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未来の稜線


振り返ると、歩いてきた山々が広がっている。

足元の赤い屋根の白馬山荘から、ところどころに雪渓が残る緑の稜線に沿って白い道が延び、山と山をつないでいる。手前は昨日歩いた杓子岳と鑓ヶ岳。その次にあるはずの唐松岳は隠れて見えなくなってしまった。

ここは北アルプスの白馬岳。標高2,932mの山頂だ。奥には猫耳の形をした鹿島槍ヶ岳の双耳峰。さらに遠くには北アルプスの盟主、槍ヶ岳から穂高連峰。左に目を移すと雲に浮かんでいるような南アルプスの間ノ岳、北岳、甲斐駒ヶ岳。そして、右手に目をやると再び北アルプスに戻って、威風堂々とそびえる立山、別山、剱岳。どれも3,000m級の山々だ。

昨日歩いた山と過去に登った山。近い山と遠い山。それぞれが折り重なって、まるで隣り合わせのようにも見える。その一方で、近くに存在するはずなのに隠れて見えなくなってしまった山もある。

これまで歩んできた日々の生活の中で出会った人や出来事が、突然ばっと目の前に現れるような感覚。稜線の景色は私から時間や距離の概念をかき消して、何か大切なものを見せてくれる気がする。

山小屋で

一作日テントを張った山小屋ではうれしい再会があった。相手は知り合いの女性の娘さんだ。事前に女性から娘さんがその山小屋で夏休みのアルバイトをしていると聞いていたので会えるのを楽しみにしていた。受付にいた人に彼女の名前を告げると快く呼んでくれて、すぐに彼女が奥の部屋から笑顔で駆け寄ってきてくれた。


「お久しぶりです。母から朝LINEがあって、7時に出発されたと聞いていました。健脚の〇〇さんのことだからすぐに着かれるだろうと母とやり取りしていたんです」

彼女とは彼女が小学生の頃から家族ぐるみで交流している。私が妻と2人の小学生の子どもと一緒に初めて北アルプスを登った時に、たまたま彼女の家族も同じ山を登っていて出会った。私の子どもは山登りからは離れてしまったが、彼女はずっと山に関心を持ち続けていて、大学では山岳医療にも興味があり看護の勉強をしているという。

一緒に写真を撮ろうと言うと、「撮ってくれるんですかぁ。では外に出ましょう!」と唐松岳をバックに一緒に写ってくれた。

初めて山で出会ったのは2013年だからもう10年になる。でもそんな時間のギャップは一瞬で消えてしまって、あの頃の女の子が目の前にいるような感覚になった。

若い人が自分の思いや夢を少しづつ育てながら道を切り開いていく姿には心が動かされる。

自分はこの10年で何が変わって何が変わらなかっただろう。変わらずに大事にしてきたものは何だろうか。

テント場で

昨日の白馬岳のテント場では面白い人に出会った。最小限の装備でトレイルランニングを楽しんでいる男性だ。少し前に到着して小さなザックを降ろし、私のテントの隣にツエルト(緊急避難用の簡易テント)を張った後、また出かける準備をしている。


これからまた走られるのですか?と声を掛けた。

「ちょっと物足りないので、今から鑓温泉まで下って戻ってきます」

鑓温泉は白馬岳から南へ距離にして7km、標高800mほど下った山の中腹にある野天の温泉だ。登山でしか行きつくことができない場所にある。それを今から往復するという。

すごいですね、と言うと、彼は日焼けした顔に白い歯を見せて豪快に笑った。

聞いてみると、近いうちに数百kmのトレイルランニングのレースに出るらしくチームを組んでトレーニング中なのだそうだ。最初はその男性と女性の2人だったが、話しているうちに他の仲間も次々と到着した。ただし今から温泉まで走るのはその男性だけのようだ。

「明日はどちらまで?」

「日本海の親不知まで走ります」

親不知まではここから35km、標高差2,900mを下ることになる。アップダウンもあるから実際の累積標高差は3,000mを優に超えるだろう。

お気をつけてと言うと、ありがとうございますと笑顔で頭を下げてくれた。

そういえば、山を始めた頃はこんなスタイルにも憧れたことを思い出した。できる限り早く、できるだけ遠くまで。安全に還ってくる前提で自分の力の限界を試す。

その究極の一つには、トランスジャパンアルプスレースもある。日本海の富山湾から太平洋の駿河湾まで、415kmの道を北アルプスから中央アルプス、南アルプスを越えて8日以内で踏破する。

男性はいきいきと次のレースに向けて自身の限界を超えることに意欲を燃やしているようだ。自分はそこまで究めることはなかったけれど、少しだけその男性に過去の自分を投影してみると、いつの間にか山に求めるものが変わってきていることに気づいた。

それは自分の力ではなく、人との対話だ。

これから

前方に目を向けるとこれから歩く道が足元から続いている。稜線はうねうねと曲がりくねりながら、ほどなくして左右に分かれるようだ。左手にいくと穏やかな起伏が美しい雪倉岳を越えて栂海新道を進み、やがて日本海につながっている。私は右手の方向へ進み、小蓮華山、白馬大池を経て蓮華温泉に下山する予定だ。

山を歩くと私は少し饒舌になる。いつもより多く人に話しかけ、いつもより多く人の話を聞く。それはそこで出会う人や風景に、今まで歩んできた日々の生活の中で出会った人や出来事を重ねて、自分の現在地を確かめる作業のようなものなのかもしれない。

稜線の景色は私から時間や距離の概念をかき消してくれる。そうすると昔のことか今のことかではなく、遠くか近くかでもなく、大切なものが見えてくる。多様な個性が活きるよりよい社会づくりに貢献すること。自分が大事にしたいものを握りしめて先の道を眺めてみると、未来が何だか楽しみなものに思えてくる。


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