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Deep blue(ディープ ブルー)

深い蒼を吸い込むように 私は産まれた。

母のお腹にいた時から 潮騒でも聴いていたのだろうか。

何故か 海を見ると気分が高揚してくる。

物心ついた頃に 母に尋ねたことがある。

「私って 海の近くで産まれたとかないよね?」

「まぁ 普通の産婦人科だったね。」

「だよね!」

冗談っぽく 語りかけたのを覚えてる。

でも その話には続きがある。

「でもね お父さんと出会ったのは 海だったのよ。 あれを運命とかって言うと なんか違う気はするんだけどね。」

「それでそれで?」

「お母さん あんまりアウトドアとか好きじゃなかったんだけど どうしても断れなくて BBQに行ったの。」

お母さんは お父さんの写真を 温かい眼差しで見つめながら 言葉を紡いだ。

「でもやっぱり 性に合わなくて こっそり 一人で抜け出して テトラポッドに隠れて 日が沈むのを待ってた。」

窓の外を眺めながら 思い出すように 穏やかな表情を浮かべていた。

「はぁ…やっぱり こういうの向かないんだよなぁ…」

ため息混じりの呟きが聞こえた。

どうやら 男性のようだ。

(分かるわ~。 このまま 帰ってもバレないよね きっと。)

そんなことを思っていた。

「あの~。」

「はい!?」

「何してらしたんですか? いや ブツブツ独り言が聞こえてきたもので。」

どうやら 無意識のうちに 気持ちが口に出ていたようだ。

なんとも恥ずかしい。

いても立ってもいられなくなって その場を逃げ出そうと考えていた。

「よければ 少し話しませんか?」

呼び止められてしまった。

どうして 呼び止めたのだろうと 疑問でしかなかった。

丁度 干潮の時間だったのか すっかり波は引いていたのを覚えている。

「は はぁ…」

「嫌なら 結構です!…すいません。」

悪い人ではないと思ったので そのまま近くに腰掛ける。

すると その人は 嬉しそうに微笑んだ。

忘れられない その笑顔に惹かれてしまった。

この人と 一緒にいたいと 純粋に思ってしまう 自分に驚いてしまった。

「海 苦手ですか?」

絞り出した質問に 我ながら失笑してしまう。

「いえ 海自体は 大好きです! ただ ワイワイするのは あんまり得意じゃなくて…」

気にした様子も無く 彼は淡々と答えてくれる。

その気持ちが嬉しくなってしまって 1人で勝手にドキドキしていた。

(初対面で こんな気遣わない人 初めてかもなぁ…)

