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過去に向き合い、行き先を探す

 日本人には消せない闇がある。1945年の終戦とか敗戦と言われる事象を一応の終点とする一連の対外的な軋轢は、いつまでも日本人にとって、のどに刺さった魚の骨であり続けている。そこに至った経緯については社会・人文科学系を中心とする各領域の専門の研究者たちが議論を深めていることだろう。

 しかし、学問的な追究とは別に、現在に暮らし、平和を求める一人の国民の問題として考えた場合、我々はそれとどう主体的に向かい合って理解し、消化してゆけばよいのだろうか。それが70年以上経った現在もなお深い禍根を残している原因について、なんとなく直感されることは、なにやら我々自身の根本的な性質が関係しているのではないかということ、そしてそれがゆえに、時には歴史の皮膚感覚とでもいうようなものに触れるほどに、さかのぼって考えなければならないということである。以下は、そのようなことに気づいていたかもしれないいくつかの先人の言葉を引用しながら、思いつくままに放言したものに過ぎない。

 映画監督であった伊丹万作(伊丹十三の父で大江健三郎の義父)のエッセイ「戦争責任者の問題」は、映画連盟の名で戦争責任者の追放を行う運動に名前を使われた伊丹が、その発起人から名前を削除することを要請するという内容である。このエッセイは映画雑誌『映画春秋』への寄稿文であり、平易な言葉で書かれてはいるが、伊丹が戦争責任追及の発起人を辞する理由を述べる過程で、日本人の政治観念についてのかなり鋭いえぐり込みが行われている。

 まず伊丹は、戦争中の事態について国民がこぞって「だまされた」と釈明していることにつき、「だました」という人間がどこにもいないことを指摘する。そして、結局のところ日本人全体がだましたりだまされたりを繰り返していたことを見抜いた後、「だまされた」国民の問題点として、以下のように続ける。

だまされたものの罪は、ただ単にだまされたという事実そのものの中にあるのではなく、あんなにも造作なくだまされるほど批判力を失い、思考力を失い、信念を失い、家畜的な盲従に自己の一切をゆだねるようになつてしまつていた国民全体の文化的無気力、無自覚、無反省、無責任などが悪の本体なのである。
 このことは、過去の日本が、外国の力なしには封建制度も鎖国制度も独力で打破することができなかつた事実、個人の基本的人権さえも自力でつかみ得なかつた事実とまつたくその本質を等しくするものである。

 この個所は、本エッセイのうちのもっとも痛烈な指摘であると思う。こうした認識のもと、伊丹は戦争勃発後にずるずると状況に引き込まれていった自分自身をも批判的に見つめる。

 もちろん、私は本質的には熱心なる平和主義者である。しかし、そんなことがいまさら何の弁明になろう。戦争が始まつてからのちの私は、ただ自国の勝つこと以外は何も望まなかつた。そのためには何事でもしたいと思つた。国が敗れることは同時に自分も自分の家族も死に絶えることだとかたく思いこんでいた。親友たちも、親戚も、隣人も、そして多くの貧しい同胞たちもすべて一緒に死ぬることだと信じていた。この馬鹿正直をわらう人はわらうがいい。
 このような私が、ただ偶然のなりゆきから一本の戦争映画も作らなかつたというだけの理由で、どうして人を裁く側にまわる権利があろう。

 平和主義者で、精神の「家畜的な盲従」をこれほどに批判する知識人でさえも、戦争がいざ始まってしまうと、自身の生存本能には逆らえないという苦しみが、ここにはある。


 あるいは武田泰淳『風媒花』にみられる、次のような主人公の講演の一節には、他人事として戦争をやり過ごした自責の念が、やりきれないかたちで披露されてはいないか。

「今度の戦争をふりかえってごらんなさい。…実に無数の人間が人間によって殺されている。愛国的殺人であろうと売国的殺人であろうと、殺人行為にかわりはない。自ら手を下さなかった人々といえども、何らかの形で殺人にかかわりのない者はいない。我々日本人のほとんど全部、否世界の人間のほとんど全部が殺人に参加したと言ってもいい。殺されながら殺し、殺しながら殺す。無数の媒介物によって、知らず知らずのうちに、どこかで誰もが人殺しに関係している。しかも現代の一番おそろしい点は、殺人者が時がたてば自分の犯した行為を忘れられるばかりでなく、時によっては、自分が人殺しであることを知らないですむ点にあります。お互いに知らないですむ以上、罪も罰も問題にはならない。自分の犯行を知らない人々は、死ぬまぎわまで自分はたんなる善良平凡な市民であると信じて生きて行かれる。…」
太字は原文での傍点箇所)

 我々は、議員がだめだ行政がだめだ内閣がだめだと罵ることによって、社会の環境が整わないことを済ませがちである。もちろん政府を監視し、その無能を衝いて批判し、働きかけて矯正するというのは民主主義の重要な機能である。しかし人は往々にして楽に流れることを、肝に銘じておかねばならない。主語を「国」にすれば、我々は世界に対する責任の所在をあいまいにし、他人事として片づけることもできる。戦争になったとしても、政府の無策によってこうなったと言い訳することができる。しかし日本国民である以上、国民は憲法によって国の主権者とされている。国家が悪をなした場合の責任を為政者になすりつけることと、為政者を諫めることとは、混同されてはならない。

 憲法の「押し付け」論がいつまでもなくならないのは、その制定過程がどんなものであったかという事実関係に存するのではなくて、自分たちの国として奉じる根本原理を自分たちで考え抜いてこなかったというコンプレックスがつきまとっているからである。1946年に公布された日本国憲法は、まったく新しく創造されたものではない。1889年に公布された大日本帝国憲法が改正されたものであって、日本国の根本的な体制が君主制であることは否定されていない。

