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Twitterを騒がす小児性愛者問題に関して

過日、大手学習塾の講師が通っている児童の盗撮画像や個人情報をネットで共有していたとのニュースが報道され大きな話題を集めました。

ニュース記事を読んでいてもその醜悪さに目を塞ぎたくなるような内容でしたが、それ以降も多くの小児性愛者によると思われる事件が多く報道され小児性愛者に対し「去勢してしまえ」「殺してしまえ」などととても攻撃的な意見が多くみられるようになりました。


小児性愛者に関して大きな事件が起こると自称専門家たちがやたらとそれっぽく「認知の歪み」という言葉を用い、犯人を批判します。特に小児性愛に関しては心理士でも精神科でも無い人間の書いた本でもとても売れているものもあり、その中ではまことしやかに、犯人のただの歪んだ考えを「認知の歪み」として語っているものが多く存在するためそこから生まれた誤解も多くあるのだろうと思っています。


これを機に日本版DBS(無犯罪証明書)の対象を想定されていたものより広げようという話も出ておりこれについてはネット上でも多くの政治関係者達が声高に語っている様子を見たことがある人もいるかもしれません。
そこには様々な政治的意図が見え隠れしていますが私はあまり政治に興味がないので、まずはみなさんにもう少しフラットにペドフィリアの犯罪というものに関して知ってほしいと思っています。


我々精神科医の用いる定義はさておき、ここ数日小児性愛としてTwitter上で語られているのは端的に言ってしまえば小児に対し強烈な性的衝動を抱く者についてではないかと思われます。

ペドファイルの多くは男性といわれていますがそもそもなぜ彼らは児童に対し性的感情を持つのでしょうか。その一説として不完全性仮説というものがあります。

大人同士の付き合いの中で性的不全感や男らしさの不足があるため悩まされ、問題なく過ごせる子供相手に性的接触を求めるようになったという後天性を示唆するものです。

同年代の異性との関わりでうまくいかず自信をなくした人間でも抵抗をあまりしない、無防備である児童であれば関わることができる。
わかりやすい理屈ですし確かにパッと聞くだけであり得そうな話です。
ただ当然その後天的な話それだけで全てのケースが説明できるわけではありません。はっきりしていないことも多い分野ですが当然、先天的に性的対象が幼い者であったということも起こり得ないとは言えません。


小児性愛者の起こした事件が話題になる際はその対象が抵抗困難な子供であることから特に醜悪な犯罪が目立つわけですが児童を好きだからといって全員が事件を起こすわけではありません。

しかし、これを読んでいる方の中にもそもそも児童に好意を持つこと自体が受け入れられないという人が多いのではないでしょうか。
児童相手に性的欲求を満たすため何か行動をすることが社会的には許されないと言う大前提は当然として、彼らの存在自体を否定しこの世から消すのが正しいのでしょうか。

我々はたまたま恋愛対象が社会的に否定されない相手だった側にいます。

少し前まで性的マイノリティの人々も罰せられこそしないものの一時期は病気とすら言われ、社会的には受け入れられないという現実がありました。なんならまだまだ理解は十分でなく多くの壁の存在を感じている人もいるでしょう。


それとは少し質を異とする話題ではありますがたまたま、社会に受け入れられる対象を愛する側に生まれただけの我々が、たまたまそうでなかった人の存在そのものを否定するような発言をすることが正しいのかと言うのは少し気になるところではあります。

彼らは性的対象と思う相手と関係を持ち性欲を満たす事は許されず、また児童ポルノ関係の法律があるから画像などを参考に欲を満たすことすら否定されています。

当然児童を守るために仕方のないことですが、もし自分がその立場だった時に、一生我慢し続けられるか、我慢し続けられない人が出るのも理解は可能なのではないでしょうか。

これを言うと「犯罪者に共感するのか」という声が飛んできそうですが、発生を理解をできることと共感できることは全く異なるものです。

この現象の起こりを全くわからないとすればそこには想像力の欠如が存在しないでしょうか?

もしたまたま自分が性的対象と思って生まれてきたものが犯罪だったらと思うと、その生きづらさは想像に難くありません。例えば私は性的対象が異性なわけですが、同年代の異性と関わるのは違法だという国に生まれて、別に違法だからじゃあ想像だけで生きていくよと考えているのに、いや気持ち悪いから治療しろ、消えろと言われても難しい、当たり前のことではないでしょうか。

後天性のものに関しては治療が奏功することもあるでしょう。しかし先にも述べたように全てのものが後天的なものかどうかすらまだ分かってはいないのです。
もし先天的に持って生まれた性的対象を、事件を起こす気もないのに変えるのが治療と言われたとして、どれほどの人が受け入れられるでしょうか。
まだその発生が完全に解明されていないものに関し結果だけを見てさも本人のせいかのように存在を根幹から否定する、この危険性に気づいて欲しいのです。

忘れていけないのは性的対象が違法であることと罪を犯すことが別事象であるということです。そもそも性的対象が合法な相手であっても違法なことをしたら違法です。

こういう話をすると必ず出る、今回もここまで読まずに条件反射で言ってくる人が出るのが目に見えていますが、「じゃあ自分の子がペドフィリアの被害にあっても許せるのか」という論点のズレた全く別の質問があります。答えから言えばそんなもの許せるわけはありません。それはペドフィリアであろうとそうでなかろうと、どんな人のどんな加害でも許せない、当たり前の話です。

ただそれと、そういう人たちの存在自体を根幹から否定するのは全然別の話なのではないでしょうか。

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