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時代のうねり、タコ社長の叫び

 小学生のころ、「チクり魔」と呼ばれる生徒がいなかっただろうか。

 念のために説明しておく。チクり魔とは、生徒同士でキャッキャッと楽しんでいるイラズラなどを、わざわざ先生に「チクる」ひとのことだ。

 たいていクラス内でも嫌われた存在で、その状態が彼/彼女を悪循環に追いこむ。どうせ嫌われているのだから、おとなしくしているだけ無駄じゃん。だったらみんなのイタズラを、どんどん先生にチクってやろう。チクチクチクチク…。そんな感じの、負のチパイラル…。

 そして成長するにつれ、私たちは周囲にチクり魔を見かけなくなる。理由はよくわからない。が、どうやら人間は年を重ねるごとに、チクるという行為へのモチベーションが下がるようだ。これすなわち、チクベーションの減退にほかならない。そのため私は、しばらく「チクり」の存在さえ忘れていた。そんなことをする人間がいるなんて、毛ほども考えていなかったのだ。

 しかしつい先日、私はチクり魔に出会ってしまった。それは、私自身だった。ほかでもない自分が、幼少期に置いてきたはずの「チクる」という行為に及んだのである。これについて記していきたい。なぜ私は、チクり魔となってしまったのか。誰しも己の内側に孕んでいるチクベーションとの向き合い方について、考えるきっかけになれば幸いである。

ブル、襲来

 1か月ほど前、私の家のポストになにやら箱が入っていた。心当たりはない。眉をひそめながら開封すると、箱の中には以下のような手紙があった。

拝啓 近隣のみなさま

●月●日より、この近所で家を建てるために、解体工事が始まります。つきましては、騒音などでご迷惑をおかけするかもですが、ご容赦ください。

●●住宅会社

 みたいな感じ。

 で、タオルも同封されていた。タオルには手紙の差出人と同じ名前がプリントされていた。

 なるほど…。よくわからないけど、近所の家を解体して、新築住宅が建つんだな。そうかそうか。めでたいことじゃないッスカ。別にわざわざ、タオルなんてくれなくてもいいのに。

 その時点での私は、おおむねそんな感じだった。しかし、いざ工事が始まって驚いた。解体される家は、我が家の目の前の住宅だったのだ。

 それから3日ほどで工事が開始された。襲来するブルドーザー。日中、自宅の1階で仕事をしていると、まるで地震のように家が揺れた。冗談ではなく、家ごとひっくり返るような揺れだった。なにせ我が家は、築68年の木造住宅である。おそらく「バールのようなもの」1本あれば解体が可能だ。目と鼻の先でブルドーザーが稼働すれば、家が揺れるのは当然である。

 うーむ、ちょっとさすがにしんどいなあ。

 毎朝、工事は8時に始まった。気ままなフリーランス生活を送る私にとって、朝の8時など会社員時代の感覚に換算すれば4時である。考えてみてほしい。毎朝4時に、家の根っこごとひっくり返されそうな衝撃で起床するのだ。たまらないほどつらかった。日中は眠たく、また、騒音が不快だった。

 ドガガガガガガガガガ…。ドガガガガガガガガガ…。

 1週間ほど経って、いよいよ我慢ならなくなった。ちょっと、これは先生にゆう!ぜったいにゆう! 私は自宅の2階に上がって、解体現場を睨みつけた。いったい、どんなことをしたらここまでの騒音を出せるのか。地面を揺らせるのか。頬を大きく膨らませながら、解体工事現場を見下ろす。

 するとそこには、額に汗して働く男たちの姿があった。まるでジョージアのCMだ。山田孝之。宇宙人ジョーンズではなく、首にタオルを巻いて働く山田孝之のほう。私は胸を打たれた。そうか、そうだよな。みんな、頑張って働いているんだよな。別にあの人たちだって、迷惑をかけようと思ってやっているわけじゃない。解体という仕事の現場がたまたま我が家の目の前だっただけで、彼らの仕事に水差すようなことをするべきではない。猛省した。もう二度と、「チクり」を思い出さないようにしようと心に決めた。

神主、祝す

 解体工事は2週間ほどで終わった。無事、我が家の目の前は更地となった。なんだか、私まですっきりした気持ちになる。ああ、これからここに家が建つのか。施主はさぞかし、ワクワクしているのだろうな。コンクリートジャングルに構える邸宅。郷里のおっかさんには、なんと話しているのだろうか。

「母さん俺、家買うんだ。東京に。建売の細長いのじゃなくて、注文住宅。信頼できるハウスメーカーだから、なんの心配もいらないよ。今度、親父と一緒に遊びに来てよ。新幹線のチケット、送っとくからさ」

