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過ぎたるは罪のごとし

 表題は遠藤周作さんの言葉です。最近思うんすけど、自己肯定感を高めていく先に何か失うものもあるんじゃないか?って話です。

 ハローハロー花粉が通り過ぎて晴れ晴れとした気分の今日この頃の私です。皆様はいかがお過ごしですか。
 私は双極性感情障害を患っています。それはもう、症状が最初に出た時はそりゃあひどいもんで警察に保護されて入院になりました。でも今日はそんなパンチがある話がしたいんじゃなくって私の診断書に昔、
「自己肯定感が低い」
 と書かれていたことがあって、それで自己肯定感が回復するように願いながら趣味の切り絵に精を出したり、父との不和と向き合ったり(他界しましたが)する日々が続いていたのですが、あれ、ちょっと待てよ、って思ったんです。
最近の自分は心のことに人並みより詳しいという実感があって、それで自己肯定感が高い状態を保ってると思ってるんですけれど、自己肯定感が高くなったことで失ったものもあるんじゃないかと思ったんです。
 自分に自信がある。それはとてもいいこと。人にやさしくなれる。それもとてもいいこと。でも、自分に自信があることで人を見下げるように最近なっていやしないか、とか、人にやさしく接することを基本にしすぎて、見返りを求めるような、どこか利己的な性格になってしまっていやしないか、そんな風に思ったんです。
 たとえば悩み事を打ち明けてくれた人がいたとする。
 私は自分の弱いところを認められるのは強さだというスタンスだけど、それを口に出して相手に伝えるのはなんか違うじゃないですか?あえて言わない美学があるというか。
 お祭りとか市民活動とか、そういうご近所さんと知り合いになる機会が少ない今の時代ではSNSが流行っている。SNSというのはリアクションが良くないとつまんなく感じるような仕組みになっているものばかりで、ややもすると伝える努力が「過ぎてしまう」ようになりがちだと思う。
 自分の大切な経験や悩みを顔も合わせたことのないような人間にあっさりと話してしまったり、下手をすれば悪く利用されてしまうことだってあるでしょう。いい人でいようとする努力、これも過ぎてしまえば人を振り回したり、見返りが欲しくなっちゃったり、自分は優れていると思うことで人の優しさを過小評価するようになっちゃったり。自己肯定ができるのはとても素晴らしいことだけど、お山の大将よろしく人よりも優れている自分の思想を相手に押し付けることで相手を余計に不安にさせちゃったり。
 でももちろん、自分を否定するのもよくない。あれもダメ、これもダメ、と言いたいのではなくって、私の結論は、
「結局は普通が一番」
 これに尽きます。人の目を気にするSNSを開かずに今夜は読書をしたいと思う。原田マハ著 「板上に咲く」を買ったんです。楽しみで楽しみで仕方がないです。なんかさ、人生、ああしよう、こうしよう、こうしなきゃ、これやんなきゃ、みたいな追い立てられるように過ごす必要のある時もあるけれど、そうでないときは、人より優れてなくたっていいし、自分をあえて損なっていく必要もない。ありのままの自分に素直になる必要だって下手すりゃない。虚勢を張ってでも守りたい自分がいるのかもしれないし。だから、普通な自分にどんどん気づいて、その「普通」をより理想の自分にブラッシュアップすること、向上心を持つとしたらこういうことかもしんないなぁと思いました。
 末筆ですが、筆者は絶賛彼女募集中でっす。これを読んだ皆様、みんなで恋に堕ちましょう。

 今日も良い夢を。
 明日も良い目覚めを。

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