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11月19日 ゲームの話 ゲームの達成感は時間に比例する説

 今日はちょっと前に思いついたことを、思いつくままに書きます。まとまっていなかったり、とっちらかったりする……と思いますけど、まだ考え中のもんだと思ってください。


 ゲームで「ここ簡単だな」「ここ難しいな」と思う基準は、おそらく「時間」と関係している。攻略するまでの時間。あるいはそのシーンのパズルを解けるまでの時間。この時間が短いとプレイヤーは「簡単だ」と感じ、長いとプレイヤーは「難しい」と感じる。
 5分で倒せる敵を「強敵だ」とは言わないし、「苦戦した」とは言わない。20分かかって倒せる敵を「強敵だ」と言うし、「苦戦した」という。

 ゲームの攻略プロセスは人によって違ってくる。複雑なギミックを備えた敵・パズルがあっても、人によっては簡単に攻略法に気づき、さっと解くことができる。しかし一方で、ごく簡単な、単純なギミックや仕掛けが解けず、その前で何時間もかけてしまうこと……ということも往々にしてある。これを解けるまでのプロセスは人によって違うから、ゲームは人によって違う体験をもたらす文化であると言える。
 こういったごく単純だけど、やたらと時間が掛かった……という場合も「苦戦した」とプレイヤーは感じる。

 桜井政博氏曰く、「ゲームは常に何かしらのストレスをプレイヤーに与えている」。
 宮本茂氏曰く、「ゲームは物語に感動するのではなく、ゲームから解放されることが感動になる」。
 ゲームは徹頭徹尾「快楽の産物」と思われ、そのように論じられる場合が非常に多いが、その実際はストレスの連続である。そのストレスの連続から解放される瞬間に感動と恍惚が感じられる。
 この心理は不思議なもので、私個人の体験でも、非常に難しいミッションと向き合い、2時間、3時間と時間をかけて何度もトライし、やっている間は「なんだこのクソゲーは」「二度とやるか」「もうやってられるか」とか思うのだけど、クリアした瞬間、それまで感じていたネガティブな感覚が浄化され、その直前まで感じていた感情と真逆の感慨を持つようになる。「……ああ、面白かった」と。
 どうしてこう感じるのか?
 ストレスがそこにあるからこそ、快感が得られるのではないか。そのストレスが大きければ大きいほど快感は大きくなる。ゲームは最終的に、ゲーム中ずっとかけられているストレスから解放されるから、エンディングに快感があるとはいえまいか。

 映画のアクションシーンもやはり全面的に快楽だけで語られるのではなく、ストレスを感じる場面も多い。
 映画のアクションシーン……例えばカンフー映画の展開は主人公の優勢の場面、敵側の優勢の場面が交互に入れ替わりながら展開し、「強敵」ほど敵側優勢の場面が続き、最後に主人公側の何かしらの機転があり逆転する。この瞬間、ストレスから一気に解放されて、気持ちよさを感じる。
 アクション映画の場合のストレス曲線は、交互に入れ替わる。主人公側優勢の時は気持ちよさを感じ、敵側優勢の時はストレスを感じる。次第に敵側優勢の局面を増やしていき、じわじわ見る側ストレスを上げていき、その最後にストレスから解放させる。そう描くとアクションシーンは気持ちよくなる。
 映画では快感とストレスが交互に来るように作られているが、ゲームでのストレスはそのミッションと向き合い、同じ場所に足止めされている間ずっとゆるめにかけられ、そのストレスは時間とともに大きくなる。ストレスが感じられる度合いが小さければ感動は小さく、ストレスの度合いが大きければ感動は大きくなる。

 ゲームの場合、プレイヤーはミッションと向き合っている最中、ずっとストレスを感じている。ミッションと向き合っている時間が長ければ長いほどストレスは増大する。その後の快感は、ストレスを感じている時間が長い時ほど増大する。
 短いミッションでもストレスを一気に増大させる方法がある。最初からやり直しさせることだ。進行中のミッションがリセットされ、最初からやり直しをさせるとストレスは増大する。つまりはゲームオーバーだ。このゲームオーバーを短期間で繰り返させると、プレイヤーのストレスは短期間で増大させられる。
 が、おそらくはこのストレス負荷に耐えられるプレイヤーは少ないと思われるから、「ストレスを増大させたほうがクリア時の快感が高くなる」という理屈に則ってもあまりオススメできない。ストレスの感じ方は急激にさせるように、常にゆるめにゆるめに、一定程度の緊張感をキープさせておいたほうがいいだろう。

 ゲームの達成感の大きさは時間と比例する、という考えをゲーム制作に採用するなら、一つ一つのシチュエーションを「難易度」ではなく「時間」で規定してみる。
 たとえばボスの攻略を「20発当てると撃破」ではなく、「10分間戦えば撃破」とする。もちろん、ダメージは与え続けなければ撃破できない。昔のコナミのシューティングゲームは時間をかけすぎるとボスが逃げる……という仕掛けがあったが、逃げられた時はそれはそれは残念だった。それに、間違いなくこちら側がダメージを与えて撃破した、という連なりがなければ納得感に繋がらない。
 だからプレイヤーの腕前に合わせて、10分間のバトルシーンの間プレイヤーがなかなかボスにダメージを与えられない、さらにダメージを何発も喰らう……という状況なら難易度を下げていく。逆に順調にダメージを与え、ダメージも喰らわなかったら難易度を上げていく。ボス撃破までの与えるべきダメージ量がバトル進行中、ずっと変化し続ける……ということ。
 プレイヤーとしての旨味はボス撃破後のスコアの変化に現れる。難易度の低い状態でボスを倒すとスコアが低くなり、難易度の高い状態で倒せばスコアが高くなる。
 つまりはプレイヤーの腕前をずっと審査・評価するシステムを裏に組み込んでおく。

