紹介させてもらって終わりにします。ここまで読んでくださってありがとう。



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