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郷に入れば郷に従え

写真: 旅行するオバタリアン(サンライズワールド社)

今回のテーマ:マナー
by 萩原久代

マナーは地方や国、文化圏などによって違うし、時代によっても変化する。アメリカで日本のマナー習慣は理解されないこともあるし、その逆もありだ。

その昔、17歳の私は1ヶ月ほどアメリカでホームステイをした。古い日本の「良い子」のマナーを教え込まれていた私は、色々と動揺した。空港に迎えにきたホストファミリーのお母さんは、初めて会う私に、まるで自分の子供に再会したようにハグにキス。さすがに挨拶にお辞儀はしないとは思っていたが、映画で見たような光景にびっくりした。

車でファミリーの家に着くと、今度はお父さん、同い年のキャシー、そして大きな犬がでてきて、犬も含めて全員からハグの嵐になった。早口で英語を話し、犬も英語しかわからなかった。「しっ、しっ!」と離れるように言っても、キョトンとした顔をしていた。ちなみにその犬への命令は、GOと言えば離れていくとキャシーに教わった。

到着した時間はすでに夜9時くらいだった。お母さんは、Are you hungry? Do you want something to eat? (お腹すいてる? なにか食べますか?)と聞いてくれた。けっこうお腹がすいていたが、すぐにYESと答えるのはハシタナイと思って、No thank youと遠慮した。そうしたらお母さんはOKとすんなり答えて、もう一度聞いてくれなかった。

日本で遠慮したら、「本当に大丈夫?サンドイッチとかどう?」とか押し戻しがあるはず。愛情たっぶり系のアメリカのお母さんはあっさりとOKだけで終わり? と17歳の私は困惑した。一度は遠慮するといった古いマナーを日本の母に叩き込まれた私は、結局お腹を空かせたまま眠った。

次の日、朝食も食器類もなにもキッチンテーブルに置いてなかった。え〜、この家は朝抜き?ニコニコ元気なお母さんは、「好きなものを冷蔵庫とここの棚から出して食べてね。分からなかったらキャシーに聞いて。」と言って、さっさと仕事に出かけてしまった。何度かFeel at homeと言っていた。つまり、自分の家だと思ってくつろいで好きにしてね、と。

遠慮の塊だった私は、キャシーがキッチンに来るまで待ち、彼女が食べるものを一緒に食べた。彼女は優しく、食べ物や食器などの収納場所を教えてくれた。でも、人の家のキッチンで勝手に戸棚や冷蔵庫を開けて朝食を用意することに慣れるのに数日かかった。しかし、背に腹はかえられぬ、郷に入れば郷に従えだ。

日本で大声で話すことは、一般的には良いマナーではないが、周りのアメリカ人はどこでも大声で話して笑っていた。声が小さめで口数が少ない私のことをYou are so quiet.とホストファミリーは言った。当時は英語がすぐに出てこないから静かだったが。。。

17歳の私は、気配りや遠慮に基づくマナーを尊ぶことを重視していた。それが日本独特のものか、とアメリカで初めて気づいた。アメリカで遠慮は必要ないのだ。自分の意思を持ち、状況判断の上で自己主張をすることの大切さを学んだ。大きな声で主張しないと誰も聞いてくれないということも悟った。

それからしばらくして、日本でオバタリアンという漫画が人気になった。1980年代後期から1990年代のことだ。オバタリアンこと小畑絹代は、無神経であつかましく、マナー無視ばかり。大きな声でズバズバと自己主張をして、自己中心な行動をとる。周りを翻弄させ、迷惑をかける。でも彼女は全然気にしない。(というか、気づかない)ただ、なんとなく憎めないキャラで笑いを誘った。

オバタリアンの自己主張の強さは、ある意味でアメリカ的だった。オバタリアンの発言や行動はアメリカでも受け入れられないものばかりだが、遠慮しないで大きな声で主張するという点はアメリカ的だった。当時の日本では、オバタリアンの図々しさ、型破りな主張や行動が新鮮だったのだろう。気遣いや遠慮をして生きる窮屈な雰囲気の中で、元気なオバさんの姿が受けたのかもしれない。

最近の日本のニュースを見ていると、そんなオバタリアンもびっくりのマナー無視や無神経な行動があるように思う。あおりや割込み運転、タバコやペットボトルのポイ捨て、SNS上のマナー違反もあるようだ。日本社会はマナーにうるさいと思っていたが、オバタリアンだって怒りたくなることがありそうではないか。

長いニューヨーク生活で大抵のことには驚かない私だが、東京に帰るたびにびっくり!のことがある。ひとつは、自転車のマナーの悪さだ。歩道を我が物顔で走ってくる。電動自転車が多いようで、スピードがあって危険極まりない。「歩道は歩行者のものでしょう!」と私はオバタリアンのように文句を言いたくなる。

二つ目は、普通に歩いているのにぶつかってくる人がいることだ。「おっと失礼」の一言もない。また、混んでる電車で車中奥から降りる人が、無言でぐんぐんと押して前に進む。急に後ろからどつかれることもある。「『降りまーす、ちょっと失礼。』とか言ってから動いてよ!」 私の中のオバタリアンが叫びたくなる。後ろからどつかれるのは嫌なので、なるべく奥に立って、駅の近くにくる度に、降りようとする人の気配をキャッチして自分で動くようにしている。私は声は大きくなったが、日本のオバタリアンになれないでいる。



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萩原久代
ニューヨーク市で1990年から2年間大学院に通い、1995年からマンハッタンに住む。長いサラリ
ーマン生活を経て、調査や翻訳分野の仕事を中心にのんびりと自由業を続けている。2010年
からニューヨークを本拠にしながらも、冬は暖かい香港、夏は涼しい欧州で過ごす渡り鳥の生
活をしている。コロナでそのリズムが狂ってなかなか飛べない渡り鳥となっている。

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