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【短編小説】氷と炎の国より贈り物を

グレイリヨール!(アイスランド語でメリークリスマスの意)
常夜の国の大烏がアイスランドの知り合いに会いに行く話。下記の話と同じ世界線ですが、読まなくても読めます。

 色の薄い、寒々しい空を一羽の大烏が飛んでいた。
 広げた翼は掃き出し窓の端から端まで届きそうなほど大きい。羽ばたきの音は他の烏とは比べ物にならないほど力強く、漆黒の翼は尾羽の先端まで手入れがいきとどいていた。しかしその吸いこまれそうな黒に包まれた巨躯は、見る者にどこか不吉な印象を与える。もっとも彼は誰が自分を恐れようが、気にもとめなかった。むしろ、自分を見て怖がる人間たちを面白がってさえいた。
 烏は自慢の翼を器用に操り、少しでも気を抜けば体がかしぐほどの強風の中を悠々とかけていく。
 眼下に広がるのは不毛の荒野、海に浮かぶ氷塊、巨大な氷河、湯気噴きあがる泥沼、そして雪化粧をほどこした山々。
 アイスランド。氷河と火山、対極に位置する二つが共存する、自然の神秘あふれる国だ。
 烏は島を捉えると、夜色の瞳をきらりと輝かせ、一気に急降下し始めた。切り立った崖を通り抜け、磨かれた青い氷の洞窟にも目をくれず、白と灰の寂しい岩山を超えていく。
 空はせわしなく変わり、雪を降らしては止み、曇天を見せたかと思えば、青空を覗かせた。
 大烏は翼の先で枝をいたずらに掠めては、つららを落とす。水晶のように透明な柱は滑らかな表面に周囲の景色をくるくると描きながら、音をたてて落下していった。それをにやっと一瞥して、烏は銀世界を駆け抜けていく。
 やがて烏は大きな池を抱く物寂しい荒野に出た。池は完全に凍ってこそいないものの、溶岩でできた真っ黒な岩々はすっかり純白に覆われてしまっている。
 と、烏はふいにつっと右に舵をとり、台地にぽっかり空いた洞穴に向かって、一直線に飛びこんだ。

「よう、ヨーラコットゥリン。今年は恐ろしい人喰い猫様もお休みかい?」「なんだお前か、常夜の国の羽もじゃ野郎。死を予知する役目はどうした。ついにクビにでもされたのか」

 鬱陶しげに尾を揺らしたのは大きな黒猫だった。その体は人の何倍も大きく、アーモンド型の瞳は妖しげにギラギラ光り、大きく裂けた口から覗く鋭い歯には何かの肉片がこびりついていた。
 烏は黒猫の憎まれ口にも羽を逆立てることなく、ついた雪を丁寧にくちばしで落とした。そして風が吹きこんでこない、居心地のよさそうな場所に腰を下ろした。

「お前さんの飼い主はどうしたね? あの恐ろしい女将は。え? 子どもを食べに山を下りたかね?」
「グリーラなら鍋の食材を求めて外に出た。最近の子どもは行儀よくてな、易々と捕まえられんと嘆いていたよ。この調子じゃ、今年も鍋は肉なしか、トナカイどもの肉だな。ぐうたらのレパルディは使えんしな」

 しわがれた声で黒猫は答えた。
 グリーラというのはこの黒猫を飼っている山姥やまんばで、レパルディはその夫である。グリーラもこの猫同様、人間を食べるのが大好きなのだ。この洞窟の奥にある大鍋で、捕まえてきた素行の悪い子どもたちをぐらぐら煮るのが特にお気に入りだ。

「へえ、そうかい。じゃ、クリスマスタウンのエルフどもに協力を求めたらどうだい? 奴らなら、世界中の子どもたちの情報を集めている。悪い子なんて一発でわかるだろうよ」
「その子どもがアイスランドにいなきゃ意味がない。第一、クリスマスタウンまでどうやって行けと言うんだ。どこぞの赤鼻トナカイみたいに空を飛べというのか? それともお前にはこの俺の背中に、お前のようなごりっぱな翼が見えるって?」

