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乃木藩、奔る~梅の季節~

この物語はフィクションです


小さな茶室は静寂に包まれていた。
釜から沸く湯の音、雀の鳴く声、茶筅と茶碗が奏でる旋律。
それらは静寂に楽しみを与えてくれるばかりで邪魔になることはない。
風にのって咲いたばかりの梅がほんのりと薫る。
穏やかさに包まれたその空間がさくらは好きだった。
口の中には先ほど食べた干し柿の甘みが広がっている。
茶頭の美緒から茶碗が差し出された。手に包むと温かみを感じる。
口に含めば、濃茶の苦みが甘さを押し流していった。
「うげ」
「あーたね、それぐらい我慢して飲みなさいよ」
さくらに倣って茶を飲んだ瑠奈から苦悶の声が漏れると美緒が喝を入れた。さくらはただそれを微笑ましく見ている。
「ただでさえさくちゃんと回し飲みなんて近習じゃなきゃ許してないわよ」
「美緒ちゃん、もうその辺にしてね」
やさしくたしなめると美緒は照れたように頭を掻いた。

男のみが罹るという奇異の病・惨火ざんび病が広がってから数十年が経つ。
秋葉幕府も病に打つ手がなく、徐々に権威権力を失い始めていた。
そんな中、乃木藩・櫻藩・日向ひなた藩の三藩は英邁な女性を藩主に迎え、発言力を高めていった。
遠藤さくらは尾張にある小藩の藩主の娘である。幸いにも父も兄も病を克服し、藩の行く末は兄が担うことになった。さくらは妹として慎ましく兄を支えていくはずであった。
ある日、さくらが領民に餅を配っていると、そこを輿が通った。輿はさくらの目の前で止まり、細身の女性が降りてきた。顔も小さく、背もさくらよりは小さい。それでも不思議な威容は持っていた。
その女性は餅を所望した。さくらは断った。
「民の皆さんのための餅なんです」
女性は口元だけを和らげ、そう、とだけ言って輿に戻っていった。
城に帰ると父が難しい顔をしていた。例の女性は乃木藩の藩主・飛鳥らしい。その飛鳥が城を訪れ、父に事情を伝えていた。
さくらは少しの正義感から失礼な振る舞いをしてしまったかもしれないと後悔した。しかし、父が困惑していることは違うことだった。
さくらは乃木藩の藩主に招かれることになった。

「飛鳥様はどうして私を」
「いまだに言いますか、それを」
瑠奈は呆れたように言った。それを聞いて美緒が睨んでいる。いつものことだった。瑠奈にしても美緒にしても近しいものに余計な気を使わせないようにしていた。直言を封じるような主にはなりたくなかった。
飛鳥はさくらに藩主の座を譲り、山中に庵を結んで隠棲した。新たにさくらの家臣となったものたちはさくらにおもねるでも無視するでもなく、さくらの居心地よい空間を作ってくれた。それが何よりありがたかった。今は藩のために何ができるか考えるだけでよかった。
それでもさくらには当主としての自信はない。それを表す言葉がふいに口をついて出てしまう。近臣にはそれを注意してもらうことにしていた。瑠奈はその一人である。
「平和ですねぇ」
しばらくの静寂を打ち破ったのは美緒の言葉だった。
「ずっとこのままでいいよ」
さくらの言葉に二人がうなずく。
鳥が鳴いている。ウグイスだろうか。
もうすぐ春だった。

