ノイズ

 ハローハロー地球の民よ。僕は愛知に住むしがない切り絵作家で、新作を作るためのノートを深夜0時を回った今、エナジードリンクのみてーとか考えながら書いている変態です。
 いつからか僕らの周りの時間は機械によって圧縮されて、人間には息苦しい労働量と労働環境になってしまったように思う。僕は躁うつ病で障がい者で陰キャでコミュ障。現代社会にはとことん形を合わせることのできないクズです。
 そんな僕でも生きていかなくてはいけない。でも、障害を抱えていると世間はなんと辛いところでしょう?仕事の面接で精神病をオープンにするならば一般就労は無理、障がい者就労が無難だけど、障がい者就労ってそんなに給料がよくないし、30代も半ばになった僕にとって、「障がい者として生きていく」ことはあきらめることがあまりにも多い。そしてそれが辛い。まず友達付き合いが無理だ。お金がなさすぎる。付き合いたい友人というのも病気を持ってない人がいいと思ってしまう。そりゃそーなんすよ。共倒れをするリスクのある相手ばかりの付き合いなんかしたくない。

 無理して一人で夜の街に繰り出したこともあるけど、お財布の中身を気にしながら歩く夜の街なんて恐怖以外の何物でもない。恋人が欲しいと思ったってそれもきっと無理。だって土台を作るための人間関係がお金がなくって外に遊びに行けなくって作り上げることができないから。
 人から、あなたはどこが病気なの?って聞かれることがある。一見、すごくありがたい言葉だ。でも有難くなんかない。だって、どこが病気なの?は、病人とは到底思えないぐらい普通の人に見えるってことで、そう思われているってことは僕の本来の苦悩は僕の虚勢によって見事に隠すことに成功してしまっているのだから。誰も理解してくれない俺の苦悩よ、心の影よ。
 美輪明宏さんが言うみたいに虚勢を張りながら生きていくしかない。虚勢を張って一般就労を狙わなきゃ人並みの幸せなんて手に入りようがない。一般就労をするってことは普通の人間の化けの皮をかぶって2倍気を使って2倍速で体力が消耗していくようなこの体にムチを打ち続けるということだ。無理だよ。社会人なんて無理だよ。そう白旗をあげるならあきらめたように障がい者として生き、人に配慮される前提で仕事に臨み、それにも絶望したら首をくくるような努力をせざるを得ないと思う。だって、障がい者年金が降りない環境で生きてきたんです。

 俺は(一人称を変えるけど)一般就労に憧れがありました。障がい者として就労して一般就労に何とかなって5年勤めた会社を病気が理由で退職しました。具体的に今どんな風に生計を立てているかは言いたくないけれど、5年間一般就労を目指して勝ち取って、それでもダメだ、俺どうしてもだめだ、そう思い詰めるくらい頑張りすぎたことが仕事をやめた原因で、「一所懸命がんばったこと」がアダとなって俺は障がい者年金がもらえない。そんな風だから、今は雇用保険を切り詰めて使いながら細々と生きています。せめてこの悔しい経済的な状況下(パートのフルタイムからの雇用保険なのでもらえる金額は最低ラインぎりぎりです)でもらえるものはもらい尽くしてやるって考えています。社会について考えることもできる。エクセル・ワードができる。プログラミングの資格がある。絵のコンクールで入賞経験がある。でも、そんな俺でもきつすぎる一般就労、社会に浮上できないのが障がい者年金の申請が通らない、中途半端な状態に仕上げているのが今の日本だと思う。

 いつからか、俺の身の回りはノイズだらけになってきている。ヒマさえあればリビングでついていたテレビの代わりに現在では独り暮らしになって配信アプリが、音楽系のサブスクが、常に音がないと生きていけないようになっていた。まずい、と思った。それで、よくよく考えてみたら、機械によって圧縮された時間のはざまで病気でない人も相当苦しいのだと思う。俺のように病気が追い打ちをかけているか、かけていないかの違いだけで。
 ネットを見渡すと儲け話がわんさわんさとある。でも全て悪だと思う。投資で4万ほどかければAIが1年後には100倍の資産にしてくれるだとか正気の沙汰じゃない。そんな夢みたいなことができる話が本当であっても、そもそも障害を抱えるほどナンのある俺の脳みそで解けるパズルじゃないと思う。そもそもアレって100の詐欺話の中から1の本当の話を見抜く千里眼が必要で、そんなもの持ち合わせているのなら障がい者などというレッテルを貼られているわけがない。このあたりのことについては貧乏だったり障害だったりっていう自分の環境は良いな、と思う。

 んで、いろいろ考えたわけ。そしたら古い友人のSNSの投稿が自給自足に関する投稿で、あぁ、そういう生活良いなって思ったわけよ。ノイズがなるべくないところで、同じ志向の仲間で集まり、理想的なコミュニティを作る、それが俺にとっても理想だなぁって思ったわけよ。

 いつかさ、テレビで見たんだよ。人が生きていくには社会的コストというものがあって、林修先生が言ってたんだけど、電車に乗る、ごみ捨てたらゴミ収集車が拾いに来る、街には街路灯が付いている、道路は割れたら修繕にくる、払ったこともないコストたち。そのコストを試算したら人間の労働はとてもじゃないけどウン百万のそのコストを取り返すことすらできないのだって。
 もうさ、きっと資本主義社会なぞ限界なんだと俺は思うよ。70億人いる世界中の人が一人一台スマホをもって、年に一回は飛行機に乗って旅行に行って、配達はドローンと車の併用になって、そんなの社会的コストがどんだけ上がんだ!?人一人の生産がどれだけ虚しいものになんだ?みんな何をモチベーションに働くんだ?金か?金だけならもう投資がお得意なAIに我ら人類は負けてんじゃないの?んで、投資するお金のない障がい者の中でも年金ももらえない半端者の俺は死ぬしかできないんじゃない?腹立つ~世の中。

 と、いうわけで考察を深めたところで「ノイズ」っていう作品制作に入ります。世間の声、いつしか当たり前になった電子音、広告ばかりが目に付いて大概が買うことなんて絶対できない商品の数々、真っ向から否定したいけど、そんな大層なものを作れる頭脳がないから俺は障がい者なんだろうな…。

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