 10年前の東日本大震災において、今なお印象的に覚えている場面がある。避難所を見舞った当時の内閣総理大臣に、避難所に集う人々は石を投げ、声を荒げた。しかしその後天皇皇后両陛下が見舞った際、避難所の人々は涙をこぼしてその手を取り、感激していた。極限状況に置かれたときの、天皇という存在がいかに重要なものであるかということを、まざまざと知らされるような場面だった。このことは裏を返せば、将来もし同様の極限状況(戦争状態もそのひとつになりうる)に置かれた場合に、政府の最高責任者では収拾をつけることができず、終戦時に天皇が「聖断」を下したように、お出ましを願わねばならぬのではないか。国家を支える機軸をどこかに求めるとしたら、それは国民の内にはなく、国の最終の責任を取るのは、政府ではなくて結局天皇なのではないか。そういうことを日本国民は、直感的に嗅ぎつけているのではないか。


 国家の成り行きや世界の趨勢を「他人事」として生きて行くことが、果たしてそんなに悪いことだろうかという思いも、ひとりの生活者としてはぬぐい切れない。意図せずして巻き込まれていくのが戦争である。渡辺京二『明治の幻影』において、司馬遼太郎『坂の上の雲』を再読した感想として述べられていることは、日本人は日露戦争をどうしても戦わねばならなかったのか、「私(渡辺氏)がその時の日本人だったらこの戦いで死を覚悟せねばならなかったのか」という一点であるとする。そして続けて、次のように書かれている。

一九〇〇年当時の人類は国民国家という生存形態からはずれて生きることはできなかったということだ。…
 そしてこの国民国家なるものは、徳川期日本もそのひとつである近世国家とは重大な一点で決定的に相違していた。すなわち、近世国家においては統治者以外の国民はおのれの生活圏で一生を終えて、国家的大事にかかわる必要がなく、不本意にもかかわらねばならぬときは天災のごとくやりすごすことができたのに対して、近代国民国家においては国民は国家的大事にすべて有責として自覚的にかかわることが求められた。

 田舎の農村で生まれた凡夫たる私は、ここに述べられた「近世」以前の生き方が、とても好ましいという気持ちもある。世俗を離れたしずかなくらしを求めることは、果たして国にとっての害悪だろうか。ただただ平穏無事に暮らしていきたいという消極的な理想を求める人は、おそらく少なくはないだろう。

 だが、国家というものを前提とする以上、関心があろうとなかろうと、適性があろうとなかろうと、自らの所属する共同体の運命を自分事として引き受けなければならない。これは民主主義の残酷さともいえる。選挙における「投票に行きましょう」の呼びかけが象徴するように、日々を平穏に暮らして足りる民草でさえも、極限的な決断を伴う政治の世界に引きずり込まれていく。自由民主主義というときの枕詞につく自由とは、意思表示の方向性についての自由であり、意思表示するかしないかの自由ではない。


 ひとりの人間にとって、国を動かすというのは、恐ろしいことなのである。ひとつ間違えば大惨事となる。国を動かす政治的駆け引きの汚さやしたたかさを知りつつ、それを悪しき権謀術数として使わないようにするという、ある種の倫理的な精神修養は、第一には政治家に求められる努力であろうが、国民国家を前提とする民主主義制度では、政治家の監督者たる我々自身にも等しく求められる資質なのではないか。そう考えたとき、人生の問題を解くことすら困難な個人が、果たして共同体の究極的決断をこなしてゆけるのかとめまいを催すような気持ちになる。

 わたしは、あなたは、われわれは、あなたがたは、社会は、市民は、日本は、世界は、どのような政治的決断をするのか。決断する覚悟が、果たしてあるのか。国と世界は小さくなり、個人個人が国や世界に発信できる日常が、今ここに存在している。個人間に生じた小さな波紋が、たちまち世界を巻き込んで崩してしまうような、そんな危ういバランスで、現在の世界はよろめき立っているのではないか。そう考えるのは単なる妄想だろうか。

 平和の誓いの第一歩として、「戦争をしない」の決意はまったく正当で、尊いものである。ただしその内容が突き詰められないまま上滑りすると、「戦争をするな」という単なるスローガンに落ち込み、戦争を予防するために戦争するという論理に打ち勝つことが難しくなる。近代以降の戦争は当事者からすると、すべからく自衛戦争・予防戦争であったことを充分に知っておく必要がある。多くの人から真顔で「おまえは戦争を防ぐために戦争していることに協力できないのか」と言われたときに、反論することは案外難しいかもしれない。個人レベルの不始末に対して熱くなることを繰り返す国民が、世界規模のなんらかの非人道性に対して怒りを抑えて攻撃をやめられるかどうかは、よく気をつけておかなければならない。

 一人一人のその決意のさきに、どんな具体的行動があるか。変わりゆく状況のなかで、変わらない人間の倫理規範はどこにあるか、考え続ける胆力が必要となる。常に疑って考え抜くなかで、国を動かす不気味な力との適切な距離感をつかんでいかねばならない。意識の高さだけに酔って満足していては、同じことを繰り返し続けるのではないだろうか。

 それにしても、「私は平和を愛する」と一言書けば済むことを、このようにだらだらと弁を弄することに、いったいなにほどの意味があるのか。書きながら、身体は冷えているのに腋の下から汗が滴っている。極度の緊張を示すこの腋汗は、薄暗い過去に向かい合うという営みが、私にとってのっぴきならぬ事態であることを証明している。この時期になるといつも、出口のないこうした迷路をぐるぐるとさまよい歩いて、最後は何もない原っぱに突っ立っている。まだまだ知恵が足りないと思う。



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