 一つ一つのシチュエーションを、クリアまでどれくらい時間が掛かるのかで区切っていく。最初のシーン、最初のボスでは「3分」とし、ステージ2では「5分」、ステージ3では「7分」……と少しずつストレスをかける時間を小刻みに増やしていき、ラスボスでは撃破まで「20分」とする。
 突然(掛かる時間が)増えるのは良くない。それは急激な難易度変化に感じられ、ストレスを一気に増大させることになる。まだ長く設定しすぎるのも、プレイヤーをうんざりさせるだけなので良くない。

 一つのポイントとして、必ずプレイヤー側にストレスがかかる局面を作っておく。つまりは大きく体力を損耗するシチュエーションだ。良いカンフー映画は必ず強敵に追い詰められ、逆転するシチュエーションが作られている。そのシチュエーションを、人為的に作ること。戦いの中でピンチ状態になるシチュエーションを1回や2回と作っておいたほうが良い。このシチュエーションを作っていれば勝利の快感が増すし、このシチュエーションがなければ(例え時間が掛かったとしても)快感は大きくならない。
 おそらくこの要素なしで時間だけがかかるボスだった場合、単に時間が掛かっただけで面倒くさいと思わせるだけ、つまらないと体験を与えてしまう。
 ボス戦が短い場合はピンチシチュエーションは1回で充分だが、ラスボス級なら3回とか4回くらい作っておいてもいいだろう。
 ストレス曲線は単に時間がすべてではなく、プレイヤーが置かれている状況にも変化する。追い詰められ、ピンチに陥ることもストレスとなり、そこから立ち直るシチュエーションもストレスからの解放となる。プレイヤーをピンチに追い込むことはストレスをかける手っ取り早い方法の一つだ。
(ただし、ゲームオーバーを繰り返させるのはストレスが大きくなり過ぎるので得策ではない)

 こうした攻略までのプロセスを時間で区切る利点は、ゲームの上手い人も下手な人も、クリアまでにかかるストレスを同じにすることができる。つまり、クリア時の感動がゲームの上手い人も下手な人でもおおむね平等にコントロールできる。はじめは下手だったが、やがて上達し、そのゲームをうまくプレイできるようになっても、プレイヤーにかかる負荷は初めてゲームをプレイした時と同じにできる。しばらくそのゲームから遠ざかって、久しぶりにそのゲームで遊ぶ……という時、プレイが下手になってもクリアまで進め、やはり同じようにクリア時に感動を与えることができる。ゲームクリアまでの感動を常に一定にすることができる。

 ただ、この仕組みはプレイヤー側に気付かれないほうが良い。プレイヤー側に気付かれるくらい、露骨に難易度が上がったり下がったりしたら、ゲーム側から「接待された」という印象を持たれ、不快感に繋がる。さりげなく、微妙なラインで、プレイヤーに気付かれないように難易度を上げたり下げたりする。そうした仕組みが実装されていることすら気付かせないようにした方がいい。プレイヤー側に独力でボスに挑み、何度もピンチに追い込まれつつも独力で勝利を獲得できた……という印象を持たせなければならない。
 クリアまでにかかる時間は目安であって、絶対のものではない。プレイヤーの予想外の行動には対応するようにしよう。プレイヤーがボスにダメージを与えるのに時間がかかっているようだったら、そのぶん「待つ」ように仕掛けよう。
 どんなシーンもプレイヤー側の行動が必ず切っ掛けになっているように見せかけなければならない。コンピューターの側が全自動で動いて、勝手に進行しているようには……つまりボスが勝手に死んだように見せかけてはならない。

 あとはゲームをクリアするまでのシチュエーションに沿わせた、きちんとしたイメージと物語を添えること。
 どんなゲームでも、良いゲームとはゲームのギミックと物語が化学的な連なりを持っていて、なおかつそれが物語の終局面で高みに持って行けることである。どんなに優れた仕掛けを持っていたとしても、背景となる物語がつまらないと、プレイヤーの気持ちを高みへと連れて行くことはできない。ゲームのギミックをより崇高な体験に導くために、イメージと物語は絶対に大事だ。

 今回の「仮説」はここまで。
 とりあえず、こういう仕組みのゲームを自分で作ってみようか。近々、ゲーム用のシナリオを書く予定がある。今は別の用事(主に執筆)があって忙しいけど、それが済んだらUnityでここまでに書いた仕組みのゲームを実際に作ってみよう。
 人に提唱するより、自分で実例を作ったほうが手っ取り早く確実だ。たぶんこれを読んだ人は誰も「自分のゲームで試してみよう」とは思わんだろうし。
 それで、そういう仕組みがあることをユーザー側には一切知らせない。そのうえでどういう感想を持たれるか、テストをしてみるとしよう。早ければ2021年の半ば辺りには時間を作れるとは思うけど……。


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