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手相を見てもらったら、子供の頃父に💩の報告をしていたことを思い出した。

先日、見積もりつくらねばで電卓をカタカタたたいていた。

ふとみたら、手の線が赤い。なんだ?コレ?この写真をInstagramのストーリーに。すると、それは財運線です!とな!

手相の線が赤くなる。とググると、その赤くなった線にまつわる事の開運の兆し。とな!!

インスタで続けてぎゃーぎゃー騒いでいると、友人から「義理母が手相占い師になった。」とコメント。

ナニソノパワーワードwwwってことで、すぐ見て頂くことに。

連絡をとっていただいて「だいぶ、色々多才のかたですね。お金困らなーいやん。お友達になろ!」と愉快な返答www

実際にお会いして、まず最初に言われたのが「お父様がいてくれて本当に良かったわね。あなたはお父さんに愛されて育ったから生きてこれた。」と言われた。

私には姉と弟がいて、姉がずっと母に張り付いているタイプ。そして3歳になる前に弟が生まれた。弟が生まれた頃、5時のチャイムが鳴ると弟を帰してこい。と母に言ったそう。

高校の友人が星読みを始めた時に見てもらったら、3歳前に母への絶望と言われたことがあって、母と、弟が生まれたことか!と納得したことがあった。

よくよく思い返してみれば、私は中2くらいまで夜中にトイレに行きたくなると(ほぼ毎晩)隣の部屋の父を起こし、トイレに付き添ってもらっていた。家族に父を起こすところまで行けたなら、トイレまでいけるやろ!と毎日言われていた。

トイレの横の洗面台の鏡の前を夜中にひとりで通れなかったので父を起こしていたのだけど、父が一人で行けるでしょ?と言ったことは一度もなかった。

時には、いや割と。とても怖い父だったけれど夜中のトイレの付き添いで不機嫌だったことは一度もない。

先日、海外に住む友人の子供が学校のことで悩んでいるストーリーを見て、私は小学校はがっつりいじめられていたし、中学校も人間関係を全然上手くやれていなかったけれど、きっと父は学校の状況なんて何もわかってないけれど、毎晩ハグされながら安心して寝ていたことが私の救いだったと思う。とちょうど連絡したりしていたところだった。

で、タイトルの💩の話。これは多分小学校に入る前までの話だと思うけれど、私は💩が出ると、父を呼んで💩の報告をしていた笑。本当になんで?って感じなのですが、その度父は「お!今日も良い💩だな!」と、私の💩まで褒めてくれた。

すっかり忘れていたけれど、きっと私の自己肯定感を育んだ、父に💩の報告をしていた話。



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