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日本の常識が通じない💦

今回のテーマ:異文化体験
by らうす・こんぶ


日本の常識が世界の常識とは限らない。

ということは多くの人が理解しているだろう。でも、さすがにこれはどの国でも通用するだろう、というルールはある。暴力はいけないとか、人のものを盗んではいけないとか。

じゃあ、「時間を守る」はどうだろう。このルールが守られないと欧米的なビジネス社会も学校教育も成り立たないから、日本はもちろん欧米では常識として通用する。公の場だけでなく、友だちと会う約束やデートの約束などのプライベートな場でもこの常識は”ほぼ”守られている。遅刻の常習犯は少なからずいるが、大した理由もなく人を1時間も待たせたら相手は呆れて帰ってしまうだろうし、そんなことを続けていたら、社会的な逸脱行為と見做されて、社会人としてはやっていけなくなってしまうだろう。

だが、実はこれ、ご存知の方も多いかも知れないが、世界の常識ではないのだ。ラテン系の文化圏の人たちは時間にルーズ(日本人から見ると)なことはよく知られている。スペイン語に「Hasta mañana(アスタマニアーナ)」という言葉がある。これは「また、明日」という挨拶の言葉だが、場合によっては「明日までにやればいいさ」、「(今日のところはこれくらいにして)また明日やろう」、「明日できることは今日やらなくていい」のようなニュアンスになることもある。

30年ほど前、東京には意外に多く中南米出身の人たちが住んでいた。その頃東京に住んでいた私は、都内某所で中南米出身の人たちの会合があることを知り、興味津々で出かけて行った。もちろん開始時間に間に合うように。すると、だだっ広い宴会場のようなところに、主催者であるペルー出身の男性ひとりとその会合の世話役の日本人の中年女性だけがぽつねんといるだけ。他には誰もいなかった。

で、待てど暮らせど誰も姿を見せず、世話役の女性は「ラテン系の人たちはやっぱりねえ。。。」と私に対して申し訳なさそうに言い、私が「今日の会合はもう中止だろうな」と思い始めた頃、やっとポツリポツリと参加者がやってきた。それまで私たちは30分以上、もしかしたら1時間近くも所在なさげに待っていたのである。参加者のほとんどが中南米出身の女性で、日本人と国際結婚して日本にやってきたが、日本の暮らしにすぐには馴染めないのでお互いにサポートし合おう、というのがこの会合の趣旨だった。

このとき私は学んだ。ラテン系の文化圏では日本人の時間感覚は通用しないと。ラテン系の人たちと約束する場合は、時計を30分遅らせておくくらいでちょうどいい。

陽気なイメージがあるラテン系の人たちは時間にルーズでも、比較的真面目なアジア人は日本人と習慣や考え方がもっと近いだろう。よって時間にルーズな人はあまりいないだろうとなんとなく思っていた。

ところが、そうでもなかった。

ところ変わってニューヨーク。私は自分のオンラインプロジェクトでアジアの言葉を動画で紹介していた。アジアは言語の宝庫だということと、その一方で世界中の少数言語がどんどん消失している、もしくは消失の危機にあることを知ってもらうことが狙いだった。

あるとき私はモンゴル語のレッスンビデオを作りたいと思って、かなり一生懸命ニューヨーク在住のモンゴル人を探していたところ、涙ぐましい努力の甲斐あって、ようやくモンゴル人男性を探し当てた。その男性は自分が主催する、セントラルパークで毎年開催しているモンゴルイベントに私を誘ってくれた。そこで、またしても私は興味津々、嬉々としてイベントに出かけて行ったところ。。。

時間通りに指定の場所に行っても誰もいない。だ〜れもいない。猫1匹いなかった。リスはいたけど。。。セントラルパークはだだっ広いので、わかりやすい目印があるところ以外はあまり待ち合わせの場所にふさわしくない。私は自分が方向音痴であることを重々承知しているので焦った。「場所を間違ったんだろうか。せっかく招待されたのに遅れたら失礼だ」そこで、焦りまくって主催者に電話したところ、どうも場所は間違っていないらしい。しかも、彼はまだ会場に到着していないらしい。

で、結局のところ、場所は間違っていなかった。ただ、主催者も含め、モンゴルの人たちがやってきたのはイベントの開始時間より1時間もあとだったのである💦モンゴルの人たちと仲良くなったので、その後何度かさまざまなイベントのお誘いを受けたが、毎回、私が会場一番乗りで、それから三々五々人が集まりだし、やがて設営などの準備が始まる。イベントが始まるまで1、2時間、私はすることもなく待つのが常だった。

なんだかラティーノみたいだな。。。

あるとき、この謎を解く機会が訪れた。日本に留学したことがあり、流暢な日本語を話すモンゴル女性に、モンゴル人はなぜラテンアメリカの人たちのような、日本人の感覚からしたらルーズな時間感覚を持っているのか聞いてみた。間違ってもモンゴル人を非難していると受け取られないように注意しながら。すると、彼女の答えは次のようなものだった。

遊牧民族であるモンゴル人は厳しい自然環境の中でノマドライフを送ってきた。そのような生活の中では、急激な天候の変化などに見舞われて、自分の勘や知恵や経験を頼りに状況を判断して行動しなければならない状況に遭遇することがある。そんなとき的確に判断できなければ、家族や家畜の命を危険に晒すことになるかもしれない。自分で判断して臨機応変に行動することは時間を守ることよりずっと重要なのだ。

それを聞いて私は大いに納得した。日本はすっかり欧米と資本主義の価値観に覆われてしまって、時間を守らない人がいるといろんなことが効率よく回らなくなるから、時間厳守が社会生活の”基本のき”になっている。でも、「時間を守る」という常識はコンクリートジャングルに住む上で都合のいい常識であって、自然の中で、効率ではなく自然のリズムに従って生きていく人たちにはほとんど必要ないのだろう。



らうす・こんぶ/仕事は日本語を教えたり、日本語で書いたりすること。21年間のニューヨーク生活に終止符を打ち、東京在住。やっぱり日本語で話したり、書いたり、読んだり、考えたりするのがいちばん気持ちいいので、これからはもっと日本語と深く関わっていきたい。

らうす・こんぶのnote:

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