そんなことを ほのぼのと感じていた。

「もしかして あなたもですか?」

冗談っぽく 尋ねてくる彼の横顔に見入ってしまった。

夕日が沈む一歩手前の オレンジが目を細めさせた。

「恥ずかしながら…私も 大人数で集まるのが。」

「分かります。 海くらい ゆっくり波音を聴きながら 見ていたいですよね。」

一瞬 目が合って 逸らしてしまう。

同じ感覚の人が ここにいる。

それだけで 心が鎮まっていくのを感じた。

「全くです! 人に合わせて楽しめる訳ないですよね!」

心底 抱いていた疑問だったので ついつい声を荒げてしまった。

またもや 恥ずかしい。

「やっぱり 同じように考えている方もいるもんですね。」

彼は それっきり しばらく何も言わずに 海を見渡していた。

今まで 気付かなかったのだけれど 彼の胸からカメラが垂れ下がっていた。

「写真 よく撮られるんですか?」

「あぁ これですか? はい こうして海に来ては 綺麗な写真を撮りたいと 試行錯誤しています。」

「今度 見てみたいです。」

彼は驚いた顔をして こちらを覗き込んできた。

「私の撮ったものでいいんですか? もっと 綺麗なものは たくさんありますよ。」

「いえ あなたのがいいんです。」

「珍しい方も いらっしゃるもんだ。」

二人で 沈む間際の夕日を見ながら 笑い合った。

こんなに 心が穏やかで 幸せな気持ちになったのは 久しぶりだ。

そして それは『彼』がいたことも 大きく影響している。

嫌々 ついてきた集まりだったけど それ以上の出会いがここにあった。

それだけで よかった。

「あのよろしければなんですが…」

彼は何かを言えずにいた。

どうしたのだろう。

「何ですか?」

「あなたを撮影させていただけませんか?」

彼は テトラポッドの隙間をみるように お願いしてきた。

でも その時の私に断るという 選択肢は何故か無かった。

「綺麗に撮ってくれます?」

悪戯な笑みで 彼に返した。

彼は 嬉しそうに ちょっぴり 頬を紅く染めながら 頷いた。

緊急の撮影会が 幕を開けた。

とはいえ 彼も私も不慣れで どうしていいか分からず 相談しては撮ってを繰り返している内に すっかり 夜になってしまった。

「あんまり 普段 人は撮らないから 緊張してしまいました。」

「なんか 楽しかったです。 ありがとう。」

「お礼といってはなんですが お腹空きません?」

「丁度 そう思ってました!」

彼と私は 二人で 近くの海の家を目指した。

歩きながら 他愛のない話をして その時間が過ぎるのは あっという間だった。

「焼きそばとイカ焼き買ってきました。」

「飲みたくなったので ビール買っちゃった。」

「いいですねぇ。 さすが 話が分かる。」

同時に缶のプルタブを引く。

『プシュ』っと 快音が2つ鳴った。

ビールを含みながら ときたま 焼きそばとイカ焼きをつつき合う。

(もうちょい 一緒にいたいなぁ。)

そんな自分勝手な願望を抱いてしまった。

そんな夏の一時。

この出会いがなければ 私はここにはいない。

もう お父さんの声を 直接聞くことは出来ないけれど 遺していってくれた想いと写真が 繋がりを確かにくれている。

そして ここからは私のお話。

家と会社を行き来するだけの つまらない毎日に 私は色を失いつつあった。

よく晴れた 外回りが落ち着いた 午後の昼下がり。

私は 1つ 大きめな溜め息をついて いつも休憩場所にしている公園のベンチに 静かに座っていた。

目の前を通る人々の考えが知りたいなんて 途方もないことを望んでいたのを覚えている。

そんな時だ。

彼が隣に いきなり腰掛けてきたのは。

「どうしたの? そんな暗い顔して。 笑った顔が綺麗そうなお姉さん。」

チャラチャラした言動に 人懐っこい笑顔。

しばらく触れていないカテゴリーの男性に 苛立ちより 先に懐かしさすら感じた。

「いきなり隣に座っといて いきなり その言動は どうかと思うよ? チャラそうなイケメンお兄さん。」

「わお! イケメンだって! 嬉しすぎて 鼻血出ちゃいそう!」

「なかなかの頭 お花畑ね。」

「花は 綺麗で いい匂いがするよ~!」

「んなことは 聞いてないの! 静かにしてくれない!?」

ついつい 辛くあたってしまった。

口にしてから 後悔が じわじわ押し寄せてきた。

流石に察したのか 黙りこんでしまう 彼。

「僕が 誰でも声かけると思ってるでしょ?」

「まぁ 想像はつくよね。」

「やだなぁ。 綺麗な人にしか 声かけないよ 僕は。」

やっぱり 最低であり申した。

見た目とリンクしているから 分かりやすいは 分かりやすくて助かる。

でも 今は そんな気分じゃなかった。

「1人にしてくれない? お願い…」

ようやくの思いで 絞りだした声だった。

ふと 顔をあげると もう彼は居なかった。

突然 罪悪感が胸を締め付ける。

(私 知らない人に なんてことを…)

後悔の念に 囚われたまま なんとか仕事を乗りきって お気に入りのベッドにダイブする。

化粧を落とすのさえ忘れて 枕に顔を埋める。

「なにしてんだろ…」

応えがあるはずもない 天井を一人見上げて 一点を見つめる。

こんなはずじゃなかった。

今頃 好きな人と結ばれて 子供と手を繋ぐ そんな理想を抱いていた。

それなのに。

どこで 道を踏み外してしまったんだろう。

確かに 今の仕事は好きで 周りの人達に恵まれていると思う。

でも からっぽなのだ。

「お疲れ様です。」

そう言って 最寄り駅を目指し始めた瞬間に 途方もない虚無感が じわりと胸を支配してしまう。

孤独を感じざるを得ない。

この切ない気持ちのやり場を 見つけられず モヤモヤしたまま 朝日が差し込む。

それの繰り返し。

何度も 思い詰めては 適当な言い訳をつけて 目を瞑って アラームが私を呼び覚ます。

もう こりごりなのに。

生きていかなきゃいけない。

そんな 誰に強制された訳でもないはずで 自分が選んだ道を 疑ってしまう。

棚の上に置いた 父親の写真を 見つけてしまう。

「お前と母さんを置いてきぼりにしてしまうことを許してくれ。」

亡くなった 父の最期の姿がフラッシュバックする。

泣いて帰っては 優しく抱き締めて 何も言わず頭を撫でてくれた。

あの温もりを忘れたことは 一度たりとも無い。

「美稀。 お前はお前らしく 生き抜いてみなさい。 そうすれば 誰かが お前の光になってくれる。挫けそうになっても 諦めちゃダメだ。美稀が諦めたら 父さんはどうなる? 死んでも死にきれないぞ?」

