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「こだわり」というのは自分の正義。では障害のある人の「こだわり」をどう理解するのか?

眠い・・・
でも、note連続投稿100まで取り合えず頑張ると決めたから・・・

と、今PCの前の座って今回各テーマが思いついた。
それは、「こだわり」についてです。

自ら連続投稿へチャレンジしてみて、やはり毎日投稿をされている方ってすごいと思いますし、人によってはクオリティも高い。
どうやって、毎日とネタとクオリティのバランスを時間の制限の中でしているのか関心でしかない。

それから、パン作りでは自ら食べたいパンを配合まで考え何度も調整して理想のパンを作り上げるとか

部屋をキレイに保ち続けることが出来るとか

例を挙げるときりがないが、本当にこだわりをもって何かに挑んでいる人は単純にすごいと感じる

では、障害を持っている人の「こだわり」と聞くとどういうイメージになるだろうか?

先ほど例に挙げたものは「すごい」と感心や尊敬すらする念がある一方、障害を持っている人が「こだわり」もっている。と聞くとどうだろうか?その「こだわり」の印象ががらりと変わる。

例えば、床のタイルの線に沿って机を置かないとダメ。
〇〇へ行くときは、決まったコースを通らないとダメ。
洋服は、いつも決まったものでないとダメ。
って感じでしょうか?

確かに、例を書き並べていくと最初の例は物事を極めるための「こだわり」であるのに対して、障害を持っている人のは自分ルールの「こだわり」が堅調である。

そして、何よりも私たち一般の人間からしたら理解しがたいものであるってことが大きいのかもしれない。

それは、私たち一般人(健常)と呼ばれる人が大多数であり、その大多数の私たちが作った常識(バイアス)の中での”当たり前”があるからそう感じるのではないか?

床の線に合わせるとか、コースとか、洋服とかの例は、確かに何故そうしなければいけないこだわりを持つのか、その意味や理屈が分からないので、良くないものとして”崩さなければ”って療育をかじった人の発想をよく聞く。

しかし、私からしてみたらパンをいちいち配合から考えるよりも、あまたの数あるレシピを見て作った方が効率的だし、部屋だって生活をしているのだから、少々汚くても死にはしません。

そして、今私がしているnote100回連続投稿ってものだれも望んでいませんしやめたから言って何の被害もありません。

連続投稿することで評価が上がる部分があるのかもしれませんが、結果文章が上手くて内容が面白い方は連続投稿しなくても沢山読まれるわけです。

結局のところ、「こだわり」とは「自分縛り」なのです。

なので、そのこだわりを多数の人が理解できるものは、”凄い”とされ評価される。
逆に理解されにくいものは、”変な人”と逆の評価になる。

おかしくないですか⁉

結果的に自分の価値観で人を評価しているわけですよ!

自閉症の人のこだわりは、障害特性だから辞めさせないといけないって。果たして本当にそれだけの理由でしょうか?

自閉症の方は曖昧が苦手で、融通が利かない部分が障害特性としてあります。確かにその頑なさから自ら世界を狭めている事実があるとも思います。

が、しかし

そんな特徴があるから、「こだわらずにはいられない」ですよ。
そうしないと、苦しいのですよ。
理解が白と黒、あいまいな部分が怖いしね・・・

ちょっと、着地地点が曖昧になりましたが私が言いたいのは、こだわりを持つということは、そこに本人が意味を成している。ってことです。

普通の人=こだわり=凄い
障害を持っている人=こだわり=ダメ

ではなく、結果こだわりは同じ根っこを持つという事。

こだわりないといけない理由が、どんな人にもあるという事。
自分の正義があるという事。

もしかしたら、あなたの「こだわりは崩さなきゃ」っていう気持ちが強い人がいるならば、一度立ち止まってその理由を理解してからの方がよいかもしれません。

こだわりにこだわっているのは、あなたの方かもしれません。


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