映画「アネット」と恋の自己顕示-スパークス観点でのアネット評
映画「アネット」を観終わった後、最初に思い浮かんだ言葉は「恋の自己顕示」だった。
「恋の自己顕示」とは本作の原案・音楽を担当しているバンド・スパークスが1974年に発表した4枚目のアルバム「Propaganda」の邦題である。
レオス・カラックスがこの邦題を知っていたとも意識したとも思えないが、私の第一印象は偶然にもこの邦題にマッチしていると感じた。
本記事では、スパークスが原案・音楽を担当している映画であるということを意識して「アネット」の感想を綴りたいと思う。
(以降、存分にネタバレがあるため、ご注意ください。)
ヘンリーとアン、そして指揮者
本作の主な登場人物はスタンダップコメディアンのヘンリー、その妻でオペラ歌手のアン、指揮者、そしてヘンリーとアンの娘であるアネットである。
「アネット」は元々、スパークスの二人がヘンリーと指揮者を演じ、アン役の女性をツアーメンバーとして加え、スパークスとしてオペラツアーを行うつもりでいたという。
そのためか、ヘンリーはラッセル・メイル、指揮者はロン・メイルのイメージに重なる部分がある。なんなら、彼らが1994年にリリースした「When Do I get to Sing "My Way"(麗しの“マイ・ウェイ”)」のミュージックビデオのイメージにかなり近いのである。
「When Do I get to Sing "My Way"(麗しの“マイ・ウェイ”)」のミュージックビデオの内容はこうだ。
観客から歓声を浴びる輝かしい歌手のラッセル、その陰に隠れて作曲を続けるロン、そしてその二人を支える美女クリスティ・ハイドン。
観客の人気を独り占めし、クリスティとも恋仲であるラッセルに対し、ロンは嫉妬し、ラッセルのようにステージに立ち歓声を受ける姿を空想する、そんな物語なのである。
映画「アネット」も、人気コメディアンのヘンリー、人気オペラ歌手のアン、そして日陰の指揮者(伴奏者)という三角関係となっており、この構図はそのまま「When Do I get to Sing "My Way"(麗しの“マイ・ウェイ”)」のミュージックビデオと同じだ。
このように比較すると、「アネット」は間違いなくスパークスらしい映画であると思えるのだが、映画「アネット」ではヘンリーが暴力的で男性性の強い脅威の存在として描かれていたので、そこはスパークスのイメージとはかなり遠い印象を受けた。おそらくそのキャラクター性はカラックスによる味付けなのだろうなと想定している。
自己中心的な二人の恋愛、そして破滅
アネットの両親であるヘンリーとアンは、2人とも表現者ということもあり、自己顕示欲の強い、自己中心的な人物として描かれてる。
わかりやすく支配的で我の強いヘンリーはもちろん、アンも「自分の城の王女でありたい」そして、その願いはヘンリーによって危機にさらされてるというような独白をする人間だ。
そんな二人によるこの先の破滅の物語を観て、私は「恋の自己顕示」という言葉が思い浮かんだのだ。
ちなみに、プールで泳ぎながら自分の過去や現在の心情を独白するアンのシーンのあとに彼女が歌う「Lalalala」はスパークスの「Propaganda(恋の自己顕示)」に収録されている「Thanks But No Thanks」という曲のメロディーである。
人気が低迷するヘンリーと人気の衰えないアン。そんなアンに嫉妬し、ヘンリーはついにアンを水難に見せかけて殺害してしまう。
その後、アンは幽霊となりヘンリーに付き纏い、そして彼女の歌唱はアネットに乗り移り、アネットは歌を歌う赤ちゃん「ベイビーアネット」としての人生を歩むことになる。
余談だが、このシーンを観た時に戸川純の「さよならをおしえて」の歌詞"例え私が事故で死んでも ほっとしちゃいけない 幽霊に成って戻ってくるわ 貴方の名前を呼ぶ為に"を思い浮かべたのは私だけではないはず…!
