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記事『天皇陛下「誰一人取り残されない教育を期待」 学制150年式典』について

ある意味、昨今の凄まじい教育•科学技術軽視政策に対する痛烈な皮肉だよね。本来なら当たり前の「お言葉」(=政[まつりごと]として普遍的な内容)も、今なら「天皇の政治的発言」と言われそう。

【とある方のコメント「高等師範学校の復活を望みます。」への返答】
昔の官立師範学校が基本的に学費無償、国政の礎としての手堅い運営だったのに対して、現在の国立教員養成系単科大学は、他の国立大学と同様の運営費交付金削減政策のもと、〝自助努力〟による外部資金獲得を国から促されているわけですが、一方で教員免許の取得を目的としない「ゼロ免課程」の廃止も指導されてきており、リベラルアーツや昨今注目のサブカルチャーなどを「学芸」と位置づけ外部資金獲得に活路を見出す道も閉ざされ(当然ながら、これといった特色を打ち出せるようなものではなく、何の得もない教員養成上の研究に対して民間企業等がびた一文出すはずもなく[国の競争的資金獲得に関しても圧倒的に不利])、あとはなけなしの(とはいえ学生にとってはべらぼうに[50年前の10倍以上、30年前に2倍近く]増額して負担の大きい)学費に頼るのみで(そもそも教職のブラック化で志願者からして集まらない)、ジリ貧の一方。その存立は風前の灯火と化しています。この打開策としては大学間の広域統合も模索されていますが、師範学校以来の(国立総合大学の教員養成系学部も含めた)地域に根差した初等教育の理想も蔑ろにする(さらに学生の経済的負担が増す)方向性にて…あらゆる点において〝国家百年の計〟としての教育政策上、昔の官立(道府県営)師範学校と今の国立(国立大学法人)教員養成系大学のどちらが理想的かは自明の理と言えるでしょう。

記事URL
https://news.line.me/detail/oa-mainichi/9ofhpaeswud2?mediadetail=1&utm_source=line&utm_medium=share&utm_campaign=none&fbclid=IwAR0Sv3wC0vvlC7v6Dnpcen_BgT0vrcnEtOW10__o158O7pTC8DRTFhqwicA

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