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ドラマ「大豆田とわ子と三人の元夫」【第4話の感想/分析】 ひとりだと渡れない横断歩道をふたりなら渡れる理由

大豆田とわ子と親友のかごめは小学生の頃からの幼なじみで、ふたりでマンガを共作していたという。ふたりは“空野みじん子”という共同ペンネームを名乗っていて、りぼんを愛読し、一条ゆかり先生や岡田あーみん先生に憧れていた。
ふたりが40歳前後だとして10歳の頃のエピソードだとすると、1991年前後、つまりそれは“りぼんの黄金時代”にあたる。なつかしき90年代のりぼん。一条ゆかりはもうその時点ですでに大御所感があって「有閑倶楽部」は他のマンガとは一線を画した空気感をかもしだしていたし、岡田あーみんは怪作「お父さんは心配症」を土台にさらに問題作「こいつら100%伝説」を連載しはじめた頃だ。その頃のりぼんには「ハンサムな彼女」や「姫ちゃんのリボン」や「ちびまる子ちゃん」や「天使なんかじゃない」といった今や伝説的作品群も現役で連載されていた頃で、日本中にりぼんに憧れて“わたしもマンガ家になりたい”とペンをとった少女たちがたくさんいて、とわ子とかごめ、彼女たちもその中のひとりだったのだ。特別な才能や非凡な感性ではない。『なかよし』でも『ちゃお』でもなく『りぼん』を愛読する、その時代の平均的で標準的な少女たちだったということがここからはわかる。
(ただし尊敬する先生として柊あおいや吉住渉の名前をあげてしまっていたら“恋愛至上主義者”すぎてかごめのキャラに合わなくなってしまってたから、一条ゆかりを挙げるところは絶妙で、やや非凡だ)

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そんな共同ペンネームを使っていたような一心同体だったふたりが、平均的で標準的とは言えそうにない人生をそれぞれに歩んでいて、ひとりは3回結婚したうえに3回離婚して社長になってるし、もうひとりは1回も結婚していないし働いてさえいないが指名手配はされたことがある。まさに“マンガのような人生”だが、しかし日常風景をのぞいている限りは、いたって平凡でどこにでもいる女の子たちのままで、ささいな出来事に一喜一憂したりしながら暮らしている。(店先で何コロッケにしようか迷ったりしながら)

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かごめの視線を通して見てみると、このドラマの登場人物たちは比較的“仕事のできる人たちの物語”であるのがわかる。大豆田とわ子は社長業をこなしているし、1人目の夫の田中八作はレストランオーナー、2人目の夫の佐藤鹿太郎は有名ファッションカメラマン、3人目の夫の中村慎森は企業の顧問弁護士をやっているし、かごめに好意をしめしてくれた五条さんはオーケストラ指揮者だという。とわ子の父親は(選挙には落ちてるようだが)政治家だったり、娘は(勉強やめた宣言したばかりだが)医学部を目指していたりする。みんなそれなりにいい部屋に住んで、いいものを食べている。仕事のシーンではうまくいかなかったり苦戦はしたりはあるものの、いろんな職場でいろんな人間関係に揉まれながらもどうにかやりこなしている。渡来かごめにはそれができない。

わたしにはルールがわからないの。
みんなが当たり前にできていることができない。
私から見たら全員、山だよ。
山、山、山、山。
山に囲まれてるの。

前回の第3話では大豆田とわ子が悩む社長業の孤独さが描かれたが、たしかにそれでも、とわ子は体当たりで真摯に社員たちに向き合って、提案したり反対したりしながら、本人は陰ながらに傷つきながらも、それなりに周りから慕われながらやりこなしている。とわ子はルールをつかんでいる。放り出したり逃げ出したりしたら負けだとわかっている。

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あなたみたいな人がいるってだけで、
「あ、私も社長になれる」って
小さな子がイメージできるんだよ。
いるといないとじゃ大違い。
それはあなたがやらないといけない仕事なの。

小さな子?
小さな子に限らず、とわ子が“まわりの人たちに勇気やイメージを与える存在である”のは確かなようだ。
とわ子と出会ってから、鹿太郎はパパラッチだったのにファッションカメラマンへと出世したし、慎森は試験に落ち続けていた弁護士資格をついにとることができた。とわ子にはそういう影響力があるようだ。
“小さな子”という比喩は、かごめ自身のことなのかもしれない。
どちらに進んでいいのか皆目見当もつかないかごめもかごめなりに、とわ子が社長業をやりはじめたことに勇気づけられて、あらためてペンを手に取ったのかもしれない。もう一度描いてみようと思えたのかもしれない。

 ◇◆

大豆田とわ子も「今夜だけ手伝わせて」と一緒にマンガを描き始める。かごめは、“信号のない横断歩道”をひとりでうまく渡れない。いつ渡っていいのかタイミングがつかめないのだという。それで、小学生の頃と同じように、とわ子はかごめと手をギュッと繋ぎ、ふたりで横断歩道を渡る。
かごめは救われるが、実はきっととわ子も救われている。とわ子はひとりきりでも横断歩道を渡れるが、ひとりなら渡らなくてもいいかとたぶん思ってしまう。ふたりだから渡る。だれか渡りたい人がいてくれるから一緒に渡る。

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脚本家坂元裕二の最近の映画作品『花束みたいな恋をした』の中にも横断歩道が象徴的に出てくる。恋が始まる時、そして終わる時に、カップルたちはその横断歩道を渡ったのが印象的だった。
横断歩道はこの脚本家にとってそういう場所なのだと見ていいのかもしれない。
再び、30年ぶりに、ふたりでマンガを描いた。
ここから何かを始めるために。

(おわり)
※他の回の感想分析はこちら↓


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