突然ショートショート「雨と辞書」
雨の音を聞きながら目が覚める。朝日が差し込まないと、何とも起きた実感が湧かない。
私がトレーニングを始めてから、もう10年になろうとしている。
パジャマのまま朝食のグラノーラとコーンポタージュを食べて、顔を洗ってから歯磨きをしながら鏡の向こうに映る私自身を確かめる。
どこか眠気がまだ取れていないように感じる。
どこか彩度に欠ける窓の向こうを眺めながらトレーニングウェアへと着替える。
傘を差して家を出る。晴れていたら自転車を使うのだが、傘差し運転は危ないし、レインコートを着るのもめんどくさい。
今日は少し強い雨だ。雨粒がバタバタとビニールでできた傘の表面に打ち付けるのだが、その音が今日は大きい。
空気の湿った感じを肌で確かめながら歩いていると、歩道に本が落ちていた。
拾い上げてみると、とても重い。辞書のようだ。
雨に濡れてぐじゃぐじゃになった表紙を確かめてみると、どうやら英語の辞書であることがわかった。
中身は大丈夫なのかと思って開いてみると、雨に打たれ始めてから時間が長かったからなのか、複数のページが一つにへばりついてしまっている。
その姿はなんとも不気味だった。
もともとページいっぱいに並ぶ英文字。それらが複数枚に重なってしまっており、集合体恐怖症に似た何かを感じるほどの集合体を形成していたからだ。
どうにか一枚だけ開こうにも、辞書はページが薄いために破れてしまいそうだった。
誰かが思い出して拾ってくれることに期待して、私は辞書を植え込みの下に隠した。
ここなら少しは雨から免れることができるだろう。
ジムへ向かって再び歩き出す。少し、あの辞書が悲しく思えた。
(完)(675文字)
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