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46歳、うつ歴24年。 なぜ「心配事の9割」を心配するのか

「心配事の9割は実際には起こらない」。
よく言われる話だし、頭ではそうだね、と理解もしている。

しかし現実には、その「起こり得ない9割」を心配して心を疲弊させているのである。

今、地震が来たらどうしよう
強盗が入ってきたらどうしよう
飛行機が家に落ちてきたらどうしよう
スマホが壊れたらどうしよう
目が見えなくなったらどうしよう
眠れなかったらどうしよう

などなど。
ではなぜこの起こりもしない心配事の9割を気にして心配してしまうのか。

うつの場合、ネガティブな未来を想像することが癖になっていて、
現実に起こりやすいことと起こりにくいことの区別がつかなくなってしまうからだと思っている。

例えば、スマホが壊れることはあるかもしれないが、前触れもなく壊れたりはしないだろう。
起動が遅かったり、充電ができなくなったりとなんらかの前兆があるはずである。

ところが、買ったばかりのスマホが壊れたらどうしようという心配は、
新しいスマホを買うと言ったポジティブな行動の中に、
自分は初期不良のハズレを引いてしまうのでは、とネガティブな未来を想像してしまうのである。

これは自己肯定感が低いことにも関係があると思われ、
「自分のようなダメな人間には新しいスマホなんてもったいなさすぎる。きっと何かトラブルがあるに違いない」
という思い込みから「スマホが壊れたらどうしよう」という心配に繋がるのだと私は考えている。

そして「飛行機が落ちてきたらどうしよう」という、それこそ天文学的な確率の心配事すらも、
ネガティブな未来予測と低い自己肯定感で「現実に起こりうる可能性のあるもの」としてとらえてしまうのである。

「今は飛行機は落ちてきていないけど、自分は不幸な人間だから、きっといつか家に飛行機が落ちてくるだろう。そうに違いない」
そんな思い込みを日々抱えて生きているのである。

確率的に起こり得ないことも、起こりうることも、同じように「可能性のあるもの」として心配してしまうのが9割を心配してしまう要因なのだと思う。

起こり得る確率、ネガティブに未来を考えてしまう癖、自己肯定感の低さ。

それらを一度考えてみたら、少しは心配事が減るのではないだろうか。

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