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♯1まずは自己紹介。37年のアトピー歴と、今の悩み。

初めまして。TOMATOと申します。
今では6歳と2歳の2児の母親をしておりますが、
生まれたときからずーーーーーーーっとアトピーでした。(です。)
出産を機にアトピーは劇的に改善したものの、、
まだまだアトピーと向き合う日々です。
重度の状態は乗り越えたけど、、
今は残されたボロボロの皮膚に老いが相まって新たな悩みを抱えております。
日々の気持ちをつづっていきながら、自分の経験が少しでも皆さんの為になれればいいなと思っています。

簡単なアトピー歴


▼0歳~
生まれて間もなくアトピーと診断された
ようで、写真を見返してもほっぺが真っ赤。
でもまだまだ柔らかそうな綺麗なお肌がいっぱい。

▼1~2歳?
卵アレルギーと診断され、卵を完全除去。
除去さえすればアトピーが治ると思っていたそうですが、一向によくならなかったそうです。
(※ちなみに今も卵は食べられません。また食物アレルギーについては別途書こうと思います。)

▼幼稚園時代
この時すでに自分はみんな少し違うんだと認識していました。
肌を見せるのが恥ずかしく、引っ込み思案な性格だったと思います。
写真を見ると、まだまだキレイでしたが、、

▼小学校時代
この頃には完全に全身アトピーでした。
「気持ち悪い」「アトピーの人」「うつる」などいろいろ嫌な言葉を言われた記憶が沢山あります。
一度机の下に潜り込んで大泣きしながら学校に行きたくないと泣き叫んだことを今でも覚えています。
写真を見返しても、明らかにみんなと違う肌をしていました。
首に包帯をぐるぐるにまいて登校した日もあったな、、

▼中学時代
思春期真っ只中。化粧をしたり、雑誌を見たり外見を気にするように。
この頃もアトピーはどんどん酷くなり、ベットから起き上がれない日も。
夜中泣き叫んで母親に掻いてもらったりもしていました。
でも不思議と一歩外を出ると、何食わぬ顔をして、平然を装い今時のおしゃれな中学生を一生懸命取繕っていた頃です。
また中学まではステロイドを極力使わない治療をしていたと思います。 
漢方中心の治療で、電気椅子に座ったり、民間療法にもいろいろ母が試していたころだと記憶しています。
この頃も中々壮絶でした。

▼高校時代
減感作療法に変え、プロトピックに手を出し大量に体に塗っていたのが高校時代です。プロトピックはとにかくお風呂に入ると幹部が死ぬほど暑い。痛い。ステロイドのような効果はないので、
風呂上りや着替え、寝ること、起きること、そんな当たり前のことも辛く、苦しんだ3年間でした。
しかも私の高校はみんなほんとーにかわいい子ばっかりだったんです。
関西の某進学校でしたが、みんな本当にキラキラしていました。
おしゃれで、かわいくて、彼氏を作って、、他人が羨ましくてたまらなかったけど、自分も一生懸命、アトピーを隠して、みんなと一緒だと感じるように頑張っていました。
アトピーじゃない青春を本当に送ってみたかったと今でも思います。

▼大学時代
一人暮らしを始めたことをきっかけにステロイドをよく使用するように。
私の幼少期を知らない人たちとの出会いが嬉しくてたまらなかった。とにかくアトピーは隠して隠して、今を楽しみたい。それが全てでした。
みんなが帰ったあと、一人になったその瞬間、みんなが想像できないような姿になってかきむしっって、血だらけになって。
お風呂でのシャワーが怖くて何時間も湯船につかっていたことはきっと誰も知る由もないでしょう。
朝起きた後、ベットシーツの皮の処理をして、何もなかったかのように友達を迎え入れるのです。 
アトピーの人しかわからない苦しみですね。
初めて彼氏ができたのもこの大学生の時です。
とてもうれしい気持ちと不安な気持ちで押しつぶされそうでした。

▼社会人
社会人になってもアトピーに対する向き合い方に変化はありませんでした。
とにかく一歩外に出ればアトピーで深く悩んでいるような素振りは一切見せずできるだけアトピーを隠して生きていました。
社会人になり間も無くして今の夫に出会うのですが、そのころにはステロイドの量がかなり増えていました。彼氏に会う直前にお風呂に入り、全身ワセリンを塗り、少しでもガザガザな肌を悟られないように、、
そして付き合って1年がたち今まで考えても来なかった「結婚」が頭をよぎるように。
私はこんな体で一緒に人と住むことができるのか。あかちゃんを産めるのか。。そんなことを真剣に考え始めたのです。
既にその頃にはステロイドの効き目を感じにくくなっており、急に焦り始めたのを記憶しています。
それを機に、ようやく自分のアトピーと真剣に向き合うことを決意したのです。
恥ずかしながらそれまでアトピーの治療について調べたことが一度もなかったんです。自分の病気を調べるのがとても怖かった、、認めたくもなかった。
焦りの中アトピーについて調べていくと、、「脱ステ」という言葉を見つけました。
私はこれしかないと確信。
ここから人生最大の試練に立ち向かうことになります。
脱ステの話はとても長くなるので、これは別途改めて書いていこうと思います。

▼結婚後
1年の壮絶な脱ステの時期を乗り越えた後、結婚に至りました。
婚姻届けを出した時の写真はまだ痛々しくお猿さんのように真っ赤。
結婚式は1年後を予定し、その頃までに体調を合わしていくよう頑張りました。
そしてさらに妊娠はその一年後。実に子どもを産む決断に丸2年かかりました。遺伝したときのことや出産後の自分の体のこと。とても悩みました。
ただこの頃から体に大きな変化もありました。
見た目はまだまだアトピーであるものの、明らかに日々の生活が楽になってきたのです。一体何がきっかけなのか。。
今でもわかりませんが、ただアトピーがストレスが要因といわれるゆえんが分かった気がしました。

▼出産~現在
そして出産後アトピーは劇的に変化しました。
特に一人目の出産後はつるつるになるくらい一旦きれいになったのです。
育児をしながら徐々にもとに戻るのですが、二人目の出産後の現在も生活は格段に楽になりました。
やっとここまで来たと思ったはいいものは気づけば私は30代後半、、、
アトピーの歴史を感じるシミや、皺だらけの体。
これから本格的な老いとの闘いなのに、すでに何ステージもみんなより進んでしまっています。
でもそんなコンプレックスを抱えた今でももっと輝いて生きていきたい。
悩みはまだまだあるけど、本気でそう思っています。



さっと振り返るつもりが書き出したら止まりませんでした。
我ながら、自分で振り返りながら大変だったなーとつくづく思います。

アトピーで悩んでいる人がいたら、こんなに楽しく生きれるんだよと少しでも励みになると嬉しいです。

#アトピー #脱ステ#お肌の悩み

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