「孤独について」

哲学者・中島義道さんの著書はいくつか読んでるが、現代社会の様々な騒音などに異議を申し立てて行動したり、けっこう“メンドクサイ”人なんぢゃ、という印象だ。

本職の哲学については、「全く役に立たたないもの。自他の幸福とは無関係であり、反社会的で、危険で、不健全なもの」としている。

コレも地元図書館の10円リサイクル本だが、哲学者の孤独論というよりも、中島さんの自伝の要素が強くて、意外と面白かった。

要は、「孤独とは自分に課せられたものではなく、自分があらためて選びとったものだという“価値の転換”に成功すると、そこにたいそう自由で居心地のよい世界が広がっていることに気づく。
孤独とはもともと自分が望んだものだということを、負け惜しみではなく、心の底から確認すると、孤独を満喫することができる。
それはすなわち、自分の固有の“人生のかたち”を満喫することであり、孤独が履き慣れた靴のように心地よくなることである。
他人が自分をまったく期待していないことを、他人からまったく期待されていない自分を、自ら選びとることによって裏打ちする。
いったん、こうした価値の転換の技術を体得してしまえば、いかなる逆境にあっても、あなたは安全であり自由なのだ」ということだ。

著者は、不幸な生い立ち(本人がいうには)から、東大・ウィーン大学時代を経て、哲学博士となってからの非常勤講師、助手、助教授時代に受けた、上の教授達からのイジメ、パワハラの数々(コレが恨みつらみのオンパレードで面白い)と挫折の連続、そして、「人生を半分降りる」ことを決めて、真に孤独を楽しむことを体得したのだ。

確かに、今、俺は孤独だと思う。めっちゃアクティブで行動的な引きこもりに等しい。

わざわざ他人と繋がりを持たなくても、周りを見渡せば、ウンザリするほど人はいるし。孤独であれば、気を使ったり、思ってることを隠したり、自分の主張を曲げる必要もないし、細々としたメンドクサイこともない。

何よりも、自分を世界の中心に据えることができる。

といっても、やっぱり人(特に異性)が恋しい。でも、他人と接すると、すぐに「もういいや、早くこの時間が終わらないかなぁ」と考えてしまう。多分。

意外と“幸せ”ってつまらないものだと思うし、普通に生きることが出来てれば、幸せを感じるという感覚を持つことができない。つまり、根っからの幸せに関する貧乏性なのだ。

世界よ、俺を、死ぬまでそっとしておいてください。しかし、トコトン、イジってください。ということだね(笑)。


脳出血により右片麻痺の二級身体障害者となりました。なんでも書きます。よろしくお願いします。