乃木城大広間、畳が敷き詰められただけで華美な装飾はほとんどない。
美波は筆頭家老になって初めての合議を終え、その長い脚を投げ出して寝転んでいた。真夏から筆頭家老の職を譲られてより緊張の続く日々である。たまにはこれぐらい許されるだろう。
「いいんですか、そんなだらしないところ見せちゃって」
「真佑か」
田村真佑は賀喜遥香とともに若年寄としてさくらを支えている。性格はとかく温和で面倒見がよく、誰とでも公平に接している。美波のこともそれとなく補佐してくれるありがたい存在だった。
「やっぱりまつりごとって苦手だ」
「筆頭家老様がそう言われますか」
「奉行所で悪人をひっとらえてる方が楽だったよ」
それを聞くなり真佑はくすくすと笑った。
南北の奉行所で奉公していた梅澤美波、山下美月、久保史緒里が現在では三家老として乃木藩を支えていた。筆頭家老の座は桜井玲香、秋元真夏と渡ってきたが、さくらが藩主になったのに合わせて、美波が筆頭になったばかりだった。真夏を支えてきた経験はあれど、いざ自分がその立場に立てば勝手は違うというもの、心身ともに疲れ果てていた。
「やっぱり自分には剣を振ってる方が合うわ」
「そう言われずに。お茶でも入れてきますね」
人影が見えたからか、気を利かせて真佑が退出した。
訪ねてきたのは楓だった。話す言葉は朴訥としているが、武術も頭脳にも優れていて頼りにしていた。今は情報収集や伝達の仕事をしてもらっている。彼女を手伝う集団は伝衆でんしゅうと呼ばれていた。
「何か知らせでも入ったの?」
「都から」
都には史緒里がいて公家衆との縁を繋いでもらっていた。難しい役回りではあるが、史緒里が礼節を欠くということはまずないだろう。
「生田宮内大輔くないのたいふ様とお会いできたって」
「それはよかった」
生田家とは長らくの親交を結んできた。こちらが代替わりしても変わらず乃木藩を贔屓にしてくれるとすれば心強い。史緒里から届いた書状には現当主が南蛮の品に興味があるとも書かれていた。
「楓、また仕事を頼んでもいいか?」
「長崎には何日かで着けるようにはしてるよ」
「手紙はこっちで書いておくからよろしく」
こちらが何を考えているか理解しながら話してくれる。それだけで話の差し障りもなくなっていくものだ。楓はそれができる数少ない一人だった。
「楓さんがいらっしゃってたんですね。お茶入れてきました」
そう言いながら真佑が入ってきた。手には三つの茶碗が載せられた盆がある。楓の分まで抜け目なく用意している。この気配りあればこそ、誰とでも上手くやっていけるのだろう。
美波に続き楓が茶碗を持とうとした。
「ああ」
楓からおかしな声が出た。手元が狂って盆に茶をこぼしてしまったようだ。
武芸では正確な技を見せるというのに以前からこういうことをよくやる。
「ったく、布巾ぐらい自分で取りに行ってよ。って、苦いなこのお茶」
「あら、そうですか?」
「お抹茶、どれだけいれたんだ」
「えっと、ささっとこう」
といって、真佑は棗から直接茶碗に入れる仕草を見せる。真佑の目分量は危なっかしいと聞いたことがあるが、どうやら本当らしい。
すっかり日も暮れてきて、外ではカラスも鳴いている。
「大丈夫、だよね」
自分のため息が聞こえた。
藩の行く末に少し自信が持てなくなる美波であった。

