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昨日のイメージを超えて、疲労が溜まっていく様子を眺めてみる

疲れているにも関わらず、活動がしたくてたまらなかった。うずうずした気持ちに負けて、カフェインを取ることにした。

ドーパミンを出すためにコーヒーを飲むのは、体に良くないと分かっていつつ、やめられない。

結局、尻拭いは自分ですることになる。後から遅れてきちんと疲労はやってくる。今そのことを思い出した。

絵を描くことが、なんとなく楽しくないなと思った。しかし、普段のわたしは絵を描くことが好きであるため、絵を描くことを楽しく感じないのは、おかしい。

カフェインで拭いきれない疲労が溜まって、頭がモヤモヤしているのだろう。毎度、自分の疲労に早く気づくことができれば良かったのにと思う。

自分の体の不調に気がつくスピードを上げることはできないのだなと思う。昨日だって一昨日だって、疲労を感じていたはずだ。しかし毎日、「想定以上、疲労が溜まっているな」と思う。

自分の体調のことを一番理解しているのは、私でありたいと思う。やはり周りから見て、他人の疲労はわからないことの方が多いだろうし、もし異変を感じても伝えてくれるかはわからない。

また、伝えてもらったとしても自分がつかれている事実を受け入れられない可能性も大いにある。

多少の不調や、無理をすることは仕方がないと思う。近頃の私は無理をすることができる程度には元気になっている。

以前の自分が想像つかないであろう成長である。素直にからだの回復を受け止めた上で、明日は無理にカフェインを取らないと誓いたい。

今日は久々に自分の時間を多く取れたように思う。休みであれど、気持ちが追い詰められた休日はほぼ平日であると感じるからだ。

今日は、良かった。部屋の壁に貼っているポストカードを貼り替えたり、絵を描いたりした。ゲームもできた。あらためて思えば、心が緩むことで疲労が垣間見えるのも当然であろう。

もう少しやりたいことをしてから、日記を書いて、今日はしっぽり眠りにつこうと思う。




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