見出し画像

自由に生きたいといいながら、結局制限を自分にしてしまう

自由に生きたい

「時間」や「お金」や「仕事」や「家族」から解放された

自由

なんて、いい響きなんだろう〜🙃

毎日、毎日、
掃除、洗濯、仕事に子育て、

そう思うけれど、

きっと、いざ、そこから解放されると、
一日、二日ならいいけれど、あとは物足りなくなるんだろうな。

もし、「時間」の自由が与えられたなら??

朝は二度寝して、
10時過ぎに起きる。
散歩をしながら
ふらっとカフェに入ってブランチ。
帰りにパン屋さんでお土産を買って
家に帰ったら、
本を読みながら、ネコとまったりな午後を過ごす。

そんな休日のような過ごし方は、きっと3日で飽きるだろうな。

もし、お金の自由を与えられたなら??

もし、仕事の自由を与えられたなら?

もし、家族が誰も居なくなってしまったら?


自由に生きたいといいながら、

自分の居場所や、役割がある心地よさも感じている。

「制限」がある事は、苦しい時もあるけれど、

自分が一人で寂しくならないために、
自分を守るためのもの

なのかも知れない。

どんな制限を自分にかけていたのかが見えてくると、

じゃあ、どこまでの制限なら アリ なのかも見えてくる。

そうやって、少しづつ、「アリ」との折り合いをつけることで、自分を生きやすくすれば、

こんなにしてあげてるのに、的な自己犠牲な考え方も、
承認欲求も、

まあまあ って、思えるようになる気がする🙃

いつもありがとうございます。私の言葉が、少しでもお役に立てたら幸いです。