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方向音痴の先に現る、城暮らしの日々【オーストリア・ウィーン】

クロアチアからオーストリアのウィーンへ向かうバスが、ウィーンに着いた、と思ったとき、私は自信満々に近くにあるはずの「Erdberg」駅を探した。

私と近しいひとならよく分かるだろう。私は、自他共に認める方向音痴で、正直に言ってしまうと東と西を未だに一瞬考えたりするし、街を歩いていてどちらが北だとかは、考えたことがない。(言わずもがな)スマホの地図はぐるぐる、スマホごと回して使うタイプだ。

自分は方向音痴である。そのことを十分に自覚しているからこそ、私はクロアチアのザグレブを出るときに、ウィーンの地図をあらかじめダウンロードして、Airbnbのホストのジュリアの道案内メッセージをキャプチャして、道順とトラムの番号、建物の名前を確認してバスに乗ったのだ。

バスを降りる。地図を見る。ひとに聞く。何をどう頑張っても、近くにあるはずの「Erdberg」駅までは車で5分以上、徒歩で40分くらいかかりそうだった。

グーグルマップの現在地も、明らかに「Erdberg」駅周辺ではない場所を指していた。数分間、一回トイレに行ってみたりしながら、これはどういうことだろう? と考えてみる。

まぁ結論は簡単だ。着く予定だと聞いていた場所に、私は着いていなかったのだ。理由は知らない。もしかしたら最初から「Erdberg」駅周辺には向かっていなかったのかもしれない。もはや確認しても仕方がない。だって、ここは「Erdberg」駅ではなく「Stadium」駅なのだから。

そうか、違う場所に着いたのか。

時刻は19:30過ぎ。日が暮れるまであと2時間弱あった。明るいうちに着ければ問題ない。私は電車とトラムを乗り継いで、とりあえずジュリアの家に向かおうと思った。くそぅ、ウィーンに着いたら少し仕事をしようと思っていたのに。その分の時間をとりあえずは移動に費やそう、と決めた。

地図を見たら、「Erdberg」から「Studium」まではそんなに離れていなそうだった。

***

ウィーンは、私の想像以上に都会で、そしてドイツ語が主流だった。「出口」や「乗り換え」といった構内の表示が、ここが主要ターミナルでないからなのか、とにかくドイツ語だけで表示されていた。英語にあまり出会えない、という状態は、アジアのミャンマー以来だった。「ありがとう」や「こんにちは」、または「自己紹介」みたいな簡単な会話以外は基本的に英語を貫いてきた私は戸惑う。

おまけに簡単にいまの状況を説明すれば、「方向音痴が異国で道に迷っている」の図なのだ。くぅ、涼しい顔しているけれど、荷物は重いし、日は暮れそうだし、やっぱり内心ちょい焦る……(笑)。

とは言え、動き始めてしまえばそこはやはり都会。移動は案外簡単だった。電車やトラムはニューヨークやロンドン、バンコクなどと遜色ないくらいに分かりやすいし、きれいで、時刻は正確で、それでいてエレベーターもしくはエスカレーターもほぼ完備されていた。色を追って、「方向さえ間違えなければ」確実に到着する。

(註:言っておくが方向音痴にとって「方向を確認する」ということは、一大行事なのだ。10回に1度くらいは間違えそうになる。私だけか?)

そうやってたどり着いたのが、ジュリアの家の最寄り駅だった。

途中、余裕をぶっこいてカフェなぞに寄り、メランジェなんぞを買って話し込んじゃったりしたせいで、時刻はすでに20:45。けれど空はまだ明るかった。ものすごくきれいな日暮れの色だった。

周りを見渡す。そして、ジュリアのメッセージを見返す。

When you arrive "●▲■"station, please follow the street called "●●■" on the same side as the tram stop was until you pass the first huge brickstone building. Please turn left and follow the pathway straight ahead into the private park until you reach the building of "■▲▲" (right hand side). Opposite of this building there is a zebra crossing, please cross the street there and walk to and the building "■●■" which is my apartment building.

