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虹の橋からの手紙


僕の名前はぴぴ。
生まれたのは今から5年前。ペットショップの小さな鳥かごで同じセキセイインコの友達と一緒にいたのを覚えています。僕より少し遅く生まれた子が泣いてばかりいたので、身体を寄せて温めてあげたりしていました。鳥かごはヒーターがついていて暖かいのですが、生まれたばかりの子は「人肌」があるととても気持ちが落ち着くのです。

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その頃、毎日のように鳥かごをのぞきに来る女の子と男の子がいました。僕と目が合うと嬉しそうに笑ってくれました。4月になって僕はその子たちの家族になりました。後で知ったのですが、女の子が塾の公開テストでいい点を取ったのでそのご褒美だったそうです。

家にはお父さんとお母さん、高校生のお兄ちゃんと、中学生のお姉ちゃんがいました。「ぴぴ」という名前をつけてくれたのはお兄ちゃんだったかな。毎日何度も呼んでくれるので、すぐに自分の名前を覚えました。

最初は小さな虫かごで過ごしていたのだけれど、僕が日増しに元気に動き回るようになるので、お母さんが大きな鳥かごを買ってくれました。鳥かごには止まり木が3本と、小さな鈴とブランコがありました。鈴は顔でこすると、「ちりりん」と軽やかな音が鳴ってとても楽しい気分になりました。寝る時はいつもブランコです。夕方になるとかごにシーツが掛けられて暗くなるのですが、その瞬間僕はブランコに飛び乗ります。朝が来るまで僕はゆりかごに乗った気分で眠りました。暗闇で目が覚めた時は少し羽をばたつかせてブランコを揺らしたりしました。

1ヶ月もすると僕はかごから出してもらえる時間が長くなり、しまいには寝る時以外は家の中を自由に飛び回れるようになりました。

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僕の毎日はだいたいこんな感じ。

朝9:00くらいに起きるとリビングに連れてきてもらいます。お母さんかお姉ちゃんがかごを掃除してくれている間に僕はさっさとかごを飛び出します。リビングのカーテンの一番高いところに止まって、お母さんが掃除や洗い物をしたり、お姉ちゃんが勉強している様子を眺めたりします。

それから、お父さんの部屋に遊びにいきます。コロナ禍になってお父さんは在宅勤務が増えました。いつもパソコンに向かってオンライン会議や資料づくりをしています。

時々「何か話して!」と怒るのですが、お父さんは仕事に夢中で聞こえていないことが多かったです。でもたまに会議中に肩に乗らせてもらうことがありました。パソコンの画面に映っている人が僕を見つけて喜ぶ姿を見るとちょっと得意な気持ちになりました。

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しばらくしてピアノの音が聞こえてくると、和室に行きます。お姉ちゃんがピアノを弾く指先がとてもきれいで好きでした。久石譲のSummerをよく弾いてくれました。一緒に歌うとお姉ちゃんもお母さんも笑ってくれました。

それからお兄ちゃんの部屋にも行きます。お兄ちゃんは高校生の時は朝早くから部活、帰りも遅いのでなかなか会える機会がなく部屋にいないことが多かったけれど、その代わり時々お菓子が落ちていました。すぐに掃除されるので滅多に見つからないのですが、何か新しいものを探すのが楽しかったです。

疲れたらリビングに戻ります。昼寝しているお母さんの肩に止まって一緒にうとうとしました。お母さんがいつまでたっても起きない時は、唇をつついたりしました。何か話してほしいから。

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僕は大きくなったら人間になると思っていました。だから一所懸命、言葉を覚えました。

「ぴぴちゃん、かわいいね」「お茶飲みや」みんなが話す言葉を少しづつ話せるようになりました。(ちなみに、「お茶飲みや」はお母さんの口癖で、サッカーの練習から帰ってきたお兄ちゃんに水分補給をするよう口酸っぱく言っていました)

みんなのいないところで、例えば夏場はお風呂場で、冬場は電子レンジの下の温かいところでよく話す練習をしました。声が響いてとても気持ちがいいのです。時々誰かがこっそり聞いている気配を感じて声を止めると、くすくすと笑う声が聞こえました。

