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大人げのない文人たち

 文章が人格をあらわすとすれば、書き表したものは年相応の経験が反映されて然るべきだ。若書きという言葉があるように、若い頃は思いが表現に先行して筆が滑りがちになる。私自身、若いころは論理性のかけらもない、わけのわからない文章ばかり勢いで書いていた。若い芸術家であれば舌鋒鋭く、感性を思うがままにぶつけることができる。しかし、尖ったロックミュージシャンも、中年壮年になればたいがい、やさしく丸い音、愁いを帯びた歌詞に変わってくるものだ(多少の例外はあるだろう)。同じように、ものを書く人の書くものも、分別を学び、経験を重ねて人の悲しみ苦しみを知ることで、表現が理路整然とし、落ち着いてくることが多いのだと思う。

 しかしときおり、いい歳をした、しかも知識人と言われるような人の筆が滑っているものを見かけると、なんだか嬉しい。分を弁えた「いい大人」が我を忘れて筆に思いをぶつける姿に、言い知れぬ美しさを感じる。たとえば中国文学研究者・竹内好の論文「中国の近代と日本の近代」は魯迅を媒介として日本文化の弱点をえぐった優れた文明批評だが、そこにあらわれた次の一節をみていただきたい。

 日本文化は優秀である。まったく、それはそうだ。優秀な選手たちが、真剣になってきずいたのだから、優秀でないわけはない。優等生たちが優秀だというから、劣等生である人民も、そうだと思わぬわけにいかない。……優等生が代表選手になって国際競技で勝てば、それは劣等生にとっても名誉なことだ。劣等生は優等生を応援しなければならぬし、応援するだろう。かれらは勝つだろう。かれらは優秀だから。ところが負けた。……
 そこで選手交替だ。だが、交替した選手も優等生だ。なぜなら、優等生でなければ選手になれるわけがないから。士官学校の優等生が帝国大学の優等生に変っただけだ。……
 そうだ。教育は成功するだろう。敗戦の教訓に目ざめた劣等生は、優等生に見ならって賢くなるだろう。優等生文化は栄えるだろう。日本イデオロギイに敗北はない。それは敗北さえも勝利に転化させるほど優秀な精神力のかたまりだから。見よ、日本文化の優秀さを。日本文化万歳。

 日本の優等生文化への批判からはじまって、興奮のあまり万歳を唱えてしまった。末尾の段落のドライヴ感は秀逸で、その辺のにわかラッパーなど尻尾を巻いて逃げ出すように思える。また、この論文の冒頭は「ヨーロッパ」が、まるで韻を踏むように連続で出て来る。最初の5ページで30回以上「ヨーロッパ」が使われる。たとえばこんな具合だ。
「ヨーロッパが、たんにヨーロッパであることは、ヨーロッパであることでない。」
 ――好(ハオ)さんよ、rhymeが弾けすぎているよ!(※政治思想史家の丸山眞男は竹内好をハオさんと呼んでいたという。)
 まったく詩を書く意図はなくとも、これを書いているとき、竹内好は間違いなく詩人だったろう。大学院の同期生と、彼の部屋で深夜にこの一節を読み、深夜独特のテンションも後押しして、二人で泣き笑いで歓んでいたことを思い出す。竹内がこれを書いたのは1948年で、彼が38歳の時のはずだ。研究者として現在なら中堅に差し掛かるところだろうが、世俗的にはおじさんといわれて不自然のない年齢だ。私は今、この論文が収録されたちくま学芸文庫の『日本とアジア』を座右においている。自分がおじさんになった今こそ、時折読み返して燃料にしたい文章だ。本旨はもちろん重要だろうが、こういう文章の味わい方もあってよいはずだ。

 もうひとつ、筆が滑っているわけではないが、いい大人の感情の迸りが書かれた事例を紹介したい。萩原朔太郎の「中央亭騒動事件(実録)」は、詩人の集まりにおける感情のぶつかり合いを、できるだけありのままに記そうとしたもので、むしろ筆が奔らないように、懸命に抑えながら書かれたのにもかかわらず、濃厚な熱情が溢れ出てくる文章だ。
 この話は、日本詩集の記念会で出席者の野口米次郎が演説したことから始まる。その演説は野口の詩に対する朔太郎の批評に不満を述べるものだったが、朔太郎はむしろ野口の誠実さに感動する。興奮した朔太郎が勝手に壇に上がって意味不明の演説をする。そのなかで野口を「先生」と称したことに「先生とは何だ!先生という必要はない!」とヤジを飛ばされ(たと思って)、もやもやした思いを抱く。朔太郎が席に戻って、なにかのきっかけで朔太郎の向かいの尾崎喜八がまずキレる。これに呼応するように、なぜか先ほどのヤジがもう一度聞こえた朔太郎もキレた。ヤジの主である岡本潤がつかつかと朔太郎に近寄る。そして岡本は優しく朔太郎に語りかけたのだったが、親友の朔太郎が危ういと誤解した室生犀星が、友を助けようと椅子を振り回しながらやってきて暴れる。その時には朔太郎は冷静に戻っており、込み上げるおかしさに耐えながら突っ立っている。周囲の詩人が犀星を抱きとめて抑える。このような一連の顛末があったのち、以下のように続く。

これで一切のことがすんでしまつた。驟雨に洗はれた後のやうに、何もかもさつぱりとなり、寫眞師の殘したマグネシユームの煙と一所に、すべての鬱積した空氣が窓から消散してしまつたのである。最後の室生君の一場は、昔の粗野な書生的友情が囘想されて、取りわけ私にはなつかしかつた。その上にも犀星らしき自然のユーモアが感じられ、ふしぎに人々の結ばれた心を解きほごした。それ故に散會する時、だれもが親しい微笑を交してあいさつした。私もさつぱりとした氣持ちになつて、岡本君とも愉快な微笑を交換しながら、輕い歩調で戸外へ出た。戸外には初夏のしつとりした空氣が流れてゐた。無邪氣な詩人の會合にふさはしい夜であつた。

 いやいや、みなさん好き放題暴れておいて、勝手に愉快な親しい微笑を交わしているんじゃないよと突っ込みたくなる。しかし、無邪気な詩人の会合の顛末に、台風一過のような爽快さを感じることは事実であって、微笑ましいような、なんとなく悔しいような。

 「大人の世界」では、感情をそのまま露にすることはみっともないとされ、論理の回路に置き換えて語ることが暗黙のマナーだ。みな「大人しく」筆を運ぶ。だが、感情をむき出しにする権利もあろう。感情を超える論理などあるわけがないのだから、論理の上限からはみ出した部分は自然に溢れ、こぼれるに決まっている。
 こうして、大人げない文人の事例を思いつくままに紹介してしまったが、彼らの感情の昂ぶりにつられて、この記事も少し、筆が滑っているかもしれない。

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