そう冗談混じりに 力の無い笑みを浮かべた 翌日に 父親の容態は悪化した。

モニターに映された心音と目の前の現実が あまりにかけ離れているように感じて 受け入れたくない一心で 病室を飛び出した。

「美稀!」

母親の声を無視して ひたすらに走りだした。

「もういない…」

咽び泣く声を上げながら 父親と幼少の頃 よく遊んだ河川敷に辿り着いた。

喉はカラカラで 全身が脱力感に襲われた。

もう流す涙もないほどに 疲れてヘトヘトになってしまった。

「なんで…」

虚しい願いが 空を切る。

戻れない現実が 美稀を 押し潰そうとしていた。

「おねぇちゃん 何で泣いてるの?」

あどけない無邪気な声で 少年が覗きこんできた。

何もいえない美稀の横に ちょこんと少年は座った。

しばらくして 少年が何かを差し出した。

「これ あげる。」

笑顔で手渡してきたのは ハンカチだった。

そして気づく。

自分では 止まったと思っていた涙が流れていたことに。

「ありがとう…」

「どういたしまして!」

「本当にいいの?」

「いいよ 美稀おねぇちゃん!」

「何で名前知ってるの?」

「これに書いてあるよ!」

おそらく座った時に 勢いで落とした学生証を 少年が渡してくれる。

「元気だして! またね!」

少年は 母親だと思われる女性のもとに駆け出してしまった。

「ありがとう…」

何度 この出来事を思い出すんだろうと 乾いた笑いをしてしまう。

あのハンカチを あの少年に返さなければと 未だに大切にとってある。

いつか 会えたなら あの時の感謝を添えて お礼をしなければならない。


「あぁ…もうこんな時間だ…」

美稀は 気だるさと眠気の狭間で 目を瞑った。

好きなアーティストの曲が 美稀の携帯端末から 勢いよく流れる。

「ううん…」

寝惚け眼で 携帯端末のアラームを止める。

「ん? って 今日お休みじゃん…」

どうやら設定をミスったらしい。

「もう一回 寝よ…」

美稀は 起きることを諦めて もう一度 深い眠りについた。

二度寝をしてしまった美稀は 不思議な夢を見た。

海なのか 湖なのかは分からないが 水の中に とにかく沈んでいくのだ。

そして 全然苦しくはない。

ゴーグルをしてないのに 視界は良好。

隣を通りすぎる魚達が 語りかけてくる。

「ようこそ!」

戸惑いながら 歓迎されていることだけは 理解できた。

認められた安心感からか 楽しくなって 魚達と 同じ軌道で泳ぎ続ける。

そんな環境に慣れ始めた その時 急に呼吸をするのが 困難になった。

さっきまで いたはずの魚達が いなくなって 助けてくれる気配を微塵も感じなかった。

「このまま…」

諦めかけた時 美稀の手を掴む もうひとつの手が姿を明らかにする。

「美稀お姉ちゃん 大丈夫? 僕が 連れていってあげる。」

学生証を拾ってくれた あの少年が 美稀の手をギュッと握り締めて 光の差し込む方向へ 導く。

「あの時の…」

混濁していく意識の中で 思い出した少年の顔を ただ思い浮かべていた。

ここで 美稀は目覚める。

「なんなの…この夢…」

自分が 何故こんな夢を見たのか。

自分自身でも 理由が予測できなかった。

おそらく 昨日 寝る前に あのハンカチを見たからなのかもしれないとは思った。

気付けば もう時計の針は 13時を越えていた。

「寝たなぁ…」

美稀は とりあえず 可愛いゾウのキャラクターがあしらわれたマグカップに 2Lのペットボトルから お茶を注いで 一気に飲み干す。

「かぁぁっ! お茶は 美味しいねぇ…」

独身女の野太い声が 部屋中に響き渡る。

「散歩でも しようかな…」

部屋着を脱いで 洗濯かごに 投げ入れる。

メイクもしないで ラフなジャージを履いて 鍵と携帯を 両方のポケットに乱雑に詰め込む。

「よし!」

玄関を開けた外の空気は 散歩に丁度いい冷たさを醸していた。

「いつもの公園…でいいか。」

昨日のことを 嫌でも思い出してしまった。

もう 鍵を閉めてしまった。

大人しく 自分の行きたい場所を目指すことにする。

(流石に 昨日の今日で 会わないでしょ…)

