無理やりポジティブなことを言うと幸せになれるのか?

無理やりポジティブなことを言うのには意味があるのだろうか。

私は、結構不幸な顔をして生きている。
けれども、人様に読まれるかもしれない場所では、
できるだけ明るくしようぜベイベベイベベイベ(つまらない)
と思ってる。けれどネガティブ思考だ。

ポジティブ思考というのは、生まれ持ったものなのか?
それともポジティブ思考は手に入れられるものなのか?

産声の意味が、「生まれてきてすいません」だった人はそうそういないだろう。

みんな赤ちゃんは、生きるために努力している。
それは単純な生きたいというポジティブな目的のために。

つまり、私たちは基本的にポジティブから発生したとも言える。
そしたら、今のネガティブは、ネガティブな情報を選択しやすい遺伝的要因と環境要因によって生じているだろう。

基本的にポジティブにオンギャーした私たちは、環境さえ整って、無理やりポジティブに考えを矯正する訓練をしていれば、ポジティブになれるのかもしれない。

私はポジティブになったことがない。
現象に対するポジティブな答えを知ってはいるけれど、自分で納得できるのはネガティブな答えばかりだ。

ポジティブになることで世界がどう見えてくるかを知らない。
だから、私は一度ポジティブになってみたい。

死にたくて溢れる言葉も、
小さなことで傷つき落ち込む夜も、
私にとって意味のあることなのだけれども、

単純に疲れてしまった。
ネガティブはとても疲れる。眠れないし。
だからもう少しポジティブになれたらと思う。

今日から「無理やりポジティブ週間」を始める。
とりあえず一週間、無理やりポジティブに、
全ての自分の行為を肯定してみる。
それがいいか悪いか別として、
ポジティブ初心者なので見境なしに肯定することから始める。

一週間後、また続けたいと思えるのだろうか。
とりあえず一週間後の自分にまかせよう。

今日はなにもしてないけどねる。
そんな日があっても、いいよね。
おやすみなさい。

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