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平成くん、さようなら

初めて古市さんの本を初めて読んだのは今からおよそ10年前。「絶望の国の幸福な若者たち」という本をたまたま本屋で見つけて、そのタイトルに惹かれて買った本でした。新進気鋭の社会学者が書いた本ということで、「なかなか面白い切り口で日本の若者を描写しているなぁ」と感じたのを覚えています。

いつからか「とくダネ」や「ワイドナショー」などのワイドショーにも出演するようになり、「空気を読まない炎上コメンテーター」としてテレビでも引っ張りだこになっていたので、今や彼のことを知らない人は少ないのではないかと思います。

2015年には「保育園義務教育化」という本を上梓し、当時娘がちょうど保育園に通っていたこともあって、こちらも読んでみました。詳細については覚えていませんが、なかなか説得力があり、内容に賛同したのは覚えています。

そして、本書「平成くん、さようなら」は2018年に発売され、2019年の芥川賞にノミネートした作品です。当時「あの古市さんが小説?そして芥川賞?」と訝しげに思ったものですが、SNS界隈でも発売当初から結構話題になっていたので、気にはなっていた一冊でした。ただ、気になってはいたもののわざわざ買うほどのものでもないかとスルーしていたのですが、最近近くのブックオフに行ったら本書が200円で売られていたので、「200円なら失敗してもいいか」と思い買った次第です。

このように昔気になっていた本や好きな作家の昔の作品を古本屋で探すのは好きですね。宝さがしみたいで。

以下あらすじです。(AMAZONより引用)

平成を象徴する人物としてメディアに取り上げられ、現代的な生活を送る「平成くん」は合理的でクール、性的な接触を好まない。だがある日突然、平成の終わりと共に安楽死をしたいと恋人の愛に告げる。
愛はそれを受け入れられないまま、二人は日常の営みを通して、いまの時代に生きていること、死ぬことの意味を問い直していく。
なぜ平成くんは死にたいと思ったのか。そして、時代の終わりと共に、平成くんが出した答えとは――。

上記の通り、この小説のテーマは「安楽死」です。安楽死が認められた社会において、主人公の平成(ひとなり)くんは平成の終わりとともに自分自身が安楽死をすることを選びます。

なぜ安楽死をテーマにした小説を書いたのか。古市さんは2019年のインタビューでこんな風に語っています。

小説に向かったきっかけは祖母の死。元気だった祖母が入院で歩行も食事もできなくなった。見舞うたびに、死にたいと言う。「本人が死にたい、苦しいと言うとき、生きることを至上にしなくてもいいのかなと思いました」。一昨年の秋に89歳で祖母は亡くなり、割り切れなさが残った。それを表現するには論文でもエッセーでもなく、「小説という形がしっくりきた」という。

皆さんは安楽死に対してどのようなお考えを持っていますでしょうか。私はまずこの本を読んで、以下のニュースを思い出しました。

そして、上記の事件とも関連付けられた30年ほど前のアメリカにおける「Dr. Death」事件。

私は本書を読むまでそこまで深く安楽死について考えたことはありませんでしたが、例えば末期がんの方や植物状態になってしまった方が自分や家族のために自ら死を選んだ場合は安楽死は認めてもいいのはないかと漠然と考えていました。

ご存知の通り日本では安楽死(積極的安楽死)は認められていません。しかしながら、海外では安楽死や自殺ほう助が認められている国や地域が多くあります。

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アメリカの一部の州やオランダでは安楽死や自殺ほう助が認められているのは知っていたのですが、昔自分が住んでいたカナダが安楽死も自殺ほう助も認められているのは知りませんでした。そして、オランダ、ベルギー、ルクセンブルグというベネルクス三国がそろって安楽死を認めているのに、他のヨーロッパの国は認めていないのは興味深いと思いました。

立命館大学の美馬達哉教授は、欧米における終末期を次のように述べています。

「たしかに欧米の一部の国では、医師が致死薬を患者の体内に注入する『積極的安楽死』や、医師から処方された致死薬を患者本人が服用して自殺する『自死介助』が認められています。
ほとんどの場合、患者の痛みが耐え難く回復の見込みがないこと、かつ患者本人の明確な意思に基づくことが要件です。死期の切迫は絶対の要件ではありません。オランダやベルギーでは、肉体的苦痛だけでなく精神的苦痛による安楽死、さらには未成年についても認められています。極端なケースとしては、高齢になることを苦にした安楽死まで論じている国もあります」

「平成くん、さようなら」の舞台となっている安楽死の認められた日本は、上記のオランダやベルギーのような国の制度を模倣したことは容易に想像ができます。しかし、そうであるならば、なぜ彼の国では自ら死を選ぶ権利が認められ、我々の国はそれが認められないのか。いろいろと考えてしまいました。

ちなみに、安楽死は主に以下の2種類に分類されます。

積極的安楽死 Active Euthanasia
患者の命を終わらせる目的で「何かをする」こと
消極的安楽死 Passive Euthanasia
患者の命を終わらせる目的で「何か(治療)をしない」こと

日本でも実は消極的安楽死については認められています。なので、末期がんや終末期の方の治療を中止し、死を早める(延命措置を取らない)ということは今でも行われています。しかし、植物状態の方や肉体的精神的苦痛に苦しむ方が死ぬための措置を施すこと(積極的安楽死)は認められていないのです。

日本だけではなく、多くの国で安楽死が認められていない一番の理由は、生きとし生ける者はすべてその生を全うするべきだという倫理観に根差したものだと思います。また、キリスト教、ユダヤ教、イスラム教、ヒンドゥー教、仏教などの宗教はもれなく自殺を禁止しています。自ら死を選ぶことが認められないのであれば、安楽死も社会的に容認されるものではないというのは理にかなっています。(もちろん自殺は社会的には認められていなくても犯罪ではないので、毎年自分から命を絶つ人は多くいます)

そして、安楽死を行うのは医師であることも大きなポイントです。なぜならば、本来医師は患者の病を治し、生きる手助けをする存在だからです。わずかでも生きる可能性があるのならば、その可能性を追求することが医師の職業倫理であり、生命の短縮はその倫理観にも反するものだと言えます。

一方で、安楽死が認められている国におけるその根拠は、自分の人生は自分で決めるものである、という自己決定権に対する強いこだわりだと思います。確かに自分や自分の家族が不治の病に苦しみ、生きる意味を見出せなくなったとしたら、安楽死という言葉が頭に浮かぶと思います。感情に流されてしまえば、簡単に死を選ぶこともできてしまいそうな気もします。

ただ、一方で人の死はそんな簡単なものではないだろう、という気もします。

To be, or not to be. that is a question.(生きるべきか死ぬべきか。それが問題だ)

シェークスピアのハムレットにおける名ゼリフの通りです。

そんな風に改めて自分の死生観を考えるきっかけになった一冊でした。

ちなみに、安楽死というテーマはとても深く荘厳ですが、内容自体は薄っぺらいです(笑)主人公の平成くんが安楽死を選んだ理由も、「ふーん。そうなんだー」って感じで、思っていたほど哲学的なものではありませんでした。

都会のスタイリッシュな生活を垣間見れたという点では、江國香織の「東京タワー」などと似たような印象を受けましたが、なんかモヤモヤが残る読後感でした。

古市さんは本作品の後も何作か小説を書いてあり、評価が高いようなので、また機会があれば読んでみたいと思います。


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