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「東のさらに東は西である」【東洋的考え方・生き方②】老子哲学序章

東のさらに東は西である
西のさらに西は東である

東というから西がある
西というから東がある

東がなければ西はない
西がなければ東もない

陰極まれば陽
陽極まれば陰

陰陽はあざなえる縄のごとし
それは、たった一本の縄である。

東が東だけを主張し、
西をないがしろにしたり、攻撃することは自己矛盾である。
なぜならそれは、東そのものを否定する行為であり、
詰まるところ自己否定、自己崩壊に行き着く。

男が女を否定することは、
男そのものの存在を否定することになる。

無知は英知の土台をなすもので、
無知を否定していかなる知恵もない。

二つのものは一つである。

醜さという裏のある美は、いかに絢爛であでやかなそれでも、
真の美ではない。
それは早晩醜を迎える美でしかない。

戦争という裏のある平和は
すなわち平和ではない。
戦いや争いという裏のない恒久平和、絶対平和こそ、私たちが希求すべき平和だ。

そのためには、この二元性を超えてゆく哲理を体現することだ。
これは、二元性を解体し、一元である真の相を認識する法だ。

二元性の時代がまもなく終わりを告げる。
よく耳にするだろう。
しかしその二元性というものには「法則」がある。
単に二者が対立・拮抗するだけではない。

正→反→合

といった単純な弁証法では割り切れない。

それは「一元論」だからだ。


自由な精神との出合い

17の時、『老子』と出会い、それこそ天地がひっくり返るほどの衝撃を受けた。

それまでの「現代教育」あるいは、その”副産物”である学問に、そのお仕着せに、異常なまでに抵抗していた自分は、悶々としつつ「自由」を求めていた。

そこで辿り着いたのが、(あるいは向こうからやってきたのかわからないが)『老子』一冊であり、そこにある世界こそが、まさしく自分の求めていた「自由」そのものだった。

それは、私にとっては西洋哲学や、(人の「知」という雑音が入った)宗教などと比較にならないほどの「真理」そのものだった。

この見方は、それから50年も経った今でも変わらない。
これほど面白いものは、世界にまたとない。

古今の”賢人”が最後に読む書物

韋編三絶いかんさんぜつ」(気に入った書物をその閉じひもが擦り切れるほど何度も繰り返して読むこと)という言葉がある。

孔子が晩年に『易経』を勉強した際の喩えだが、この易経こそ、老子の思想を敷衍したものに他ならない。

おそらくは、孔子は老子と相まみえた際に、「君は政治などという俗っぽい野心を捨てて易経でも読みなさい」とか言われたのかもしれない。


さて、その『易経』が、現代の先端物理学に大きく影響を与えていることはご存じかもしれないが、なによりも、あのカール・ユングも晩年それと四つになって向き合っていたことはよく知られている。

なぜなら、それはこの森羅万象の有限世界のあり方あり様を示した羅針盤だからだ。

カール・グスタフ・ユング(Wikipediaより)



あまりお詳しくない方は、「易」というと、大道易者のそれを想起するだろうが、それは易が文字通りの「易」、すなわち「万物は流転する」「諸行無常」の世界を扱うものであって、固定された世界観ではないからだ。

「占」というものは、必然的にそこから派生するものである。

この「東洋の叡智」とでもいえる哲学(本来は思想というよりも宇宙法則)は、おそらくは太古のある時代にアジアの指導者層にいきわたっていたものだろう。

六甲山の平十字ひらとうじに伝承されていた「カタカムナのうたひ」などもその流れ(あるいは源流?)かとも思われる。

老子ー桜沢の一元論の系譜

易(伏犠ふっき=八卦の創始者)ー老子

と来たわけだが、それはしかし、ご多分に漏れず、「藩校」や「私塾」で習う四書五経のように、時代とともに風化され、古色蒼然としたエリート層の「学問」になっていった。
現代(義務)教育に至ってはご存じのように「抹殺」されている。

しかし、言ってみれば瀕死状態のその哲学に「生命」を吹き込み、見事に現代によみがえらせた人物がいる。

その人物こそ、桜沢如一(欧米名:ジョージ・オーサワ)である。

「マクロビオティック」の創始者として有名だが、彼こそが正真正銘の「老子」の系譜を継ぐものだ。
彼は世界(主に欧米)を股にかけて、その生涯をその哲学の普及に捧げた。

桜沢の真骨頂はその哲学であり、マクロビオティック(食養)はその一応用にすぎない。

私が自慢できるものとしては、さきほどの「韋編三絶」ではないが、桜沢の膨大な出版物を読んで読んで読み倒したことぐらいだろう。
本はぼろぼろを通り越して落丁したものまで数冊ある。
何百回も読んだ点では孔子様を凌駕するだろう。

こう書くと自分がさも立派な人士のようにとられるかもしれないが、もちろんそうではなく、それは単に面白くてやめられなかったからに他ならない。
私の20代、30代のころはほぼそれ一色だったような気がする。

今こそ求められる二元性解体の「解毒剤」

「二元化一元論」

なんとも苦しまぎれ風な呼称ではあるが、なるほどそれを現代風(科学風)にいえばそうなる。
桜沢は、時折その哲学をそう呼んでいた。

たとえば、西と東、男と女、プラスとマイナス、上と下、善と悪・・・際限がないこの一見二元性に見える両者は、実は同じものの左右の手である、ということを意味するからだ。

老子ー桜沢と続くこの一本道(一元論)は、現代教育とは真逆の精神だ。
それは「学問」とは違う。
むしろ、先に挙げた合気道の技のようなものに近い。


「老子」については、これまで折に触れて出版物などで取り上げられてきたが、そのどれもが私の目からすれば、本質に触れるものはなかった。
やはり現代的なアカデミックな目線でとらえたものがほとんどで、そうでなければ、竹林の七賢さながらどこかの隠遁哲学的な域をでないものがほとんどだった。

私がいま思い浮かべる中で、それをうまく解説しているのは『東洋の理想』『茶の本』の岡倉天心、『李陵』『名人伝』の中島敦、そしてさすがに本場、素晴らしいと思うのが、よく私が引き合いに出しているジャーナリスト・林語堂くらいか。

まだおられるかと思うが、なぜかその「道」をうまく語れる人は少ない。
そもそも、興味を示す人自体が稀である。

しかし、先に触れたように、この考え方・認識の仕方というものは、いわゆる「アセンション」という二元性の解体劇にきわめて大事になるものであると、私は深く認識している。

また、前回の「東洋的考え方・生き方①」で触れたように、この哲学の肉体面での応用(マクロビの元型)は、面白いほどに病が治る。それを私自身身をもって体験している。

ただし、ここが大事な点なのだが、「仏作って魂入れず」では、不思議に芳しい効果がない。

こんご、この「道」について折を見てご紹介していきたいと思います。






東洋哲学に触れて40余年。すべては同じという価値観で、関心の対象が多岐にわたるため「なんだかよくわからない」人。だから「どこにものアナグラムMonikodo」です。現在、いかなる団体にも所属しない「独立個人」の爺さんです。ユーモアとアイロニーは現実とあの世の虹の架け橋。よろしく。