 ふん、と黒猫は鼻を鳴らした。

「俺なんてもっと悲惨さ。みすぼらしい、ヨレヨレの服を着ていりゃあ、ぱくっと丸のみしてやるのに、この頃はどいつもこいつもピカピカの一張羅で着飾るもんだから、俺好みの人間がいやしない。おかげでもう何年も人間の肉にありつけていないんだぜ。ああ、もう余所者でいいから、使い古した服で街中を歩き回ってくれる奴はいないもんかねえ」
「そりゃかわいそうに」

 ちっとも思ってない顔で烏は肩をすくめた。

「けどまあ、久しぶりにこの国を訪れてみたら、すごい変わりようだ。特にグリーラの息子ども。あいつら一体いつの間にサンタクロースまがいのことをするようになったんだい?」

 グリーラの息子は十三人おり、それぞれが二十四日まで一日一人ずつ下りていく。街にやってきた彼らは、家々を訪れてはさまざまないたずらをしていくのだ。たとえば家に忍びこんで料理に使われたお玉を舐める奴や、ドアを勢いよく閉めて安眠妨害をする奴、大切なソーセージや肉を泥棒する奴もいる。
 ところが、それがいつしか良い子には、窓に置かれた靴下の中にプレゼントを置くようになったのだ。ただし、悪い子には腐ったジャガイモを投げ入れることから、今もいたずら小僧であった頃の片鱗が垣間見える。
 黒猫は組んだ前足の上に顎を乗せて、はあとため息をついた。

「知らねえよ。子どもたちが喜ぶ顔を見るのも楽しくなってきたなんてほざいていたぜ。いたずらをしている間に、何をみたのかなんて興味もないがな」
「おや、そんなことを言うわりにはしっかり聞き耳をたてているじゃないか」
「黙れ、小賢しい猛禽のなりそこないめ。人間の代わりにお前を食ってやろうか」

 ひゅっと前足が飛ぶ。しかし凶悪な爪が肉に突き刺さるより前に、烏は身を翻して安全な場所へ逃げていた。

「おお、怖い怖い。まったく常夜の国の連中だって、何の前触れもなく攻撃なんてしないというのに。グリーラは一体どんな躾をしているんだい」

 先ほどよりも一メートルほど離れた場所で、烏はぴょんぴょんと飛び跳ねた。

「で、お前は何しにここに来た。まさかおしゃべりをしに来たとは言うまいな」
「おや、優しい私が旧友に会いに来たとは思わないのかね?」
「寝言は寝て言え。それか雪に惑って火口に突っこめ」

 口汚く罵る黒猫を横目に、烏はのんびりと羽づくろいをし始めた。

「ま、私の仕事のついでさ。この時期は事故が多いからね。まあ、この国のクリスマスを見物しに来たっていうのもあるが。この国のクリスマスはとてもユニークだからね」

 この国のクリスマスシーズンは長い。グリーラの息子たちが一人ずつ街におりてくるところから始まり、最後の一人が引き上げるまでがシーズンの期間だが、なにせ最初の一人が街に下りてくるのが十二日、二十四日に全員が集まって、そこからまた一日に一人ずつ帰っていくものだから終わるのは年も明けた一月六日だ。
 じろりと黒猫は烏を睨みつける。

「それが本音だろう。まったく毎日遊びほうけていいご身分だ」
「お前には言われたくないよ。お前なんてこの時期、新しい服をもらえなかった哀れな人間を食べる以外は、他の家猫と大して変わらない生活を送っているじゃないか」
「それが猫ってもんさ」

 ふっと口の片端をつり上げて、猫は髭を揺らした。

「それに私はちゃんと仕事している。大体ね、いつも陰鬱なあの国にいたら、こっちまで気が滅入るってもんだ。この時期くらい、華やかな空気を吸いに外に出たっていいじゃないか」
「そういうわりにはいつも気ままに飛び回っている気がするがな」
「さあね。気のせいじゃないかい」

