23歳で遊びのメニューを食べ尽くした話

私は、もうすぐこの世に生まれて満23年が経つ。けれど、遊びのメニューを食べ尽くした気がする。飲み会とか、オシャレとか、メイクとか、カラオケとか、ドライブとか、遊びのバリエーションに飽きたのだ。だから私は早く結婚したいし、早く子どもを育てたい。

下の言葉たちに出会ってから、”今の手持ち無沙汰感”が「遊びのメニューを食べ尽くした」という表現で言語化されていてしっくりきたし、早く子どもを育てたいとより強く思うようになった。

人生は80年もあって暇だ。子どもでも育てないと暇だから、人は子どもを産む。

そして実際に、子育ては最強の暇つぶしだと思う。遊びのバリエーションというのは限界がある。10代で順調に遊び始めて26歳くらいまで目一杯に遊び続けていくと必ず飽きる。

現に私は飽きた。飲み会もカラオケもクラブ遊びもお花見もBBQもタコパも楽しいけれど、何年か経つと、そのルーチンに飽きてくる。

旅行もたかが知れている。どこに行こうと、だいたい似たような疲労感を溜めて帰るだけだ。

(今日の引用はすべてここからです)

この言葉がそのまんま過ぎて。前田裕二ほど密度の濃い人生は送ってないかもしれないけど、私は23年間で、両親の離婚、再婚、転校、9回の引っ越しとか、人の2倍濃縮の人生は送っている。

それに、だいたいの遊びは大学時代にやり尽くした。休学して1年多く過ごしてたから、当たり前か。カラオケオール、鍋パ、タコパ、宅呑み、温泉、映画、浜辺でチル、キャンプ、BBQ、海外旅行、国内旅行、富士急、ディズニー、バイト、ヒッチハイク、バックパック、workaway、シェアルーム、一人暮らし、寮生活などなど…

今もたまに遊ぶのは楽しいけれど、毎日はいらない。「若いうちは遊んどきな」とよく年上の人は言うけれど、”enough! もうお腹いっぱい!”って感じる。だから私は新しい遊びを求めている。手持ち無沙汰感を埋めるように、ウクレレとか、ウォーキングとか、ボルダリングとか、ライティングとか、興味のあることはやってみている(ほとんど朝に。夜なんとなく呑みに行くより、朝に自分の興味あることをやった方が楽しい)。「ワクワクすることだけで生きていたい」と常に思っている。

子育てという新メニューを人生に早く追加したい

要は、私は遊びのメニューを食べ尽くしたのだ。期間限定メニューは時々あるけど、通常メニューは全制覇!その先へ行きたい。手持ちのメニューを増やして、もっと遊びたい。もっと違う種類の遊びをしたい。下田美咲さんは、こんな言葉で書いている、

子どもを持たない限り、手元のメニューはずっとリニューアルしない。美味しいけどもう飽きているハンバーグや、もうワクワクしなくなったパフェしか選択肢がない毎日が連綿と続く。

私は26歳を過ぎた頃から、子どものいない人生に完全に飽きていた。「もう、子どもを産んで育てるくらいしか、楽しそうなことが思いつかない」と思ったから、私は出産をすることにした。
「子どもができると自由がなくなるよ」「やりたいことができないよ」と言う人がいるけれど、逆だ。子育ては私にとって新しい遊びだし、自由を手に入れた今だから選択できるようになった「やりたいこと」でしかない。

なるほどと思ったと同時に、自分もこうしたいと思った。

世の中の遊びに飽きたから、大学で子どもの成長や教育思想を勉強していたから、子どもが好きだから、複雑な家庭環境で育ったから、家族というものに興味があるから、私は早くママになりたいし、子育てをしたい。自分や子どもがどう変化していくかこの目で見て感じたいし、ことばにしたい。ワンオペ育児だったら内省しまくるだろうから、自分が感じたこと思ったことを文章にしたい。下田美咲さんのように、育児ブロブもできたら楽しそう。もうすぐ24歳だから、26~28歳ぐらいで。

よくキャリア重視型の女性に人から見られるけど、3年後、5年後、10年後、今と同じように週5で会社で働くキャリアウーマンという生き方は、想像していない。子育てしながら週4の時短で今の仕事をした方が、大変だろうけど私の幸福度は上がると思う。

それに、何となく生きていたら、人生のTBD(To Be Determined=まだ決まってないから、後々FIXする(決める))ってどんどん遅れてく。

私の場合、26~28歳ぐらいで出産するとして、25歳で結婚するとして、出会うって今?(笑)やばい!こんな感じで何となく生きていたら、人生のTBDってどんどん遅れてくんだね。

