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僕のあげる凧は僕の血液だけでできているのだろうか? / エッセイ

2019年の年末。僕は祖母の自宅にある仏壇の目の前に座っていた。光り輝く仏壇。垂れて粒の塊が多く実っているロウソク。年季の入ったリン。ちょこんと供えられた最中(今年のM-1の最中ネタ最高だったなぁ)。そして黒スーツを着用している僕の祖父の写真があった。線香を備え、ぴーんとリンを鳴らし、僕はその写真をぼんやりと眺めていた。

僕の祖父は、物心着く前に亡くなってしまった。カメラを職業としていて、常に厳しく、孫には優しい、そして周りから愛される、そんな人だったらしい。祖父については今まで両親や祖母からたくさん話を聞いた。しかし正直にいうと、物心つく前に亡くなってしまった祖父の実感がほぼほぼ僕には無かった。自分にとって祖父はあくまで情報で固められた人物で、その情報群を祖父のメタデータと思い込むことで納得していたのだ。だから今僕の目の前にある祖父の写真は、僕にとって血の流れていないただの2次元情報にしか見えてなかった。生まれてから23年間。ずっとそう思ってきた。

その夜、親戚集まって年末恒例の宴会を実家のすぐ隣の居酒屋で行った。若い人は僕だけで、ほぼ僕の両親世代の人で構成されている。もちろん祖母もそこにいる。こういう食事会のときはいつも祖母は、あまり会話に入らず、ただ僕たちの話を楽しむかのようにすみっこに佇んでいる。

宴会が盛り上がり始めた中頃、自分の口からふとこんな質問が溢れた。

「親父がパソコンを好きになったきっかけってなんなの?」

今まで通ってきたつくばにある情報系の大学をそろそろ卒業(見込み)するのもあり、ここ4年間を踏まえて自分の大学生活を振り返ることが多くなった(とは言っても同じ大学の大学院に進学するのだが)。自分の学類(学科)のこと。同期のこと。大学の建物。つくばという街。そして自分が情報系を学んでいたということ。

情報系を学ぼうと思ったきっかけを考えてみると、やはり小さい頃からパソコンに触れてきたという面が大きかった。しかし家にWindowsのパソコンがあったというレベルではない。マウスで操作する前のキーボードだけで操作する(CUIベース)パソコンが自宅には大量にあった。子供の頃はそんなもの気難しくて触りもしなかったが、なぜ親父はそんなものをたくさん持っているんだろうという疑問はあった。

「それは、子どもの頃家にパソコンがあったからだよ」

赤く提灯のような顔になった親父は淡々とその文字列を口にした。その後も親父はBASICやらなんやら今となっては古典文学となった技術にはまり出してその延長に今があると言った。その時親父が子どもの頃からパソコンをいじっていたということが妙に引っ掛かった。

「お父さんがパソコンを買ってきていたよねぇ」

テーブルの隅っこでダンマリ黙っていた祖母が口を開いた。僕はそんな祖母の話を黙って聞いていた。

「お父さん、いつも新しい物好きで好奇心旺盛で、だから仕事も当時では珍しいカメラマンだったし、そんな性格もあってパソコンも買ってたねぇ」

祖母は天にいる祖父と目と合わせているかのように、上を向いてそんな話をした。その話を聞いた途端、背筋にピリピリと電流が流れ始める心地がした。今の僕はなぜ情報学を学ぶ状況いるのか疑問に思い、自分のルーツが親父のパソコンにあると考えた。でも実際は少し違った。親父のパソコンのルーツは祖父のパソコンにまで遡った。つまり、自分が今こうしてプログラムを書いているのは祖父のパソコンから来ていることになるのだ。

それを知ったとき僕は泣きそうになった。涙は出ないけど、けど、久々に心にジーンときた。それまでは実感のない祖父とともに23年間生きてきた。けれど、パソコンを触る時いつも血の通った祖父がそばにいてくれてたじゃないか。こんなに近くにいたんだね。本当にそう思った。

一人で目頭が熱くなりそうな状況の中、母が僕の顔を覗き込みそうになり、僕はそれを誤魔化すように炭酸抜け切ったビールを喉に通した。

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飲み会から数日たったお正月三が日。久々に家族が皆揃った。五人家族の綺麗な核家族だ。4,5歳離れた姉貴がお正月だから久々に凧(たこ)がしたいと言い始めたので、今家族5人で凧をしている。正直いうと子どもの頃は凧なんて一切やってこず、それよりも当時はポケットモンスタールビー・サファイアに夢中だった。親父はカメラを構え、母を天気の良い青空を見渡し、兄貴はどこか変な所に突っ立て、僕と姉が率先して凧をする。しかし、二人とも凧揚げに慣れてないため、なかなか凧は上がらない。それを見て親父がわかってないなと言いたげな顔つきで僕と姉貴に凧をあげるコツを教える。そうすると僕と姉貴の凧は空高く宙を舞った。

高く上がった凧を見ながら僕は、親父から教えてくれたこの凧揚げのコツも、もしかしたら祖父から子どもの頃教えてもらったものだろうかと考えた。そう考えると、今こうして凧が高く上がり、それを家族5人で見上げるこの状況にも祖父の血を感じ。そして僕は、高く上がった凧を通して、祖父と目と目を合わせた心地がした。風がやみ凧が落ちてくる。凧が地面に着地した途端、飲み会の時に出かかった涙が自分の顔から一粒二粒こぼれ落ちた。僕は家族にバレないように残った涙を袖に吸わせ、凧を持って家族の元に帰った。

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