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2月1日 「猥褻」という考え方を捨てて性文化について考える。

 日付がおかしくなっているけど気にせずに。この日の前日、『裸はいつから恥ずかしくなったのか』『夜這いの民俗学』という2つの読書感想文を書き終えて、その2つのブログでも書き切れていないことをここで補完しようと……そうやって立ち上げた記事である。

 前回のお話しはこちら。

 さて、どこから考えるべきか。
 隙を生じさせぬ二段構え……ネットのスラングにこういう言葉があるが(今でのあるのかな?)、まさにそれ。私たちは知らない間に「性」に対する意識を変えさせられていた。
 一度目は幕末、ペリー提督がやってきたとき。その以前の日本人は、女の裸を「性的な目線で見る」ということをやっていなかった。ところが西洋人が銭湯にやってきて女の裸をジロジロと見る。道ばたで行水をやっている女の裸をジロジロと見る。裸で川遊びをしている女の子の裸をジロジロと見る。口では「けしからん!」とか言いながら、股間はパンパンだ。それまで裸に性的な意識はなかった、とはいえ、そんな見られ方をしていい気持ちはしない。日本人は急速に「裸は恥ずかしい」という意識を持つようになり、わずか10年後には街から裸が一掃されてしまった。
 もう一つは「夜這い」の文化。本当かどうかわからないが、1950年代の高度経済成長期頃まで、このおおらかな性文化は地方に残っていたらしい。現代的な婚姻制度や、「セックスは結婚してから」なんて考え方はここ50年くらいの間にようやく浸透したものであって、もともとは「通い婚」がスタンダードだった。おそらくこの「通い婚」は1000年とか2000年くらいの間にやっていたことで、人間の生理的にしっくりくるのはたぶん通い婚のほう。現代的な婚姻性はちょっと無理してないか……と問いたくもなる。
 とにかくも「夜這い」と「通い婚」の風習も、「西洋に倣え!」の合い言葉のもと、弾圧され、過去のものだと否定され、姿を消していった。

 読書感想文のほうにも書いたけれども、西洋にも「建前」と「本音」がある。ヨーロッパ人は表向きにはこう言っているけど、裏ではぜんぜん違うことを考えている……ということはいくらでもある。ただ「日本人の建て前と本音」と違うところは、ヨーロッパ人は本音をひたすら隠し続けること、場合によっては本人も無自覚だ、ということがよくあることだ。

ウィリアム・アドルフ・ブグロー 1886 春の再来

 西洋の芸術を改めて見て欲しいのだけど、よくよく見ると「エロい」。こういうものを「性的な目で見るな」と怒られるんだけど、いや、エロいだろ。

 性癖ダダ漏れの芸術家もいる。例えばミケランジェロだが、ミケランジェロといえば同性愛者でマッチョ大好き。彼の作品を見ると、みんなマッチョ。さらに少年のようなおちんちん。作品を見ても、あからさまに自分の性癖が投影されている。
 ミケランジェロは女性に対する性的関心が薄かったため、女性を描いた絵画や彫刻を見ると「やる気あんのか?」と言いたくなるような代物になっている。
 西洋の世界では、芸術を描くほうも鑑賞するほうも「建前」の目線で見ている。お互いに性的な意識があることを口には出さない。そういう意識が裏にあるとは頭に浮かべない。それはさておき、デッサンが優れている、色彩構成が優れている……という言い方をする。
 で、たまに「いや、それはおかしいだろ」とはっきり口にする作家が現れる。

ギュスターヴ・クールベ 1866 眠り

 ギュスターヴ・クールベがそうだけど、彼の作品の『白い靴下』や『世界の起源』(画像検索してみよう!)なんかはもうドエロ。西洋の作家が、お互いに示し合わせて言わないよう言わないよう……にしていたものを、クールベは空気を読まず、「お前らが本当に見たいものはこれだろ」と出してしまった。
 かといって、クールベは性を軽々しく扱って描いていたいわけではない。性そのものへの尊重はちゃんとあっただろう。例えば『世界の起源』はド直球に女性器を描いた作品だが、描写は見事なもの。性だから「低俗」と貶めるのではなく、むしろちゃんとスタンダードなアートな世界に引き上げて描こうという意識が見て取れる。クールベなりの「性的なもの」への敬意の示し方だったのではないか。

