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Vol.3 フィンランドで見つけた「多様性」の考え方

このnoteでは、2024年3月25日から28日までの4日間でフィンランドのプレスクールから小中高/職業専門学校を訪れる中で、フィンランド教育の根底にある価値観のようなものを探る過程で発見したことをシェアしていきます。

▼ 学びの記録
vol.1「Finlandで見つけた「信頼」の文化」(リンク
vol.2「Finlandの小学生と考えてみた"良い学習環境とは?"」(リンク
vol.3「Finlandで見つけた"多様性の考え方とは"」

今回のnoteでは、「多様性の考え方」について、日本から集まった15人の高校生から大学生、教員と一緒に現地で考えたことをまとめていけたらと思います。

現地の高校生との授業後の集合写真

キーワードは「Same people」です。「多様性とSame peopleにどのような繋がりがあるのか?」このnoteを通してインクルーシブ教育の先にある考え方について、現地の学生の言葉や学校現場の環境設定の考え方から考えたことをまとめていきます。

さて、日本でも「多様性を認める教育」について様々な文脈で考察がされていると思います。初日にヘルシンキの図書館(Oodi)でフィールドワークをしていると、私たちはあることに気付かされました。

Oodiの図書館の風景

OODIが掲げるコンセプト…
「人々が交流するリビングルームであり、すべての人々に開かれた文化の発信地」

参考リンク

実際にこの図書館は、子どもや、お年寄り、妊婦さん、ベビーカーを使っている人、障がいを持っている人、車椅子を利用する人などの全ての人が利用しやすいように空間が設計されていました。この空間が私たちに非言語で、フィンランドという社会が全ての人々に開かれている考え方を届けているようにも感じました。この時に、フィンランドの教育を一緒に学んでいた1人が、「この国ではdiversity(多様性)や人権についてどこで学ぶのか?学校で学ぶのか?あるいは両親から学ぶのか?」と現地の学生に尋ねる場面がありました。現地の学生は次のように答えます。

「多様性について主体的に学べるシステムが学校にあったり、もちろん両親からも学んだり、自分でもいろいろ調べていた!でも、結局みんなSame peopleなのに、わざわざ多様性について学ぶ必要ってあるかな?」

現地の学生の言葉

私はこの場面にいなかったのですが、「みんなSame peopleなのに、わざわざ多様性について学ぶ必要ってあるかな?」という現地の学生のこの言葉にハッとさせられました。この言葉が意味するのは「私たちは一人一人違うという考え方の先に、そもそも根底には私たちは同じ人間であること」というメッセージを感じました。

この考え方は、後にフィンランドの高校の校長先生が共有してくれた社会にある3つの重要な価値観とも繋がりました。

friendship(より良い関係性を築くこと)
equality(平等であること)
human life(一人ひとりに人生があること)

高校の校長先生は、「フィンランドでは障害がある人もない人も全ての人がその人に合わせた教育にアクセスすることができます。これはフィンランで大切にされていることの1つです。」
生涯学習期間の1つであるコミュニティカレッジの校長先生も同じように話します。「コミュニティカレッジでは、年齢に関係なく、子どもからお年寄りまでが楽しく学びながら良い関係を築けることを大切にしています。」学校教育に携わっている校長先生のこれらの言葉から私は2つのメッセージを受け取りました。

・学びが全ての人に開かれていること。
・学びは人生を豊かにしてくれること。

下の絵は「平等と公平」についてクロッグ・フロエール氏によって書かれたものになります。フィンランドの社会は平等なシステムの上に公平な考え方が人々によって共有されているような雰囲気を感じました。

クロッグ・フロエール作

日本の教育システムの凄さは日本全国どこに住んでいても質の高い教育を受けることができる点です。この成果がPISAの学力調査の結果にも出ていたと思います。ある意味「教育の機会均等=平等性」は日本の社会の中に担保されています。しかし教育現場では合理的な配慮を行いたくても、システム的に平等性を追求しないといけない人材配置になっているような感じもします。もし、ある子だけに特別なサポートをしたらクラス全員に同じようなサポートが求められた時に対応ができなくなってしまうので、一人ひとりに合わせた合理的な配慮を受けるのが難しいと感じている先生も多くいると思います。その一方でフィンランドでは次のような考え方が大切にされています。