言っていることは大体分かるつもりなのだが、そんなことよりも「please follow the street called "●●■" on the same side as the tram stop」のsameサイドがどっちなのかが分からない。そう、方向音痴にとっては街の大枠の移動より、こういった駅を出てすぐ、という道の選び方が問題なのだ。

……。

…………。

お?

なんだ、あの外観は。たしか、そう、あんな感じでちょっと重厚な造りの建物の写真が、Airbnbのサイトに載っていたはず。

相変わらず、地図を見ても、メッセージを見ても、よく分からなかった。北とか東とか、左折とか右折とか「follow the street」じゃなくて、

「あの建物の外観に似てたはず」

その記憶を第一優先にして、スーツケースを引っ張って進む。こうやって進むから、大体道に迷ったりするのだろう、と頭では分かっているのだ。でも治らない。

公園の小道に入るようだった。

え、これ?

これ、かぁ

これ?

不安になったけれど、住所にしても、グーグルマップにしても、ジュリアのメッセージにしても、「ジュリアの家はあっちだよ」と、この小道の先を指していた。

そろそろ21:00になりそうだった。ここで間違ったら、暗くなる。暗くなったら、終わりだ(いや別に大丈夫なんだけど、ほら、怖いじゃん初めての場所って)。まぁでもここだろう、と思って進む。

重厚な造り、だと思った建物は、よくよく見てみるとなんだかお城に見えてきた。

いや、城である。

たしかにこれは、城である。左も右も城。え、ここは……一体……。

***

結局、城の姿を認めてから5分も経たないうちに、ジュリアの部屋のある建物を見つけて、実際にジュリアに会った。Airbnbの写真の通り、天井の高い、広くて、清潔な、それでいておしゃれなインテリアがかわいい部屋だった。おまけに彼女も、偶然部屋にいた友達もかわいい。

「でもここ、城?」

その疑念が拭えなかった。城、城……。

バスターミナルが思っていた場所と違うエリアだったことから、初めてウィーンの街を電車に乗って移動して(あとからきちんと見返したら意外に大体正確な道を辿っていた)、目的の駅に着いて、そして城を見つけた。

私は動揺していたのだ。

方向音痴の先に城があったことに。

……うん、そろそろ「城」って言いたいだけの話はやめよう。しかし日常生活に「城」という単語が出てきたのは初めてだ。

***

朝起きても、やはり城は城だった。ジュリアに聞くと、この敷地内には「ウィーン軍事史博物館」があって、ここは元軍事スタッフ向けの施設で、それをリノベーションしたものだ、ということだった。築年数はおそらく何百年超。現在は犬の散歩や子どもとのピクニックにも人気の緑地になっているようだった。

ウィーン。

来るつもりは本当はなかった。けれど予定より長くクロアチアに滞在したのち、7月上旬までにデンマークに行きたかった私は、ルートとしては一番無駄がなさそうだと判断して、オーストリア、チェコを通る道を選択した。

ウィーンは、美しい街だろうなと思っていた。クロアチアのちょっとスレた感じの女の子が「あそこは最高よ」と言っていた通り、ここは音楽と芸術、建築で溢れる街のようだった。道に迷っている間も、建物の隙間から男性の歌う、厚みのある声が聞こえてきていた。


彼女の言葉を借りれば、ここウィーンが「最高」の街だということに気がつくのは、最初の夜を眠って、ゆっくりと起きて、そして「ベルヴェデーレ宮殿」の庭園からウィーンの街を見下ろした時に、あまりの開放感と景色の美しさに、1分以上鳥肌が止まらなくなった時。

城に動揺しているだけの初日の夜の私は、まだそれを知らない。ドアや窓を閉めたら、家の中はとても静かで、暗くなった。



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