 勝手な妄想を膨らませながら、更地を眺める日々が続いた。そして解体終了から1週間ほど経ったころ。突然、更地に紅白幕が張られた。自宅の1階で仕事をしている最中にその気配に気づいた。慌てて2階へと上がる。ブラインドの隙間から、こっそりと様子を伺った。

 紅白幕の周囲に、なにやら人が集っている。みな、どこかソワソワした顔付きである。施主や、ハウスメーカーの人だろうか。あとは、実務を請け負う工務店の人とか? ディテールはわからないが、とにかく儀式の様子を眺める。やがて、烏帽子を頭に載せた神主が現れる。めぇ~~~めぇ~~~、みたいなお祝い的な言葉を読み上げていく。それが終わると、人びとは去っていった。そうか、いよいよ本格的に、今度は建設作業が始まるんだな。私まで誇らしい気持ちになった。郷里のおっかさんに思いをはせた。どんな家が建つのか、勝手に楽しみになっていた。

タコ社長、叫ぶ

 やがて建設工事が始まった。鳴り響く作業音。しかし、解体のときほどではない。胸をなでおろす。これくらいなら、全然大丈夫だ。完成までの数ヵ月、問題なく耐えられるだろう。さて、仕事に取り掛かるか…。そう思ってパソコンと向き合った瞬間だった。閉めているはずのガラス窓を突き抜けて、男の大声が耳の中に飛び込んできた。

「てめぇ、ちげぇっつってんだろぅ!馬鹿野郎めが!」

 まぎれもなく江戸っ子の声だった。てやんでぃ。べらんめぃ。おひかえなすって。

 そんな感じのワードが、ポンポンと私の耳の届く。何事かと思った。いったい、誰が誰にこんな江戸っ子言葉で檄を飛ばしているのか。さっそく2階へ上がり、ブラインドの隙間から覗き見る。建設現場には首にタオルを掛けた中年男性と、金髪の青年が向かい合っていた。

「おめぇーはよぅ、なんべん言ったらわかるんだ!馬鹿野郎めぃ!」

「ちげぇって!そっちじゃなくてこっちだろうがぃ!ちきしょーめ!」

 中年男性が、住宅地のど真ん中で大声を張り上げる。ふと、誰かに似ていると思った。そして私は気づいた。タコ社長だ。『男はつらいよ』シリーズで太宰久雄氏が演じる、「朝日印刷会社」の経営者・タコ社長にそっくりなのである。


 この、いつも寅さんと喧嘩をしているタコ社長は、とてもエキセントリックな髪型をしている。たんに「ハゲ」と形容するには忍びない、とてもクールなヘアスタイルなのである。

 話を戻そう。建設現場ではタコ社長が、青年作業員をどやしつけている最中である。しかしこれが不思議と、どうも現代的な「パワハラ」っぽくないのだ。大声で怒鳴り、いまにも青年の頭をスリッパでひっぱたきそうな雰囲気こそ出ているが、なぜか2人の間には朗らかな空気が漂っているようにみえた。青年も青年で、「いやあ、まあそんなに怒らなくても。えへへ」みたいなテンションである。

 私は、まるで「古き良き」と形容される昭和時代の断片をのぞき見しているような気分になった。実際は、そうした「古き良き」っぽい世界観なんてものは過ぎ去った時代の美化でしかなく、労働環境や衛生・社会福祉的な面でいえば現代のほうがよっぽど生きやすいはずなのだが(詳しくは知らないけど)、それでもなぜか、タコ社長の怒り方は見ていて気持ちがよく、人びとが爆速インターネッツを覚える前の雰囲気を感じずにはいられなかったのである。

「なんで20センチなんだよぅ!30センチっつたろーが、馬鹿野郎めぃ!」

 相変わらず青年は怒られている。私は大声の正体がわかったので、とりあえずホッとして1階へと戻った。なんだなんだ、平和な工事現場じゃないか。ちょっと怒りっぽいけど、昔気質で面倒見のよさそうな親方。ちょっとドジだけど、頑張って働く青年作業員。そんな構図を勝手に作り出す。まあ、多少うるさくても数ヵ月なら耐えられるだろう。なんだかおだやかな気持ちで、パソコンと向き合った。

時代、うねる

 しかしそんな状態が、長くは続かなかった。タコ社長の大声が、さすがにうるさいのである。

「このやろーめ!」「ちげえって!」「そっちじゃねえっつってんだろ!」

 朝8時から夕方5時まで、断片的に続くタコ社長の叫び。

 私はだんだん、腹が立ってきた。最初は「古き良き昭和感」にうっとりしていたのだが、慣れてくればただのうるさい大声である。うーむ、さすがにちょっとしんどい。工事現場は、我が家から5mも離れていない場所にある。オフィスで例えるなら、同じシマの誰かが、朝から晩まで部長やら課長やらに怒鳴られているのだ。仕事に集中できるはずもない。ただでさえ集中力のない自分の頭が、まともに作動するとは思えなかった。

 うーむ、どうしよう。さすがに、言うかな?

