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人生とマラソン

人生100年時代。
この言葉をよく聞くようになった。
私は、それから考えると、30代後半、まだ半分にもいっていない。
そして、走ることも好きではないが、
人生はマラソンのようなものだなと、つくづく感じる。

ペース配分も大事、
駆け引き、我慢どころ、勝負どころもあり、
ここぞというときは、ペースを一気に上げる
時には、ペースを保つための給水も必要で、うまくとれたりとれなかったり
時には、コースを間違え、予想だにしない、怪我で止ることもある
疲れて、歩いてしまうことも。
そのレースは一回きり。でも、走ってみなければ何が起こるか分からない。

私のこれまでのマラソンを振り返ると、
給水がうまくいかない、コースを間違えた、歩いてしまった
そんなことがあると、自分のことを「できない」と捉えて責めていた。

今思うと、完璧主義や「できた・できない」と白黒つけたがる思考が、
そうさせ、自分を苦しめていたのだなと感じる。

疲れて歩いてしまったら、走ることが出来なかったとバツをつけた。
ただ、歩いている、ペース配分を変えただけなのに。
マラソンは、まだ終わっていないのに、「できてない」と評価した。
人生は100年時代。
長い目でみたら、その一時点にあるのは、事実だけで、決して、できなかったわけではない。
できていないと、判断を下していたのはいつも、自分の認知だ。

そう気づいたら、今ある現実も俯瞰してみること、事実だけを受け止めて、評価・判断せずに、次にどうするかを考えられる自分でいたいなと感じるようになった。

もし、今、人生という名のマラソンで、怪我をして止まってしまったり、歩いていたり、上手く給水がとれなかった人がいたら、こう捉えてほしい。
マラソンはまだ終わっていない。
そこに、その事実があったとしても、
「できなかった」「あなた自身が駄目」なのではないということを。

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