一般的な社会では、人材のリソースに合わせて社会のニーズに応えており、その一方で教育現場や福祉の領域では人々のニーズに合わせて人材を配置するようにしている。

この考え方はフィンランドで働く労働者に過重に労働させず、かつ必要な領域(教育や福祉)には人々のニーズに合わせてリソースを提供するというバランスの取れた考え方を感じました。

日本でも1学級あたりの人数は40人から35人に徐々に移行され、少しずつ一人ひとりに合ったサポートができるような環境に近づいていると思います。しかし、「移行された35人という人数でも、1人ひとりに合わせたサポートをすることは可能なのでしょうか?」フィンランドの校長先生に尋ねてみました。

20人という人数だからこそ、1人1人と対話をしたり、1人ひとりに合わせた授業をすることができます。もし35人もいたら、今の授業スタイルで実施することは難しいです(断言)。恐らく、一斉授業形式で知識を伝えるだけの授業になってしまうでしょう。これは残念なことです。

また、日本の教育現場では、考え方の部分でもフィンランドとは少し違う印象も受けました。日本では、誰もが合理的な配慮を受けられるという考え方よりも、特別なサポートを受けるには、特別支援学級に通う考え方がまだ根付いているような感じがします。しかし、今回の研修ではフィンランドの学校現場を見た日本の学生や教員の反応が6年前と変化しているように感じました。6年前は、1人ひとりに合わせた学習環境やインクルーシブ教育の考え方に新しさを感じている様子でしたが、今回の研修では「日本とあまり変わらないような気がする。」という声が多くあがりました。これは、とてもポジティブなメッセージで、日本の教育現場がインクルーシブな考え方を取り入れ始めている変化を感じることができました。

6年前にインクルーシブ教育の考え方に出会った今でも、私自身インクルーシブな学習環境を作っていくことを意識しています。考え方は理解していても実際に取り入れるのは難しいです。しかし、インクルーシブな学びの環境を作っていこうとする考え方も、障がいを持っている人と持っていない人で無意識に分類している見方をしているのかもしれないと考えさせられました。理想かもしれないのですが、インクルーシブ教育という考え方を表に提唱せずとも、誰もが一緒に安心して学べる環境が当たり前になる社会がその先にあるのかもしれないと現地の学生の言葉を聞いて感じました。

もちろん、最初のステップとしては、一人一人に合わせた学習環境を整えることが重要であり、フィンランドの教室では一人一人が安心して学べる環境設定がされていました。下の写真は、じっと座ることが苦手で、また周りの様子が気になって集中ができない児童のために環境が整えられた例になります。

フィンランドの合理的配慮がされている教室

バランスチェアと四方を囲む環境設定があることで、同じ環境で自然に学ぶことができます。「子どもを環境に適応させる考え方ではなく、子どもに適切な環境設定をする考え方が大切にされている」のが分かります。大人が非言語で一人ひとりに合わせた学習環境を整えるサポートが、同じ教室で一緒に学ぶ生徒に非言語で伝えているメッセージがあるように感じました。一方で、日本にある適応指導教室は、不登校の子どもの支援の1つとしてありますが、この名前がもたらす影響についてはどこか考える必要がありそうな気もします。

さて、今回のnoteの記事のテーマである「Same people」。10年ほど前からインクルーシブ教育の考え方を取り入れているフィンランドでは、インクルーシブ教育の考え方の先にある「みんなSame peopleなのに、わざわざ多様性について学ぶ必要ってあるかな?」という言葉が人々から出てきています。教育の成果ってなかなか目に見えないですが、フィンランドの学校教育で学んだ人々の何気ない一言から、考えさせられる出来事になりました。

いつも読んでいただきありがとうございます。

moimoi!!!



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