 うろんな目で黒猫が見つめてくるが、烏は知らぬ振りをした。

「はあ、まあいい。グリーラが帰ってくる前に、とっとと立ち去れ。気分によっちゃあ、今夜の具はお前だぞ」
「そうするよ。さすがに命は惜しいからね」

 最近は良い子が多いらしいから、きっと今年もグリーラの「買い出し」は芳しくないだろう。腹立ちまぎれに長い手足を振り回されれば、いくら翼があったとしても逃げ切れるかどうかあやしいところだ。
 既に入口から覗く空には夜の気配が忍び寄ってきている。この国は特に日が短い。ぼんやりしていれば、あっという間に帳がおりてしまうだろう。

「じゃあ私は行くよ。グレイリヨール」

 ぴんと糸を張ったような冬の空へ再び繰り出す。視界の端に映った黒猫は、こちらを見向きもせずに、優雅に毛づくろいをし始めていた。


 街はすっかり浮き立った空気に包まれていた。薄闇の中に電飾がきらきら、ぴかぴかと輝いている。家々の窓には靴下がつるされ、国会議事堂の前には人間の何倍もある、立派なクリスマスツリーが電球のドレスを身にまとっていた。
 いつもよりも遅くまで開いている店には駆けこみでプレゼントを包装してもらう者がおり、広場では仲睦まじく手を絡めあう二人や新品の手袋をはめてはしゃぐ子どもがあちらこちらで見受けられる。
 吐く息が白くとも、暖かな人々の営みがそこにあった。
 こんな時期に命を落とす奴はなんて不幸なのだろう。いや、こんな幸せな空気の中死ねるのだから幸運なのだろうか。まあ知ったことではない。自分は己の使命を果たすまでのこと。
 夜風を切って進むうちに、烏の良い目は街角に蠢く小さな影をとらえた。それは見覚えのある後ろ姿だ。
 烏はにやりと笑うと、急転回してきれいに頭頂だけはげた頭めがけて突っこんだ。

「よう、ケトロウクル。肉を盗みに街におりたのかい? それにしてはずいぶん大荷物じゃないか」

 頭上から迫る不穏な気配を察し、咄嗟に鋭い爪から難を逃れた男は、醜い皺だらけの顔をさらに歪めて唾を飛ばした。

「何かと思えばおめえか、クソガラス! わかってんならどっか行け。俺は今忙しいんだ」
「おや? 肉にしては丁寧に飾りつけられているね?」

 しっしと振り払う手をかいくぐって、背負っている袋をつっつく。たちまち開いた口から、ぽろぽろと包みが落ちた。どれも汚れ一つないリボンや模様の入った包み紙で着飾っていて、誰が見ても贈り物の類であることは明らかだった。
 男はさっと顔色を変え、慌てて散らばった包みを集める。何度も何度も角度を変えて包みを回して、汚れがついていないことを確認し、ようやく安堵の息をついた。

「おいふざけてんじゃねえ! 傷がついたらどうするつもりだ!」

 ぎろりと睨みつける顔はまさに悪鬼のように恐ろしい。母親譲りの凶悪な面立ちは、気の小さい者ならすぐさま尻尾を巻いて逃げ帰りそうだ。
 烏は肩をすくめて、むき出しのコンクリートの階段の上にちょこんと乗った。

「プレゼントを落としてしまったのは悪かったよ。ちょっとからかおうとしただけで、傷つけるつもりはなかったんだ。で? それは誰にあげるつもりなんだい? まさか自分用とは言うまいね?」

 怒りで真っ赤に染まった顔は、全く別の感情でさらに赤みを増した。

「い、いや、これはお、俺のだ。決してガキ共にあげるとか、そういうわけじゃないぜ」
「へえ、そうかい? ずいぶんきれいに包装されているが、よっぽど高級なラム肉なんだね」
「そ、そうだろう。さっきこれでくすねてきた上物だぜ」

