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読書感想文 もっと言ってはいけない

この記事はノートから書き起こされたものです。詳しい事情は→この8か月間に起きたこと。

 この本を読んでいて、まず思ったのは……「まあそんなもんだよね」。

 確かに人によっては受け入れがたい内容だし、「認めたくない」という理由で反発し、感情的になって炎上を起こそうとする人もいるかもしれない。
 でも、冷静になって考えてみると「まあ、そんなもんだよね」と――誰もが薄々とわかっていたことじゃないかと思う。そう思っていたけど言われたくなかった。が、この本で有体に語られてしまった。だからパニックになる。この本が話題になったのはそういうことなのかな。

 まず最初に挙げられたテーマは、日本人の3分の1は日本語を理解していない。
 といっても「識字率」の話ではなく、文章の文意を理解するとか、「国語力」の話だ。
 PIAACが実施したテストは、図書館のホームページへアクセスし、リストにある本の著作名を回答するという、ごく簡単なものだった。しかし、このテストに回答できなかった成人は27.7%。
 ほかにも、棒グラフを読み取れなかった成人は全体の7割。PCを使った基本的な仕事ができる成人は1割以下。65歳以上になると、そもそも3人に1人しかPCが使えない。

 と、ここの話だけを聞いて、慌てて「日本の教育レベルが落ちている!!」「最近の若い世代がどんどん馬鹿になってる!!」といった答えを出してはならない。PICCAは同じテストを23の先進国に対して実施しているが、その結果、ほぼすべてのスコアにおいて日本は1位だ。「できているほう」に入るのだ。
 また国・地域別IQも一覧で掲載されているが、アジア地域は世界でもトップだ。つまり「リストにある本の著作名を回答する」という設問をクリアできなかった人、というのは他の国にはもっともっといたわけだ。

 では、なぜ日本人がここまで優秀なのか。なぜ東アジアの人たちが知能に特化しているのか? 本書はその理由を解き明かしていく。
 だが、ここからこそ、みんなが薄々と「そうじゃないだろうか」と思う一方で、「言われたくなかった」「知りたくなかった」という話に入っていく。

 結論から話してしまうと、知性は遺伝子で決定される。つまり、生まれですでに決定してしまっている。
 一つの例として、白人と黒人のIQ格差について書かれている。
 白人のIQ平均を100とした場合、黒人の平均IQは85だ。
(※ IQテストはイギリス発で、イギリス人のIQが100になるように調節されている。これが基準となっている)
 1969年、アーサー・ジェンセンがこの知能格差について発表した時、大学にデモ隊が突撃し、危うく殺されるところだったという。
 いや、これは黒人が差別を受けていて、充分な教育を受ける機会がないから、このような結果になったのだ、と。
 そこで1976年、ミネソタ大学である調査が実施された。黒人の子を養子に受け入れた白人家庭101組を集め、IQ格差と遷移が調べられた。すると、白人夫婦の実の子の平均IQ116であるに対して、黒人の子はIQ111……確かに白人家庭に入り、同じレベルの教育を受けさせれば、同じくらいのIQになるようだ。
 が、「遺伝子的性質」は幼少期よりも、大人になるほどくっきりと現れる。
 追跡調査をすると、黒人のIQは遺伝子的性質に引きずられるように徐々に徐々に低くなっていき、ついには一般的な黒人のIQに近いものになってしまった。

 しかし、だからといってもちろん「教育は無意味」とはこの本には書いていない。双子の調査について書かれているが、白人の家庭、黒人の家庭に分かれた双子はその後どうなるのか。
 児童期では白人家庭に預けられた子供の方が高いIQを示すが、やがて成人になるにつれて遺伝的性質が現れるようになり、双子のIQはだいたい同じくらいになっていく。
 それでも、やっぱり白人家庭の質の高い教育を受けた方が、その後もIQが10ポイントも高いままだった。良い教育を受けておくことは、それくらいの意味と価値はある。

 本書は後半に入り、人類学的な視点で、なぜ白人・黒人・アジア人に知能格差が生まれたのか。原人の時代から現代にいたるまでの道を示し、「そうなるに至った」理由を追求し始める。
 日本人は山がちな地形で、生活できる場所が限られている“ムラ社会”だったからこそ、周囲を徹底的に気を遣う習慣が生まれ、それが今に至る日本社会の形を作った。もしも大陸だったら、人とケンカした場合、他の場所に移ってしまえばいいだけの話だが、日本ではそういうわけにはいかない。そこで住めなくなったら、その時点で終了だ(これは今も昔も変わらない)。だから常に周囲に気を配っていなければならず、結果として、それができるくらいの知能を維持させる土壌が生まれた。

