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竹迫祐子の「絵本の魅力にせまる! 絵本、むかしも、いまも…」

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「魚の存在感に迫るクレヨン画家」加藤休ミ『おさかないちば』

 青光りする背に、ふっくら白い腹をした大きく立派なブリ。薩摩焼の黒い釉薬のような艶やかな体でパックリ口を開けている大層大きなヒラメ。鱗取りを使えば、それぞれにきらきらした鱗が景気よく舞い上がりそうです。 魚市場を描いた絵本はいくつかありますが、加藤休ミの『おさかないちば』(2013年・講談社)は一味ちがいます。  寿司屋でタイラギのにぎりを食べた男の子は、それがもとはとっても大きな貝で、魚市場に行けば実物が見られる。そう聞いて、お父さんと早朝の魚市場へ出かけることに…。

「怖い+可愛い化け猫・妖怪ワールド」石黒亜矢子『ねこまたごよみ』

 コロナ禍で、広く知られるようになった妖怪アマビエ。江戸時代の摺物には、肥後(現代の熊本)の海に現れ、6年間の豊作とともに疫病の流行を予言し、疫病の流行時には自分の姿絵を見るように託宣した、と紹介された妖怪です。災害や疫病など人知を超える災禍に見舞われたとき、古人は神力とともに、異界の存在を思い描き、納得したり慰められたりしたであろうことは想像に難くありません。妖怪や異形の絵と言えば、室町時代の「百鬼夜行絵巻」以降、江戸時代には曽我蕭白、鳥山燕石、河鍋暁斎、近くは『ゲゲゲの鬼

「美術の領域を超えて生まれる絵本」クヴィエタ・パツォウスカー『マッチ売りの少女』

 色とりどりのマッチの頭を擦りつけたような、パステルの跡が並ぶ表紙。これは、国際アンデルセン賞受賞画家、チェコのクヴィエタ・パツォウスカー(1928〜2023)が描いた、『マッチ売りの少女』(ほるぷ出版 2006年)。物語のパツォウスカー的解釈とも言える絵本です。  誰にもマッチを買ってもらえず、少女が裸足で寒い街をさ迷う一日。場面は、リトグラフの色面や鉛筆画等、異なる技法が生む、異なる「黒」で構成されます。落胆した少女がマッチを擦って幻想を見る場面では、抽象的な色の世界が

「鳥獣戯画と目玉のまっちゃんと……」赤羽末吉『おへそがえる・ごん』

 2020年は、赤羽末吉の生誕110年、没後30年。コロナ禍で当館が予定していた大規模な記念展は延期しましたが、唯一、静岡市美術館での開催は実現し、絵本の復刊とともに『絵本画家 赤羽末吉 スーホの草原にかける虹』(赤羽茂及著 福音館書店)や『赤羽末吉 絵本への一本道』(平凡社)など優れた評伝も出版されました。青少年期のことや、戦前戦中の旧満州(中国東北部)での暮らし、満州画壇での活躍など、画家のあまり知られていない一面や中国に抱く深く複雑な思いも紹介されました。展覧会や評伝で

「絵と釣りと、少年の夢そのままに…」村上康成『まっている。』

 コロナの只中、2020年の7月、村上康成の絵本『まっている。』が刊行されました。  男の子は魚が掛かるのを待っている。クモはトンボやバッタが巣に掛かるのを待っている。花はハチやチョウを、サンショウウオはアユを……。待っているのは、獲物ばかりではありません。セミの幼虫は土の中で時を、オオミズナキドリは海の潮が動き出すのを、シカの子は茂みのなかでお母さんを。そして、わたしは……。  予期せぬパンデミックで、否応なく留まること、待つことを強いられ、大いに困惑するわたしたちに、

「普通じゃない少年の夢と挑戦」きたむらさとし『ふつうに学校にいく ふつうの日』

 きたむらさとしの『ふつうに学校にいくふつうの日』は、「普通」って何? と考えさせてくれる絵本。  普通の男の子は普通の夢からさめて、普通のベッドから出て、顔を洗い、服を着て……。何もかも「普通」で、変わり映えのしない普通の日に、突然、全然普通じゃない先生が、蓄音機とレコードを持って教室に入ってきます。その授業は、音楽を聴いて、好きなことを思い浮かべ、それをことばで書くというもの。男の子は、音楽に追いつかないほどイメージが広がり、夢中で書き続けます。生徒たちのイメージもまち