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二言目が見つからなくて、田中さんの背中を見送った【喫茶ランドリー訪問記】

わりと、よくある町の景色だった。

大通りを折れて奥へと進むと、四角い建物が整然と並んでいる。歩道のない広い道を歩ているのは、腰の曲がった年配の女性、ニット帽のベテラン男性、小さい子と手をつないぐパパ。チャイルドシート付の自転車をかっ飛ばすママが信号を渡っていき、荷物満載のカートを押して走る人たちが行きかう。スーツを着た人とはすれ違わない。

喫茶ランドリー本店(東京都墨田区)は、都営地下鉄・森下駅から徒歩数分の距離にあるだ。居場所系(あえて系をつけてみる)に関心のある人には、もはやメッカと言ってもいいだろう。私も長年、憧れのような思いを脳内メタバースの孵卵器でずっと温めてきた。

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2018年オープンだというから、ここを運営する田中元子さんの著書「マイパブリックとグランドレベル――今日からはじめるまちづくり」(2017年12月)の上梓より開店は少し後だ。本を読んで店に行きたくなったのか、先に店の存在を知って後から本を読んだのか、もはや記憶があいまいだが、その頃やたらと、喫茶ランドリーの面白さを同僚と語り合っていたことを思い出す。まだ足を踏み入れてすらいないのに(笑)

2018年は私にとって仕事で大きな変化があった年で、ほぼゼロからプロジェクトの立ち上げをまかせてもらったのだが、そのコンセプトづくりやチームビルディングには少なからず、喫茶ランドリーが漂わせているであろう雰囲気や、田中さんの著書で出会った「マイパブリック」あるいは「グランドレベル」という概念への共感が影響していたと思う。

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子どもから年配の人まで、だれでも歓迎する。その人たちが、その人たちの好きなように過ごせる場所をつくる。人を惹きつけるおしゃれ感も必要、ただし、誰かをはじき出すようなおしゃれにはしない。ごちゃまぜ、カオス、その後も様々なキーワード、コンセプトと出会ったが、それらを整理するための定点として念頭にあったのは喫茶ランドリーだったような気がする。

だというのに、実際その現場を訪ねるまでに4年もかかってしまった…。

念願の初訪問は午前11時半ごろ。引き戸をあけると聖地は静まりかえっていた。平日だし、ランチにもまだ早い。コロナ第6波(オミクロン株)のまん延防止等重点措置も(この時点では)続いている。スタッフ(コミュニケーターというらしい)の女性に「好きな席を」と勧められて、「モグラ席」と呼ばれる半地下スペースに入り込んだ。まさに「グランドレベル」目線が味わえる一画だ。

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本を読んだり、PC作業をしたりする意欲満タンで来たのだが、落ち着いたブラウンの革が張られたソファに陣取ると、なんだかもったいない気がしてきた。モグラが空を見上げるように、ソファから店内を見上げているだけで、あっという間に30分くらいたってしまいそうだ。今までここに書いてきたような2018年ごろから現在に至るあれやこれやの記憶が、意識内を往来する。

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私のあとから店に来たのは、さっとPCを広げて仕事を始めた女性、常連さんらしきシニア男性、抑えたトーンで会話をする仲よさそうな若い男女---店内はずっと静かなままだ。この界隈に暮らす様々な属性の人たちが集って、それぞれの日常の延長を繰り広げる瞬間を目撃する機会は逃したが、図らずも、わが身がを振り返り、内省する時間をたっぷり得ることになった。看板メニューの「喫ラのカレーライス(900円)」もおいしかった。

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店から駅へ戻る道で、金髪が揺れるカッコいい女性とすれ違った。間違いない、田中元子さんだ。声をかけてみたかったが、気の利いた二言目が思いつかないまま、背中を見送ってしまった。

「田中さんですか」のあとが、「あの……ファンです」じゃあ、
声かけられた方も困るだろう、芸能人でもあるまいし。

活用したい空きスペースも、美味しいコーヒーを淹れる腕も、自慢のレシピも、私にはない。単に、人々に「自分の居場所」を感じさせる空間と、その作り手たち、そしてそこで起きる現象に興味がある。今はただ、それだけだ。次に田中さんとすれ違うときまでに、二言目は見つかっているだろうか。

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