 「生まれ」と「知性」には深い関係がある。その人種が育ってきた環境や現代に至るまでの経緯が、人間の限界を決定づけている。そして、そう育っていくには、相応の(環境に適した)合理的な理由や意味がある。
 人間を測る価値観の物差しはIQが全てではない。例えば「世界陸上」なんかを見ると、上位成績者はほとんど黒人だ。体の小さなアジア人は、世界陸上の中でも少数派。体が小さいどころか、脚も短いアジア人が、黒人のアスリートに勝てるはずもない。
 ただし、知能はアジア人が世界トップだ。このように、スキルポイントが振り分けられて生まれてきている。それだけの話だ。
 黒人は確かにIQ平均は低いかもしれないが、身体能力や、天性のリズム感には独自のものを持っている。他の民族も、同じく独自の個性と長所を持っているはずだ。IQが全ての価値観を決める物差しではない。IQが高いからといって、全てにおいて偉いというわけではない。
 日本人なんて、チビで短足で音痴で僻み癖があってだいたい根暗なやつばっかりで、ただIQが多少高いだけだ。「IQが高いから日本人は偉い!」というわけではない。

 某映画監督の言葉に「なんで貴族階級が保存されてきたかと言うと、優秀な人間が出る確率が高かったからだ」――これを聞いて私は「ああ確かにそうだ」と思った記憶がある。この本は、あの発言をより補強するものだった。
 一般的には「金持ちの息子は無能」とよく言われる。いいところに生まれて、親の七光があるだけで中身は空っぽ――私はこういう意見を聞くたびに、「それは僻みでは?」と思っている。
 確かに貴族階級の中にはどうしようもない失敗作が生まれることがよくある。その失敗した例をこれみよがしにピックアップして全体を語るのはどうかと思うし、それは単にルサンチマンに基づく卑しさしかない。
 よく「会社は3代で滅ぶ」という言い方があるが、実際には江戸時代から続く老舗なんて日本中のあちこちにある。その以前から存在している会社もある。「会社は3代で“必ず”滅ぶ」ではなく、「滅ぶ例もある」というだけだ。職人の世界では、3代どころか、10代、20代といった長さで家業を守り続けているところもある。
(私たちのよく知るところでは任天堂。任天堂は大正創業で、山内博の代まで山内一族が代替わりで継承してきた。いま現在も滅ぶ兆候はない)
 現実には「貴族階級が保存されてきた理由は優秀な人間が生まれる確率が高かったから」だし、別の側面では「ある能力に特化した人間が生まれる確率が高かったから」(職人とか)ともいえる。データを積み上げれば積み上げるほど、見えてくるのはこの事実の方だ。

 しかし、だからこそこの本は、現代のリベラルな知識人たちにとって受けれ入れがたい話になっている。どんな子供も教育の質さえ高めれば、優秀な大人になるはずだ。
 このロジックを横からドロップキックで叩き壊すかのような話が書かれている。現代のリベラルな認識の中では、知性が人種や生まれで左右されるなどあってはならない――ということになっている。誰もが平等に成長できるチャンスがあるはずだ! しかし、データはそれを裏付けてはくれない。
(前にも書いたが、学ぶこと、努力することはまるっきり無駄ではない。しっかり学べばそのぶんIQにもきちんと出る。学ぶこと、努力することは、より良い仕事、よりよい人生を得るチャンスを増やすことだ。「質のいい教育を受けても無駄」とはこの本のどこにも書いていない。ただ生まれで、能力値-スキルポイントのいくつかがすでに振り分けられているという話だ)

 男女格差の問題についてもそうだ。現代人の良識によれば、男女間に能力の差は存在しないことになっている。もちろん、筋力差も、だ。
 例えばアルバイトに「力仕事。男性求む」と書くと、今の時代「性差別だ」と炎上する。実際に力仕事だからといって「男性求む」とは書いてはいけない時代になった。なぜなら、現代人の良識な建前の世界では、「男女間の筋力差は存在しない」ということになっているからだ。
 こんな意見もある。
「最近は男でもナヨナヨしている奴はいっぱいいるし、女性でも吉田沙保里みたいなやつもいるじゃないか」
 それは「平均的な例」ではなく、「ユニークな例外」の話だ。ユニークな例外を持ってきて、平均の話を全てひっくり返してはならない。
 もしも道行く女性がことごとく吉田沙保里なみの筋力を持っているというデータが出てきたら、私も手のひら返しをしよう。だが平均的には男性の方が筋力が上だ。
 しかしこれは言ってはならない。求人に「男性求む」と書くと「性差別だ」ということになる。人材募集をかける場合には、求人に細かいことは描かず、面接を経てそっと不採用にしなければならない。

