「自信」のついた生き方。

私たちはどこから自信を見出すのだろう。

今日という日をやり抜けば自信はつくのだろうか。
あとどのくらい頑張って、あとどのくらいの日を乗り越えていけば
自信になるのだろう。

エゴ的な自信、例えば、「私ってすごいでしょ」を他人に誇示して
満足する自信というのは
本当に自分と向き合った時、すごく弱いものだと気づく。

では心から本当に自分を信じるって何なのだろう。

それは下を向いた時に、
それでも私は、といって前を向くための材料になるのが
一つ自信なのではないかと思う。

それは絶対に人によって違う。
恩師からもらった一言かもしれない。
初恋の思い出なのかもしれないし
誰かを愛せたことなのかもしれない。
でも私はやっぱりこれが好きだから、という意志なのかもしれない。
いつかの日のあの人の優しさなのかもしれない。もしくは、
誰かの仇を取るためという強い思いかもしれないし
素晴らしく良いタイミングで流れてきた
大好きな曲の歌詞の一節、もしくは心地のいいリズムなのかも。

人間は揺らぐ。
本物の自信を持っている人なんて
本当はこの世にいないのではないだろうか。

でも、記憶や思いは自分を信じる要素になる。

外から与えられる自信より、
自分の内から湧き出る信念にも近いその自信を
大切にしたい。

それは私たち個人個人にしか感じられなかったこと、
経験できなかったことを元に形取られた
自分だけのものなのだから。

私は新緑を歩いて深い緑色を目で認識できた時、
それが少しの自信になる。
こういう色をも愛でられる自分なんだなと。


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