 この時点で私の頭には、3パターンの解があった。

①直接、タコ社長に言う
②工事現場に、それっぽい手紙を置いておく
③施行会社に電話する

 ①の場合、あの喧嘩っぱやそうなタコ社長と向き合わなければいけない。「火事と喧嘩は江戸の花」である。しょせん東京のベッドタウンでしかない神奈川県出身の私が、東京の下町育ち(のはず)であるタコ社長と喧嘩になるのは避けたい。たぶん向こうのほうが慣れているし、仮にタコ社長が激昂した場合、我が家が「バールのようなもの」で解体される可能性だってある。賃貸の借主としてトラブルは事前に避けておきたいのでNGだ。よって、①は却下となった。

 ②はどうだろうか。正直、そこそこ効果はあると思った。とりあえずこっちの意図は伝えられる。「近所に自分の怒鳴り声で悩んでいる人がいる」とわかれば、タコ社長もおとなしくなるのではないか。しかしその更地、全方位をぐるりと住宅に囲まれているのである。深夜にそっと置き手紙をしたとしても、その犯人が私だとバレる可能性は大いにある。そうなれば、「タコ社長×バールのようなもの=我が家の解体」という悲惨な将来と向き合わなければならない。②も却下。ということは、③か…。

 しかし私は悩んだ。冒頭で述べたとおり、私は自分の人生において「チクり」を幼少期に置いてきたつもりだった。チクりってなんだか、真っ当な解決策が思い浮かばないから仕方なくする幼児的な行為で、いちおう住民税を納めているくらいの大人ではあるので、手を出したくないと思っていた。

 しかし、である。

 この自分が置かれた状況を考える。果たして、真っ当な解決策などあるのだろうか? 

 直接言う。ブブー。特急「バール発解体行き」の列車が走り出す。

 じゃあ、置き手紙。ブブー。「準急バール発解体行き」のスタートだ。

 うーむ、これはもう、仕方がないことなのかな。

 願わくば、「人と人の話し合い」みたいな、「感情と感情のぶつかり合い」的な、そんな感じのことをタコ社長とやりあい、いろいろ揉めたけれど、最後はあれよあれよと仲良くなって、住宅完成のあかつきには施主もまじえてみんなで大宴会、近所に飲み友達ができてアッハッハ、ができればいいのだけれど、あいにくこちとらデジタルネイティブ世代である。

 小学3年生のころにボーダフォンの携帯を買ってもらって以来、毎日まいにち爆速インターネッツと向き合い、コミュニケーションの3割程度を対面ではなく端末を使って生きて来た。

 これも、時代のうねりなのかな…。ふと、そんなことを思った。

 先ほど私が述べたような「古き良き昭和」であれば、おそらく私はタコ社長に対して「うるせーんだよ、てめぃ!」と言い、それに対しタコ社長がシャツの袖をまくりながら「こっちも仕事なんだから仕方ねーだろ、馬鹿野郎めぃ!」とやり返し、頭の周りにヒヨコが飛び回るまで2人でポカポカと殴り合い、翌日には互いにバンソウコウだらけの顔で「昨日は悪かったよォ」と肩を叩き合っていたはずだ。

 それがいいか悪いかはわからない。しかし令和の時代ではもう、上記のような流れはきっとないのだろうな、と勝手にセンチメンタルな気分になった。

 そして私は③を実行した。施行会社に電話し、タコ社長の大声についてチクった。電話を切る。1分ほどして、工事現場から携帯電話の着信音が聞こえた。タコ社長が電話に出る。

「……え? なんだって!? ……え?うるさい?そんなこと言ったって、仕方ねぇだろうめぃ!」

 おそらく施行会社から、タコ社長に電話がいったのだ。私は2階へ上がり、ブラインドの隙間からその様子を眺めた。タコ社長は首に掛けたタオルで汗を拭きながら、悲しい顔をしていた。さっきまでの叫びなど、まるでなかったような顔だった。

「…ったく、これも時代のうねりってやつかよォ」

 タコ社長のつぶやきが、窓ガラスごしに聞こえた気がした。


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