 アニメの世界へ行くと、色指定や彩色はほとんどが女性だ。アニメの彩色で男性は超少数派。「色指定」の役職に男性の名前を、私の経験でも一度も見たことがない(知らないだけかもしれないが)。
 これは「女性が差別を受けているから、キャラの色塗りという単純な仕事をやらされている」という話ではない。「色」に対する感性、見分ける能力は圧倒的に女性の方が強いからだ。女性の方も自分自身でその領分を理解しているからこそ、アニメで色の仕事をする人が多い。

 最近はアニメの世界でも女性監督、女性作画監督と、女性がトップに立つ例も多くなったし、そこから優れた作品はいくつも生まれてきている。しかしそれでも女性監督は少数派だ。なぜならトップに立ちたがる女性が少ないからだ。トップに憧れ、そこを目標にする人には男性が多い。
 と、いう話を元ジブリ社員が外国のインタビューで話したところ、世界規模で炎上した。「それは性差別だ」と。「それは男性が押さえつけているからだ」と。「女性にチャンスを与えていないからだ」と。「職業差別だ」と。様々な意見が飛び交い、「ジブリに失望した」とまで言う人もいた。
 男性が女性を押さえつけている? そんなわけはない。単にそれぞれが自身の領分を心得て、相応しい役職についているだけだ。その「相応しい役職」に性別というファクターが絡んできている。男性が得意とするもの、女性が得意とするもの、というものはある。
 しかし「男女平等」を掲げる世界観の中では、これはあってはならないことになっている。だからこういう話をすると、炎上する。

 アニメの世界で監督に上がってくる女性は掛け値なしに優れた能力を持っていて、かつ認められたからその場所にいるのであって、そういった能力判断なしに、「性差別をなくす」という動機だけで女性を登用するようになったら、おかしなことになるはずだ。

 政治の世界では、今や「女性のための枠」が生まれてしまっている。私としては、能力が全てであって、優れた能力があれば男女区別なく登用すべきであって、あらかじめ「女性枠」を作るというのは違う。優れた能力を持っていて、望む人が多かったら、全員女性でもなんら問題はない。
 しかし今や男女平等の旗印に、女性を登用することがどこの職種でも前提となりつつある。どんな仕事でも、男女の数を同数にする――この指標でその社会がどれだけ男女差別を克服しているかを示す評価も存在してしまっている。男性向きの仕事、女性向きの仕事、というのはこういう世界観の中では存在しないことになっている。

 『もっと言ってはならない』は確かに危険な本だ。世界の認識では、人種間に差別などはなく、男女間に格差は存在しないはずだ、ということになっている。
 しかし現実はそうではないことを、次々とデータを使って語っている。うっかりするとこの著者は攻撃を受けるし、それどころか仕事を失う可能性すらある。そのリスクを乗り越えて、だから勇気ある本だ。
 また、もう一つ危険な側面もある。それは所得や知性が低い人たちが、この本を武器に民族差別を始める可能性だ。本書に書いてあるように、「自分が日本人であるということ以外に誇れるものがない」人は、レイシストになりやすい。この本に掲載されている国別IQ一覧表なんかを持ってきて「お前ら洋毛よりも、俺らの方が上だからな」とか言い始める人が出てくるかもしれない。
(これに対しては「平均としてはそうかも知れないが、お前は違うだろ」と言い返せばいいのかな?)

 ここまで、こんなふうに読書感想文を書いてきたが、よくよく考えれば、このブログも炎上する可能性がいま非常に高まっている。知能格差は生まれで決まる……とか書いちゃったし。男女で筋力差が存在する、という話や、能力にも格差がある……という話も書いてしまった。ああ、これは大変だ。「性差別を助長する!」と炎上してしまうかもしれない。どうしよう、どうしよう。
 もしもの時に備えて、あらかじめ謝罪文を用意しておこう。


~謝罪~

 今回のブログ内容で多くの人を混乱させ、悲しませてしまったことをお詫び申し上げます。
 今回のブログに書かれた内容は、すべて私の浅はかな思い込みによるものでした。
 男女間に筋力差は存在しませんし、能力の差は存在しません。人種間による知能格差も存在しません。もちろん身体的な能力差なんてものもこの世に存在しません。アジア人と黒人は、生まれから成人まで同じ体格で成長するはずです。
 そもそも『もっと言ってはいけない』などという悪しき偏見に満ちた本を信じたことが全ての誤りであり、私の浅学がもらたらすものでした。この本の存在を忘れるため、焚書にして手放すつもりです。

 本当に申し訳ありませんでした。今後、このような思想を持たぬよう、自分自身を戒め、世界の人々が同じ一つの物差しの下で平等でいられる社会を構築できるよう、努力し続けようと思い、読んでいる皆様にも誓います。


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