そんな軽い気分で 約20分ほどで着く 例の公園に向かった。

「いるわけないか…」

心のどこかに 会って しっかり 謝りたい自分がいることに気付く。

「これ 落としましたよ 多分 美稀お姉ちゃん。」

「え?」

母親や友人以外には 呼ばれることも少なかった 自分の名前を聞いて 驚いてしまった。

「この前 話しかけた時から そうじゃないかと思ってたよ。」

目の前には この前の彼が 懐かしさを携えて佇んでいた。

美稀の中で 何かが繋がる音がした。

「君…あの時の…?」

「そうだよ。 美稀お姉ちゃん。」

彼は ゆっくりと 隣に座った。

もう かれこれ10年も前の話だ。

あの少年だって もう大人になったはずなのに 美稀の記憶の中では あの頃のまま 止まったままなだけなのだ。

ベンチの近くに どっしりと構えた大木が 葉を揺らして それが美稀の心の動揺と重なるようだった。

二人の前を通りすぎるサラリーマンの革靴が地面を蹴る音が やけに はっきり 美稀の耳をくすぐる。

「ずっと会いたかったんだ。」

彼の言葉が 美稀の胸を貫いた。

立ち上がろうとする美稀の足を 言葉の矢が射抜く。

もう 逃げるのは無しだ。

「あの時は…ありがとう。 本当に…」

長年つっかえていた鎖が解かれていく気がした。

「実はね あの時もらったハンカチ…まだ 大切にしてるの。」

彼は 驚いた表情を一瞬浮かべて すぐさま 元の優しい笑顔に戻る。

「そうなんだ…美稀お姉ちゃんも 忘れてなかったんだ。」

それから この長い年月の間にあったことを お互いに話した。

これまでの時間を 埋めるように。

そう じっくりと 気の済むまで。

「母親が 今 危ない状態なんだ。」

さっきまでの笑顔を消して 真面目な顔で 彼が重い口を動かす。

美稀は 急かすことなく 次の言葉を待った。

彼は 暗くなり始めた空を見上げていた。

「もう長くないかもしれない…」

思い詰める彼の姿を 父親を失くした あの時の自分に重ねてしまう。

そして 今度は 美稀が助ける番なんだとも思った。

(今 私が彼にしてあげられることはなんだろう?)

いくら頭を回しても 答えは見つからなかった。

「でも 美稀お姉ちゃんに また会えた。 もしかしたら お母さんが また会わせてくれたのかも。」

美稀はハッとした。

そうだ。

あの時 傍に幼い彼がいてくれただけで どれだけ自分が救われたことか。

特別な言葉や行動なんて 要らなかったのだ。

そこにいてくれるだけでいい。

「休みだから いくらでも 付き合うよ。」

美稀は 人生で一番 優しい笑みを浮かべた。

だって それが 美稀が 今出来る 最大のことだったから。

彼の成長した逞しい腕が 美稀を求めた。

そして 抱き締めた。

壊れないように。

包み込むように。

この涙が渇れるまで 彼を抱き締め続けようと 覚悟が決まった。

嘘をつくのは もうやめた。

「ねぇ…こんな時に言うことじゃないかもしれないんだけど…」

涙でグシャグシャになった瞳をこちらに向けた彼が 不思議そうにする。

「私 あなたを守りたいって思っちゃった。」

もう 余計な言葉は要らない。

夜風が 美稀の想いに 上手い具合のエフェクトをかけて 彼の耳にだけ伝わる。

「僕もです。」

そして 二人の物語が幕を開ける。

これから先 何があるかなんて どうだっていい。

きっと 乗り越えていけるはずだから。

いや 乗り越えてみせる。

深い蒼を吸い込むように 私は生まれ変わった。

母のお腹にいた時から この出会いは 決まっていたに違いない。

*この作品はSerph様の『elfenlied』を参考に作成したものです。

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