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手紙その16『立志』〜だから何?〜

それは次男坊が口答えする時の常套句。
どこでそんな言葉を覚えてきたんだと思ったら、
同じ言葉を妻が叫んでいた。

それはさておき昔話をしたい。
少しセンシティブな内容かもしれない。
悪意は全くないことを先に申し上げておきます。
特定の思想に対するアンチテーゼでもないです。
ただ僕は『志の立て方』についての考えを述べたいだけなのであります。

僕の祖父は共産党系の病院で働く職員だった。
祖母は小学校の先生で日教組に近かった。
実家の家業はそれとは全く関係がなかったが、母が手伝っている時は、この祖父母の元に僕は預けられた。
言わばこの二人が育ての親のような存在だった。
住んでいた地域は同和地区ではなかったが、
出身の中学校は同和地区に存在した。
そのため物心がついた頃から『差別をなくそう』『部落解放』『憲法9条を守ろう』『戦争反対』『女性の権利』などというワードに触れていた。
小学校では『在日韓国朝鮮人差別解放』をテーマに人権作文を書いて優秀賞を獲得した。
今でも同和地区、在日韓国朝鮮人の友達は多い。

そんなバックグラウンドでありながら、
小学生の僕が思っていたこと。

『全部、忘れちゃえば良いのに』

道徳の授業で僕は差別の存在を深く知った。
けど、知ることがなければ差別なんてない。
差別がない方が良いのなら、無かったことにすればいいじゃないか。
そう、本気で思ってたんだよ。

僕は、子どもながらに知っていた。
同和地区の友達が授業料や給食費、教科書代が免除され、家賃が補助されている事を。
部落差別反対を掲げながら、この恩恵が無くなったら困ると訴えるダブルスタンダードに、違和感を感じていた。

ほんまに差別が無くなってしもたら、この人らはどうするんやろう。
小学生の僕はその事が心配だった。

差別は許さない!
許した方が無くなるんじゃないかな。
従軍慰安婦を忘れない!
忘れた方が終わるんじゃないかな。
被害者の悲しみは癒えない!
君ら当事者違うやん。

けれど、無くなったらその後どうするの?
無くなったら困る人もいるのに。

僕は闘病中、闘病記ホームページを立ち上げた。
情報を共有して、同じ病気で不安な人と支え合いたいんだ!
けど、僕や訪問者の病気が治ったら…?

僕は大人になって柔道整復師、鍼灸師になった。
痛みに苦しむ人の助けになりたいんだ!
けど、全員を治しちゃったらどうする…?

『差別をなくそう。』の言葉の裏に、
(なくならないけど)
(なくなったら困る人もいるけど)
ここまで見えてしまうようになった。

僕のホームページもモチベーションを保つためには僕が病気であり続ける必要が出てきた。
それは本末転倒だから続けられなくなった。

治療家の道も、治したら患者様は来なくなる。お金を稼ぐことと治すことの両輪を同じ方向に回すことの難しさを知った。

『差別をなくそう』じゃ絶対に無くならない。
『病気をなくそう』じゃ元気にはならない。
『痛みを取ろう』じゃ痛みを取れても再発は防げない。
理想と現実のギャップを感じ続けて出した答え。

僕は過去にこんな手紙を書いた。

動機にはネガティブモチベーションとポジティブモチベーションがある、と。

『差別』というマイナスな事象から、
『なくす』というゼロ以上の事象は起きない。
『差別』がなくなっては困る人にとって、
『差別』はプラスだから、なくす必要がない。
だから『差別をなくす』ではなくならない。

まずするべきことは何か?
絶対に言葉を変えるべきだと僕は思う。

✕ 差別をなくそう
◯ 人種や国籍を超えて手を取り合おう

これならわかる。

✕ 戦争に反対する
◯ 平和な世界にする

✕ 病気を治す
◯ 元気にする

言葉遊びと揶揄する人もいるかもしれない。
それは違うんだ。
言葉はそれを使う人の意思そのものなんだよ。
✕と◯では目標達成の最高到達点が違うんだ。

僕が最近、驚いたのはSDGs17の目標。
『持続可能な成長目標』と銘打って、その第一に来るのが『1.貧困をなくそう』なんだよ。
気づいた時は、もうびっくりしたよ。

『貧困を無くす』事を持続させるだって?
永遠に貧困は無くならない、と宣言しているのと同じじゃないか。
ネガティブモチベーションであり続ける選択を世界は選ぶのか。

✕ 貧困をなくそう
◯ 経済的な豊かさを享受しよう、もしくは、
◯ みんなでお金持ちになろう

こう、じゃない?

僕は自分のnoteのトップに『HSS型HSE』と書いている。これは、わかる人にはわかってもらいたいがためだけに書いた。
『HSS型HSE』とは簡単に言えば『積極的で社交的な神経質人間』のことだ。
もし、僕がこれを克服(?)し、『HSS型HSE』でなくなれば、項目からこの文字が消えるだけだ。
しかし、それをネガティブに捉えて『生きにくさを抱えるHSS型HSE人間が克服を目指して奮闘するnote。』と書いて、もし『HSS型HSE』が克服されたなら、そのnoteは存在意義を失う。
そのnoteを続けるためには『HSS型HSE』であり続ける必要がある。

僕は『HSS型HSE』をネガティブに捉えない。
感受性が高いが故に不幸を人の2倍感じてしまうのだとしたら、幸福も2倍感じられるはずだ。
不幸をいなす方法を編み出す事ができれば、2倍になった幸福だけが残る。

ここで次男が登場する。
『僕はHSS型HSEです』
『だから何?』

志を立てる時はいつだって、君の言う通り。
重要なのはその『何』の部分だよ。
その課題をどう捉えて、どうするかだよ。

いいかい息子たち。
志を立てるのなら、
目標達成の最高到達点を可能な限り高くしよう。
ポジティブモチベーションで進んでくれよ。

どうか、この手紙を書いた僕の勇気を
君たちの目標達成に繋げておくれよ。

カルミア
花言葉は『大志を抱く』

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