もうすぐ5歳になる2月26日、昨夜のこと。

眠っている間にだんだんと周りが熱くなっていくのが分かりました。意識が遠のいてブランコから落ちたのは1:30頃のことでした。

僕が落ちた音に気付いたのはお母さんです。熱くなった鳥かごを開けて、「ぴぴちゃん!」と叫びながら僕を救い出してくれました。

今年の冬はとても寒くて一度体調を崩して入院したことがあったので、お母さんとお姉ちゃんが新しくヒーターを買ってくれました。そしてかごの中の温度がいつも28℃になるように温度調整の機械もつけてくれていました。でもその夜は何かの拍子に機械が外れてしまったのだそう。

お母さんの手の平の上に包まれた時、すっと身体の熱が解放されてとっても安心した気持ちになりました。お母さんは水を飲ませてくれたり、深夜救急の動物病院に電話をしてくれたりしました。インターネットで調べたところ水よりもOS1という経口補水液の方がよいということが分かり、お父さんが買いに走ってくれました。

それから1時間後くらい、2:30頃だったと思います。

僕はお母さんの手の平の上でそっと息を引き取りました。

いつ亡くなったのか自分でもわかりません。でもずっとお母さんが僕のからだに顔を寄せて、キスをしてくれていました。「ぴぴちゃん、ぴぴちゃん」と何度も僕を呼んでくれてとても幸せな気持ちでした。

今、お母さんも、お兄ちゃんも、お姉ちゃんも、お父さんも泣きながら僕を見てくれています。お母さんが、「ごめんね、ごめんね」と繰りかえしています。

「そんなに泣かないで」と話しかけるのですが・・・

そうか、もう僕の声はみんなには届かないんだな。

僕の姿を見てみんなが泣いているのを見るのはつらいです。

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僕はみんなの笑顔を見るのが好きでした。笑顔を見ると気持ちが通じ合って人間の家族になれた気がしました。だからみんな、泣かないでほしいです。

みんなに伝えておきたいことがあります。

それは、僕はこの家に来て本当によかったということです。

セキセイインコの平均寿命は10年などと言われる時もあるようですが、それはずっとかごの中で暮らしている子たちの平均寿命かもしれません。

僕はこの家で自由に飛び回ることができました。だから毎日が冒険でした。

閉まりかけるドアをすり抜けてお父さんの部屋に入るのがスリリングで好きだったのだけれど、お父さんには「危ないからダメ」とよく注意されました。

洗濯物を干そうとベランダに出るお母さんの肩に止まってこっそり外に出ようとしましたが、たいてい見つかって大騒ぎになりました。(どこにも行かないのに)

お母さんの足先の動きに合わせて一緒に歩くのが楽しくてずっとついていたら、突然布団の下敷きになったことがありました。みんながぴぴちゃん、ぴぴちゃんと探してくれて、僕を見つけ出してくれたのはやっぱりお母さんでした。

たった32グラムの僕にとってこの家は大きな大きな「世界」でした。怪我もしたけれど、毎日わくわくするような発見と学びがありました。この5年間は刺激と愛情に満ち溢れたとても長くて幸せな人生だったのです。

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お姉ちゃんが教えてくれた「虹の橋」という詩があります。作者は不明だそうですが、世界中のペットを失った人の間で読まれているそうです。

天国の手前には虹の橋と呼ばれる場所があって、死を迎えてこの世を去ったペットたちはその虹の橋に行くのだそう。そこには美しい草原が広がり、食べ物や水がたくさんあって、陽の光が暖かくて心地よく暮らすことができる。でも一つ気がかりなのが、残してきた大好きな飼い主のこと。

ある日、ペットの目に草原に向かってくる人影が映る。懐かしいその姿を見るなりペットは喜びにうち震えて、仲間から離れ全力で駆けていき、その人に飛びついて顔中にキスをする。

ペットはこうして飼い主と再会し、いつか一緒に虹の橋を渡っていく・・・



こんな風にいつかみんなと出会えるのかな。

随分先の話になるけれど、その時まで僕はきっとみんなを待っている。

積もり積もった話がたくさんあるのだろうな。楽しみだな。

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ぴぴ (2022年2月26日永眠 4歳11ヶ月)

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