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【嘉年华】救われない少女達の行方

 来週でいいやとモタモタしていたらあっという間に放映期間が終了して見逃してしまった文晏監督の 『嘉年华』、优酷で独占放送していたので鑑賞。
中国の映画館は何日まで放映とか書いていないので、とても不便。

 この作品は台湾の金馬賞で監督賞を受賞しています。児童のレイプ問題を扱っているのですが、今までそういった中国映画を見たことがなかったので、こういうのも放映許可下りるんだ、と興味を持ちました。

 安い海辺のホテルの一室、党幹部職員にレイプされた2人の12歳の少女。唯一の目撃者は、当日男と少女のチェックインを請け負った、年齢をごまかし違法労働をしていた戸籍の無い16歳の少女。
 レイプが起こってしまった過去は元には戻せない。けれど彼女たちの置かれている環境、その後の関係者のやり取り、周りの大人たちの選択が本当に最後まで救いがない。

 すごく重い気持ちで映画を見終わりましたが、希望のかけらも無いことこそが、児童レイプ問題と黑孩子(一人っ子政策の弊害として爆発的に増えた戸籍の無い子供たち。存在自体を認められていない存在。)を真剣に扱った監督の誠意なのだと思いました。 

この映画はレイプ加害者以外の大人が、被害者に手を差し伸べればもう少し柔らかい印象にできたと思います。

 けれど監督が「レイプ」「黑孩子」の根底として描きたかったものは、「レイプの悲惨さ」や「政治腐敗」等可視化できる悪ではなく、政治、会社、知人、ひいては親子関係に至るまで、全ての人間の相互関係に存在する、権力を持つ側の「見たいものだけを見たい」という深層心理が引き起こす選択により、権力を持たない側にもたらされる結果としての暴力、無意識の暴力構造だと思います。

その結果の一つ一つが「レイプ」であり、「黑孩子」であり、「政治腐敗」であり、子供の気持ちを無視した「親心」であり、重いテーマの映画を真剣に見つつ、深層心理では気持ちよく見終わりたいと思っている視聴者の「ハッピーエンドへの期待」であり、ストーリーの着地点と映画の評価のために用意する口直しとしての「一筋の希望」でもある。
だから監督は観客に迎合せず、徹底的に希望の無い状態で映画を終わらせたのだと思います。

全てをうやむやにして、事件を無理やり収束させたのは作品の中の大人達。血が脈打つようなエンドロールから、虐げられ続ける弱者の行き場のない感情と運命、「映画はここで終わるけれど、私はこの問題について何も終わらせない」という監督の強い意志のようなものを感じました。

 この映画は児童のレイプ問題なので、直接的な性的描写は勿論ありません。けれどそれが起こってしまったと思わせる幼い少女達の演技がとても素晴らしかった。撮影当時12~13歳であろう女の子が婦人科の検診台に乗せられる様子はショックな映像だったし、自分が子供の頃にこんな映画に出演したらそれだけでトラウマになりそうだと思うほど張り詰めた空気感。
また加害者の男は事件発生以降登場せず、それ以外の大人たちの会話によって、淡々と事件が解決され闇へ葬られ、無言の少女が何度も蹂躙される様子に凄みを感じました。

 邦題は「天使は白をまとう」。
少女の潔白を主張する色であり、社会にはびこる、力を持つものによって浄化され続ける闇を表す色でもある。あからさまななまでに白いワンピース、海辺のウェディングドレス、本人の意思とは関係なく汚れ、引き剥がされていくマリリンモンローの像。最初はわざとらしい異物に感じましたが、最後にはとても印象的に残りました。

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