保育のモノサシは誰のモノサシ?
うちの保育士が辞めてしまいます・・・
障害児保育を経験して通常の保育園でやってみたいというポジティブ退職
(これに対する思いは別のnoteで書いています)
その保育士さんと今日別件で話をして次の保育所の話をしていると
「とっても不安」「やれるかなぁ」と、愚痴のような不安を漏らしていました
その場では今まで培ったものを大切になど、まぁ一般論的な話をしていたのですが、もう一つ気づいたので書き記したい
各園で子どもたちにはこんな風な子どもを育てたいという「理念」があり、その方向性を守り各保育士の「保育感」で保育が進められているのではないかと思う
ということは、子どもにいいものを提供したい笑顔が見たいなど根っこは一緒だがやり方が園によって違う”モノサシ”が違うのだ
だから、飛び込む側の不安は言わばその”モノサシ”が分からないので、自分がどうみられるのか?そのモノサシで測ったときに認められるのかということ
そこで疑問がでてくる
その”モノサシ”は誰の基準で誰のための”モノサシ”なのかということ
違うからと言ってケンカをする必要はないが、なにも恐れることはない
自分のすべきことは子どものための保育である
測られるべきは、子どもからの私たち(保育士)かもしれない
それから、モノサシを一つしか持っていないなんてさみしいものです
考え方や視点、学びをすることでいくらでもモノサシの数は増えます
そこに気づけば、自分の幅は広がるしかありません
幅が広がると、子どもへの受け皿もおのずとして広がります
そして、最後に”本当に大切なものなにか”ということに繋がっていく気がします
私もまだまだですが、今回その職員の存在から学べることがありました
ありがとう
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