ベイビーアネットと不吉なボンボヤージ
まだ歩き始めたばかりの幼子でありながら、光に照らされると歌い始めるアネットを見て、ヘンリーは指揮者と協力し、アネットを”歌う赤ちゃん”「ベイビーアネット」として世に売り出す。
ベイビーアネットはたちまち人気者になり、世界ツアーを回ることになる。
世界ツアーに繰り出す時に流れる曲がこれまた「恋の自己顕示」に収録されている「Bon Voyage」である。
スパークスのロン&ラッセルが機長を務める飛行機に乗り、華々しく世界へと旅立つヘンリー、アネット、指揮者だったが、この曲が流れた時、私はとても不穏な気持ちになった。
なぜならこの曲の歌詞は転落へと向かう航海を歌っているからである。まず、入りだしの歌詞が「Cloud forming on the gospel sky,trouble is about to brew on us」(ゴスペルのような空に雲があらわれ、私たちには苦労が降りかかろうとしている)なのだ。映画内では冒頭の「Bon Voyage」という歌詞部分のみ引用されているものの、この後の展開にぴったりの歌詞である。
そんなスタートを切ったベイビーアネット御一行だったが、ベイビーアネットの公演は世界中で大成功。
ツアー中、ヘンリーは夜な夜な遊びに出掛けては女性たちをたぶらせ、その間にアネットの面倒を見るのは指揮者だった。
愛するアンの娘であるアネットを我が子のごとく愛おしくかわいがる指揮者、そして彼に懐くアネット。
この3人の関係性が、更なる悪夢を生む。
指揮者の死、アネットの告白
作中、ヘンリーとアンの恋愛を象徴する愛のテーマ「We Love Each Other So Much」という曲が頻繁に登場する。ヘンリーとアンは情事中もこの曲を歌い、”深く愛し合う二人”と歌い合う。
この曲の作者は指揮者で、愛するアンのために書いたものだった。
指揮者がアネットにこの曲を教えたことに激怒したヘンリーに詰め寄られた指揮者は、自分とアンは関係を持ったことがあり、アネットは自分の子かもしれないとヘンリーに告げる。
この指揮者の告白を聞いたヘンリーはアネットが自分の物ではなくなってしまうかもしれないという不安に駆られ、指揮者を殺してしまう。
死の間際、「If only I had gotten Ann to love me more…」(僕がアンの気持ちを強く掴んでいれば…)と後悔をする指揮者が切ない。
指揮者はヘンリーに対して「誰にも言わない!」と命乞いをしていたし、彼のことならアネットを想ってアンとの関係を誰にも言うことなく生涯を過ごすことができていたと思う。
指揮者は本作の中では珍しく”誰かのための行動”ができる人物であり、そのためかアネットも彼に対しては心を開いているようだった。
ヘンリーがアネットを失いたくない気持ちの中には父性もあるのだろうが、”商売道具”としてのアネットを失う恐怖のほうが強かったように思う。そしてそれは、まだ幼いアネットにも伝わっていたことだろう。
指揮者が死んだあと、ベイビーアネットは活動休止を発表、最後に大きな会場で歌うこととなる。
作中ではハイパーボウルと呼ばれる、いわゆるスーパーボウルのような場所のハーフタイムショーで歌声を披露する予定のアネット。スタジアムMCによって盛大に呼び込まれたアネットだが、一向に歌いだそうとしない。
そして、超満員のスタジアムで最悪の告白をする。
「Daddy killed people.」(パパは人殺しよ)
ヘンリーとアネット、そしてアン
アネットの告白によって逮捕となったヘンリー。
ラスト、ヘンリーとアネットは面会を行う。
これまで「人形」として画面に登場していたアネットが、ラストは生身の人間としてはじめて登場する。
これは、ヘンリーがここでやっとアネットを一人の人間として認識したという象徴でもある。
ヘンリーとアネットとの対話の中で印象的だったのは、アネットがヘンリーだけでなくアンに対しても憎しみの念を抱いているところだった。
自身の利益のためにアネットを見世物として利用したヘンリー、そして、自身の復習のためにアネットへ謎の能力を授けたアン、そのどちらも自己中心的な思考回路であり、アネットは両親のエゴイズムによって普通の子供として過ごすことが出来なかった。
ヘンリーとアンのアネットに対する行動は「Propaganda」とも「恋の自己顕示」とも言える気がする。
ラスト、アネットは「I must be strong」(私強くならなくちゃ)と歌う。
私はこのシーンに本作のすべての希望が詰まっていると感じ、大いに胸を打たれた。アネットはこれからも自分の両親を許すことができないかもしれない。それでも、自我を持って強く生きていく。そんなアネットはとてもかっこよかった。
「スパークス・ブラザーズ」もおすすめ
この映画に対してはレオス・カラックスの過去作品との比較(バイクシーンの疾走感や原色の綺麗な衣装を活用した画作りなどはカラックス映画らしく、素晴らしかった。)などまだまだ語りたいことはあるのだが、今回はスパークスとの関連メインで文章にしてみた。
「アネット」を観てスパークスが気になったという方には、彼らの70数年に及ぶ人生をエドガー・ライトがドキュメンタリー映画「スパークス・ブラザーズ」として制作・公開しているので是非観ていただきたい。
彼らの生い立ちやこれまでの作品を知ることができるのはもちろん、「アネット」のメイキング映像も出てくるので、少しでも気になる方は是非チェックしてみてはいかがだろうか。
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