人、人、人。
街は活気と喧騒に包まれている。港には海の外の国からやってくる船が泊まっていて汽笛が威圧するように鳴り響いていた。
そういう喧騒を、悠理は身を縮ませてやりすごそうとしていた。
本の束を抱きしめて、人の間を縫うように進んでいく。
本の中身は悠理が書き溜めた日誌だった。
これを送って藩に報告する。悠理が任された仕事はそんなことだ。
悠理は外の国に留学した経験を買われて、乃木藩の外国奉行になっていた。赴任した地は長崎、幕府が開港を認めた港がある。長らく外国との窓口を開いてこなかったこの国において、異色の街並みがそこには広がっていた。
『よう、姉ちゃん、時間あるかい?』
『へっ、何言ってんのかこいつには理解できないさ』
片方の男は青色の目に金髪、もう一人は褐色の瞳に同じような色の髪、いずれも白い肌を昼から飲んだ酒で赤く染めた男たちが、悠理に絡んできた。むろん、話す言葉は日本のものではない。
『時間がありませんので、失礼します』
悠理がにべもなく断ると、外国の言葉を知らないと高をくくっていたのだろう、男たちはあっけにとられた顔をしていたが、面白がったのか少し屈辱的に思ったのか、余計に距離を詰めてきた。
『俺たちの誘いを断れるとでも思っているのかい?』
『まあいいさ、今から開いている酒場はどっちだっけかな』
悠理は肩をしっかりとつかまれており、身動きが取れない。周りの大衆は少し距離を置くようにして面倒事に関わらないようにしていた。悠理は一層心細くなって、ますます身体を小さくする。
『離して、ください』
男たちは酒臭い息が当たる距離まで顔を近づけてきた。好奇の目が悠理を捉えて離さない。と、男たちの顔がふいに歪んだ。
『紳士なら女の子が嫌がることはしない。そんなことも分かんないの?』
男たちは耳をつままれ悠理から引き剝がされた。
『うるせえ、女は黙ってろ』
『あら、こんな往来で女の子に暴力?呆れた』
「ちょっとレイちゃん、外の言葉じゃ私分からないんだけど」
清宮レイと松尾美佑。悠理と同じように藩から長崎へ行くように命ぜられた二人は、腕っぷしには自信があり、それとなく悠理の護衛をしてくれていた。男たちが繰り出す拳を軽くよけながら、いつものように丁々発止のやり取りを続けていた。
「まあ、松尾には後で教えてあげるよ」
「え、なにその上から見る感じ」
「二人とも前を見ないと危ないです」
「悠理ちゃんこそ危ないから下がってて」
悠理の指摘もどこ吹く風で、いなすようにして男たちの猛襲をあしらっていく。二人とも刀を持ち合わせてはいるが、この往来で抜刀は憚られるものがある。しばらくの後、男たちの息があがってきた。
『くそっ』
褐色の髪の男が強引に美佑に迫ってきた。美佑はすれ違いざま、ひざをみぞおちに入れる。男はもだえ苦しみながら路上に転がった。
『へっ、これで終わりだ』
「やばっ」
金髪の男が胸元を探り何かを取り出そうとした。レイはそれを鋭敏に感じ取り、男の元に突進する。突きつけられた男の腕を真上にあげると、路上に轟音が鳴り響いた。あちこちから悲鳴があがる。
「うりゃ」
レイは掴んだ腕を勢いのまま肩越しに背負うようにして振り下ろした。地面にたたきつけられた男はうめき声をあげてのびてしまった。
そこここから喝采があがる。
「いやー、照れますなあ」
「ふう、さっさとこいつらを奉行さんに渡してきましょ」
歓声に応えるレイとは対照的に美佑は意に介していないように淡々と男たちを縄でしばっている。本当に照れているのは美佑の方なのかもしれない。
「悠理ちゃんもあまり一人では出歩かないようにね」
「あ、ごめんなさい」
悠理自身はそう思ってはいないのだが、威厳というものが足りていないらしい。以前から、このように手を出されることが少なからずあった。二人とも快く護衛についてくれるとは言ってくれるものの、いつも声をかけるのも申し訳ないので、悠理は一人で出歩いてしまうのだった。
そうこうしているうちに、騒ぎを聞きつけた長崎奉行の手の者が、男たちを引き連れていった。男二人は恥に堪えかね、うつむいたまま歩いていった。
「それで、悠理ちゃんはそれを港まで運ぶんでしょ?」
「そうでした。お二人ともお供をお願いします」
「いいよ、そんな改まって」
二人は、藩への書と一緒に何を送るか話し始めた。
甘いお菓子、ビードロや螺鈿の美しい細工。二人の話は弾んでいく。
楽しい話に、悠理は空に友の顔が浮かべた。
この空は友の見ている空と繋がっているのだろうか。
その思いをのせているのか、海鳥が飛んでいく。





読んでいただきありがとうございます。
細々と続けていければと思います。

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