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精神科医療の理想と現実

最近、弊社に寄せられた同じような相談から、精神科医療の「理想」と「現実」について考える機会がありました。

相談者はいずれも本人のきょうだいです。本人は精神科に通院していますが、就労や作業所への通所など社会参加はできていません。親はすでに亡くなっており、きょうだいとも別居で一人暮らし。孤立した毎日の中、食事や保清もおろそかになりがちです。

「これまでも、状態が悪くなると1~3カ月間入院し、退院してはまた不規則な生活に戻り再入院……ということを繰り返してきました」と、きょうだいは言います。

病院からは「一人暮らしが難しいのであれば、病院が運営するグループホームに入居してはどうか」と提案を受けています。今は地域移行が推進されているとはいえ、受け皿は圧倒的に足りておらず、とくに首都圏では、グループホーム等への入所は容易ではありません。そのような中で、病院からグループホーム入所を勧めてもらえるケースは、弊社の立場からすると「恵まれている」と感じます。

頼りになる親もおらず、きょうだいも同居が難しい状況なのであれば、グループホーム利用も選択肢の一つになるかと思います。しかしきょうだいからすると、本人の病状が停滞しているようにも思え、「今の治療が合っていないのでは」「もっと他に良い治療法があるのでは」とお話しされます

たしかに、主治医との相性や処方薬の重要性はあります。しかし今は、「すごくいい」という病院を探すことが難しい分、「最悪」な病院に当たることも少ないように思います。そもそも精神疾患は「完治が難しい病気」と言われており、医療につながったあとは、いかにして「寛解(症状が一時的あるいは継続的に軽減した状態)」を継続できるかが重要とされています。

弊社の経験では、とくに以下のようなケースにおいては、病院や治療法を変えても劇的な快復がみられることは少ないです。

・本人が、すでにある程度の年齢(40歳以上)に達している
・未受診(未治療)の期間が長くあり、妄想など症状が固定化している
・精神疾患の病状以外に、本人のパーソナリティにも問題がある

このようなケースは短期間の治療では効果が分かりにくいため、「(治療を受ける前より)状態が悪化していない」ことが、治療効果の目安になることがあります。

そのため、病状の良し悪しに一喜一憂し、理想を追い求めて病院を転々とするよりも、主治医や病院職員に本人のこと(成育過程やこれまでの経緯、家族の状況など)を理解してもらいサポートを得ることのほうが、はるかに重要と言えます。

それでもきょうだいが、「もっと他の治療法があるのでは…」と考えてしまう背景には、情報の偏りがあるように思います。快復し自立した生活を送っている人や、長期ひきこもりから立ち直った人の話はメディアで取りあげられても、病状の重い方に関することは、語ることすらタブー視されています。

また、医療が飛躍的に進歩する昨今、精神疾患に関しても「画期的な治療法があるのではないか」と考えてしまうのも当然のことです。しかし、勉強熱心な精神科医や、海外事情に詳しい方に尋ねてみても、今のところオーソドックスな投薬治療が主流であることに変わりはないようです。

リアルな情報が届いていないことにより、「本人に治療を受けさせれば、あらゆる問題が解決する」「病院がなんとかしてくれる」と未だに考えている家族は、少なくありません。

表面に見える「理想」と、家族が直面する「現実」に乖離がある中で、本人をどう支えていくかは、非常に悩ましいところです。「もっと良い治療法があるのでは…」という家族の考えを否定するつもりはありませんが、転医や転院を繰り返した結果、前の病院(主治医)のありがたみに気づいても後の祭りです。

あれこれと理想を掲げる前に、まずは「本人の命を守ること」を最優先に考えてほしいと思います。それはすなわち「継続して医療につながること」であり、「衣食住含め、生活上の安心・安全を維持することです。そのための最善策は何か……ということをシンプルに考える必要があります。

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