このnote読んで、人生って修羅モード…FIXせねば…と思って、この記事をいま書いている。

子どもを産むも育てるのも、自分本位で不確実

そもそも、私が子どもを産めるかどうか、育てられるかどうか、一緒に親になってくれるパートナーに出会えるかどうかもわからない。でも、子どもを産むのも、育てるのも、100%自分のため。自分本位。

私が子どもを産むのは、自分の子どもに会ってみたいからで、子育てに追われたいからで、子どもと暮らしたいからで、子どもがいた方が好都合だからで、子どものいる人生の方が楽しそうだし自分に合ってそうだからで、完全に私のためだ。

「私の人生を楽しくするための協力者として、あなたが必要なんです」という理由で、私は新しい命を作る。

出産とは、他人を、こんな世の中に強制参加させることだ。自分の子どもは、自分が作らなければ産まれないですんだ相手だ。

(同上の記事より)

世の中には、子どもが欲しくても産めない人もいるし、欲しくないのに産む人もいる。私がもし前者だったら、後者の子どもを引き取って育てる。高齢出産や不妊治療で産む人の気持ちや努力ははかり知れないけど、私が子どもを産めない・産みにくい体質だったら、養子を引き取る。その方がwin-winの関係だ。母が離婚し、私が10歳のとき今の父と再婚して養父になったっていうバックボーンもある。自分が産まなかったり、血が繋がってなかったら愛情を感じないって訳でもないから、私は①「子どもを産む」ことと、②「子どもを育てる」ことを分けて考えている。①②をセットで考えがちだけど、①だけの人もいるし、②だけの人もいる。私は、①②か②がいい。

私はできちゃった婚で授かった子どもだからか、「望まれて産まれてきた子どもじゃない」という気持ちが心のどこかにある。上の言葉でいうと、”こんな世の中に強制参加させられた感”が強い。①「子どもを産む」はまず、そもそも産めるかわからないという点、次に、いつ産めるかわからないという点で不確実なのだ。で、大体の人が①に伴って、②「子どもを育てる」に直面する。ゆえに、①も②も不確実。

私は早く②を、できれば①も経験したい。でも、もし明日「妊娠しました。おめでとうございます。」なんて言われても、「ちょっと待って。まだ準備できてないよーーーー!」って200%思う。私の母は中絶じゃなくて、①「子どもを産む」②「子どもを育てる」という決意をしたんだろうけど、準備なんてできてなかったんだろうなぁと想像する。

自分にできる限りの環境を用意して、子どもを育てたい

下田美咲さんは下の気持ちで、①「子どもを産んで」②「子どもを育てよう」と思ったらしい。

だから「産んであげる」という気持ちは微塵もなく「私のわがままに付き合わせてしまって申し訳ないけど、産まれてもらう!! でも、私はどうしてもあなたにいてほしいの! その分、最大限に良い環境は用意するから!! 私の子ども枠に、あなたを招待させてください!」という一心で産む。

~中略~

だけど、自分に出産の許可を出すのは、少なくとも「私から産まれる子、うらやましい」と思えるだけの準備ができた時に、と決めていた。

”「私から産まれる子、うらやましい」と思えるだけの準備”って、私の場合はこんな感じ。たんなる私の基準だから、もし私が子どもを持っても、私の子どもが「これがいい環境だ」と思うかは別だし、そこが難しい。

・自分がワクワクすることを仕事にする
・時間をかけずに稼げるようになる
・自然があるところで育てる
・↑で言うと、東京のど真ん中で子どもを育てたくない気もするから、郊外か地方都市に暮らす。そこでできる仕事をする
・パートナーの収入がなくても、②「子育て」をできるくらいの経済力をつける
・妊娠中・出産後・子育て中もある程度の収入が入ってくるようにする(か、子育てにお金がかからない国で育てる。その場合は、その国で自分が不自由なく暮らせるだけの人的ネットワーク・知識・仕事などが必要)

完全に私の妄想や理想だけど、現実にしたい。私の人生において「子どもを育てる」って、遊びの新メニューでもあるし、一大プロジェクトでもある。この新メニューであり一大プロジェクトを2~4年後の私の人生に追加するために、今の自分にできるのってこんな感じ。

・仕事を作り変える
・そのために知的好奇心が湧くもの・ワクワクするものを追究する
・心も身体も健康にする(マタニティブルーとか産後うつが怖い)
・そのために自分の身体や心の状態を知る
・できれば①「子どもを産む」ことも経験したいから、いいパートナーを見つける。いい人間関係やいい環境を築く。

ってまとめたら、面白法人カヤックの柳澤さんのいう地域資本主義(経済資本・社会資本・環境資本の3つがあると豊かに暮らせる)って話に繋がった。この話はまたどこかで。3つの資本を蓄えて、高めて、生きていこう。

では、次のワクワクすることに、いってきます。

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