 日本人が今も昔も気付いていないことは、西洋にはこういう建前と本音があって、口ではあーだこーだと言うけれども、実は裏で「例外」をいくつも出していること。そういう例外のところで、普段の抑圧を発散させている。
 芸術の世界はどうしてあんなに女の裸ばかりなのだろう……それは裸を見たいからでしかない。西洋では裸がタブーで、徹底的に隠すようにしている。結婚してから初めて女性の恥毛を見て腰を抜かす……みたいな童貞丸出しな話もあるくらいだ。でも本当は西洋人だって裸が見たい、オッパイが見たい、恥毛が見たい……その抑圧を部分的に解放していたのが芸術だ。でもあけすけに言うとタブーを犯すことになるから、描くほうも鑑賞するほうも、そういうものだとは言わない。
 ポルノに関する話でも、西洋は日本に対し「日本はポルノで溢れている! けしからん!」とか言っているが、西洋の本屋に行けばふつうにエロ本は売っている。しかも無修正だ。
 西洋人はこういうとき、嘘を言う。あたかも西洋にはポルノはございません、小さな女の子に欲情する人はいません、そういう変態は日本人だけですよ~……全部嘘。ぜんぶ建前。ヨーロッパ人が日本を性文化を「けしからん!」と批判するとき、平気で嘘をつく。西洋にもポルノは山のようにあるし、西洋のほうが性犯罪も多いし、子供への性被害などは圧倒的に多い。「ロリコンは日本人に多い」というのも嘘。西洋人だってド変態が一杯いる。日本人が聞くとドン引きするような変態だらけ。そういうのを棚に上げて、西洋人は日本のアニメを「hentai」なんて呼んでいやがる。日本人は西洋のことを知らないから、ヨーロッパ人が口先で言う嘘を頭から信じ、ヨーロッパ人の言うとおりの制度や価値観を作ろうとしてしまった。ヨーロッパ人が口先で言うことは本当なのかどうかは一つ一つ検証したほうがいい。

 でも日本人は、本当だと思い込んだ。ヨーロッパ人が「建前」で言う「けしからん!」を真に受けてしまった。そしてヨーロッパ人の言う建前のとおり社会制度や倫理意識を作ろうとした。そこでなにやらおかしなことになっていく。

 例えばこちら。Durex社というところが発表している『世界各国セックス頻度と性生活満足度』という調査。日本のセックス満足度・頻度は……ちょっと笑っちゃうような位置にある。26カ国中最下位。ぶっちぎりの最下位だ。年間の平均回数だけを見ても、25位の半分。日本人はぜんぜん「セックスしない民族」になってしまった。調査対象が26カ国だけだが、これを100や200に拡大しても、日本は最下位だろう。
 テレビマスコミの世界に行くと、“最近”は「若者の性の乱れ」が問題だ、「性の低年齢化」が問題だぁ~と繰り返し繰り返し語る。私の子供の頃からそういう話がずーっと言われてきたけど、世界的な統計を見るとこうだ。実際にはぜんぜんセックスしていない。日本国内のデータを見ても、「童貞率・処女率」の割合は増えていて、そもそもセックスの機会にすらありつけない男女がものすごい一杯いる。そういうデータがあるのにもかかわらず、日本のマスコミはバカだから「若者の性が乱れている!」「性の低年齢化が問題だ!」といまだに叫び続けている。そんなデータ、どこにも存在しないのに! マスコミは黙ってろ。そして現実を見ろ。世間の表側で言われていることの、逆が現実だ。
(やめよう、新聞・テレビで見たものを根拠に社会を論じること。新聞・テレビマスコミは平気で嘘データを出してきますから。日本のマスコミ以外のきちんとした調査会社が作ったデータを探すようにしよう)

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