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幸せな人に共通するのは、〇〇を持っていること

 幸せな人に共通していることって何だと思いますか。ズバリ、「自分の物差し」を持っていること、です。多くの人は、「他人の物差し」を借りて、自分の幸せを測っています。残念ながら、それではいつまで経っても幸せになれない、「他人の幸せ沼」にハマってしまっている状態です。かく言う私も、まだまだ絶賛「自分の物差し」を育てている最中です。「自分の物差し」ってそう簡単には育てられません。

 なぜ、「他人の物差し」を借りてばかりでは幸せになれないと気付いたのか

 あなたも、出来ることなら、なるべく失敗せず、幸せになりたいと思いませんか。私も、勿論そう願っている一人です(笑)

 「他人の物差し」で自分の幸せを測っている限りは幸せになれない、と気付いたのは、25歳の時に起きた大きな挫折がキッカケでした。東南アジア5カ国を船で訪問しながら、60日間ほど、東南アジアの若者リーダー330人と一緒に船の中で共同生活を送るプログラムに、日本代表の1員として参加していました。参加する前は、「これはポジティブな意味で、大きな人生の転機になるはずだ!!」と意気揚々としていました。

 ところが実際は、「1日でも早く船から降りて仕方なかった。」英語が共通言語の環境。仕事でも日常的に英語を使っており、むしろ英語に自信があったのに、「相手と心が通った感じがしない。相手と打ち解けるキッカケが全然掴めない・・・」焦る気持ちは募る一方。もう自分の穴に閉じこもったまま誰とも交流せずに引きこもっていたい、と毎日思っていました。プログラムの最中も、プログラム終了後も、暫くはもうプログラム中のことなど思い出したくない、無かったことにしたい、という気持ちで一心でした。

 転機は、プログラム終了から半年後位。「私は一体このプログラムから何を得たのだろう。何も得ることが出来ないのではないか。」と思っていた気持ちに僅かな変化が訪れました。プログラム前からメーカーの海外部門にて、海外事業のマーケティングに従事していました。気持ちの変化のキッカケは、以前からコミュニケーションを取っていた、シンガポールの同僚との関係性に改善を感じられたこと。以前は、情報提供のお願いをしても、提供しない理由を並べ立てられ、肩透かしにあってばかり。でも、プログラム参加から半年立った頃から、「相手の長い終わりの見えない話」に付き合い、相手のニーズの理解に耳を傾けるようになりました。そして、相手のメリットを伝えた上で自分の依頼が、そのニーズとどう関連するのか、説明した所、少しずつ、必要な情報を提供して貰えるようになったのです。何も得たことはないと思っていたプログラムでの経験。なかなか他の参加者と打ち解けられなくて苦労していました。でも、「あなたのことに興味あるよ、あなたのことを知りたいんだ。」という気持ちで相手と居ると、微かですが、相手と心が通じやすくなる、相手も少し自分に歩み寄ってくるという感覚がありました。何一つ学べたことがなく、ひたすら落ち込んでいた60日だと思っていたプログラムでの経験ですが、「1つは持ち帰れたものがあるんだ」と思えたことがキッカケで、自分の挫折と向き合ってみよう、という気持ちが芽生え他のです。

 プログラム終了から1年。どうして、私はプログラムの中で挫折ばかり感じていたのだろう?と考えた時に、「私は自分の人生を会社に預けてしまっていたから、会社の看板を外した船の中で、自分が何者か迷子になってしまったから。」という結論に至りました。自分が何が好きで、どんな時に嬉しいのか、どんなことが得意、どんな時に怒るのか、悲しいのか。全ての感情が失われて、ただただ無力感に襲われた状態で船の中で暮らしていました。会社であれば、上司から言われたアウトプットを提供することで評価して貰うことがあります。つまり、私は「会社の物差し、上司の物差し」で「自分の成功」を決めることに慣れ切ってしまっていたのです。一方、船での生活は、「これに従ってれば成功!」という共通の物差しが全くありません。むしろ、参加者自身にルールがない環境の中でこのプログラム内でのルールを0から創ることが求められている環境でした。私自身が、「私は何者であるか」を理解出来ていなければ、相手に「私はこういう者です。こんなことが好き、こんなことが得意。」なんて伝えることは到底出来ません。つまり、「自分の物差し」が無ければ、自分自身を見失ってしまうのは当然の環境にいた訳です。

 この大きな挫折経験を通して、「私は会社に自分の人生は絶対に預けない。自分の人生のオーナーシップは自分で握り続ける。自分の幸せは自分の物差しで決める。」ということを自分と約束しました。この挫折から、「他人の物差し」に沿って生きている限り、「自分で自分の幸せを決めることが出来ない」と気付くことができ、私の人生の指針が大きく変わりました。

「自分の物差し」を育てることは何故簡単ではないのか?

 「自分の物差し」を育てることは何故簡単ではない、と思いますか。それは、私達は小さい頃から親の価値観や社会からの期待・要請に応えながら生きることにあまりにも慣れてしまっているからです。あなたが、「自分の信念・価値観」だと思っていることは、思い返してみると、「親も同じこと言ってたわ。」とか、「大好きな小学校の時の先生が教えてくれたことだった。」「会社の上司に怒られて行動を変えたんだった。」なんてことはないでしょうか。「他人の影響を受けるな、とか他人の影響を受けることが悪いこと。」と言うつもりはありません。ただ、「自分の物差し」だと思っているものの多くは、「実は誰かの物差しの借り物」である可能性がある、ということを自覚することが、自分の物差しを育てる初めの一歩だと私は思います。

経験や知識が増えれば、「自分の物差し」が育つのか?

 経験や知識が増えれば、「自分の物差し」が育つのか。私の答えは、「NO」です!経験や知識を増やしたとしても、その知識や経験を「自分ごと化」しないままでは、「自分の物差し」は育たないのです。「自分の物差し」は外ではなく、自分の内側にあるからです。自分の内面と、深い自己対話を通して向き合うことなく、「自分の物差し」は育ちません。「自分の物差し」を育てない限りは、「自分で自分の幸せを決める」ことはできません。これは、とても時間のかかるプロセスだと思います。

 余談:「セミナージプシー」になってしまうのは何故?自分の名前でビジネスしたい人に共通する「勘違い」

 あなたは、セミナージプシーに陥った経験はありますか。私も、以前は完全に「ワークショップジプシー」の一員でした。「サービス・商品を提供するためには、自分にはまだ〇〇の知識が足りない、〇〇の経験もあった方がお客様には魅力に映るに違いない。」と思い、新たな知識の勉強、経験を得るために、新たなセミナーに申し込んでしまうんですよね。でも、この状態って、自分の中での「お客さんはきっとこう思っているに違いない」って言う思い込みや同業他者の人と自分とを比べて「自分は足りない」って言う考えに至ってるんですよね。お客さんに、「〇〇さん、××の知識・経験足りませんよね。」とか、「もっと△△の話も聴けると思ってました。」って言われたのであれば、話は別ですが・・・。

 自分らしさは、「知識や経験」をいくら積んで分かるものではない。私が思うに、自分らしさは、「足し算ではなく、引き算」の考え方で導かれる、です。だって、あなたが得た知識・経験と言うのは、「自分ごと化」するまで、「他人の借り物」だからです。また、セミナージプシーになってしまいそうな自分への自戒も込めて(汗)、本日は、「幸せな人に共通するのは、自分の物差しを持っていること」というテーマをお届けしました。辛口で書いてしまいましたが、「自分の物差し」を育てるのに遅過ぎる、ということはないので、ご安心下さい。今日が「自分の物差しを育て始める一番早い日」♬

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