 腰元にくくりつけたフックを見せびらかしながら、ケトロウクルは胸を張った。だが烏は鼻で笑っただけであった。

「なるほどねえ。そんなに上物なラム肉なら是非ともご相伴にあずかりたいもんだ。……ところで、なんでそんな高級なラム肉が本屋の包装紙に包まれているんだい?」

 ケトロウクルの頬はもはや窓から漏れる僅かな光しか光源がない中でもはっきりわかるほど紅潮していた。

「そ、それはだな」
「それに、肉の形にしちゃ妙じゃないかい? まるで窓ガラスみたいに角ばっているじゃないか。私の知る肉の形はもっと丸みがあったはずだけど……。ここじゃ四角に切り取るのが最近の流行りなのかい?」

 烏は俯いた顔を覗きこむように首を傾ける。ケトロウクルは小刻みに体を震わせていたが、ふいに顔を上げるとやけくそのように叫んだ。

「う、うるせえ! ああ、そうだよ! これは今夜渡すガキ共用のプレゼントだよ! 俺が持っていちゃ悪いか!」
「いやいや、別に私は何も悪いなんて言っていないじゃないか。ただ、昔は肉を盗むことに精を出していた君がねえ。今ではサンタクロースの真似事までするようになったのか。時代も変わったもんだ」

 わざと大仰に頷いてみせると、ケトロウクルは顔をそむけた。

「……ふん、時代は変わるもんさ。今どきお行儀いい奴ばっかりで、いたずらのしがいもないってもんよ。だったら老いぼれジジイの代わりに仕事やっていたほうが、まだいくらかマシだ」

 お袋も悪い子どもがいなくて機嫌悪いしなあ、とつぶやくその耳は赤みが残っている。

「そうかい。いやはやアイスランド中の人間が手を焼いた困り者が、子どもたちの笑顔のために働くとはいい時代になったもんだ。君こそサンタクロースにプレゼントをもらったほうがいいかもね」
「けっ、いらねえよそんなもん」

 唾を吐いて、ケトロウクルは袋を背負い直した。

「ま、本当にお前に構っている暇はねえんだ。兄弟たちと手分けしたって回るかどうかギリギリなんだからな」
「おや、君たちは一人ずつ街におりてくるんだろう? 君のように最後のほうならともかく、最初におりる者はそんな重い荷物背負って、街中歩き回るなんて疲れるだろうに」

 ケトロウクルが持っている袋は頑丈で、口の寸前までぎっしり詰まっている。これを背負ってアイスランド中を駆け回るのは骨が折れるだろう。

「そりゃ、もっと簡単なプレゼントにするのさ。俺だって毎年こんなに重いプレゼントは用意しねえ。今年はたまたまちっとばかし豪華だっただけさ。それに俺たちの基準は厳しいんだ。お袋の手を免れても、俺たちの目にかなうガキは早々いないんだぜ」

 豊かにたくわえた顎ひげから欠けた歯がのぞいた。

「おめえも仕事か? こんな日にご苦労なこった」
「まったくだよ。何もこんな日に私の仕事を増やしてくれなくたってよかったのにねえ。まあすぐ済むから、終わったらこの空気を楽しませてもらおうと思っているけど」

 本日は夜遅くまで店が開いているし、浮かれた人間たちからおこぼれがもらえるかもしれない。ほんの少しばかり羊肉の切れ端やら葉っぱの模様が刻まれたパンやらを拝借しても、誰も怒るまい。

「そりゃあいい。今日は一番盛り上がる日だからな。世界中を見渡しても、こんなに美しいクリスマスは見られないぜ」
「世界一かはわからないけどね」
「おい、そりゃあねえだろう。世界中どこを探したって、こんなにユニークで、楽しいクリスマスなんてありゃしないぜ」

 ケトロウクルは眉を跳ね上げて言い募った。

「ユニークなのは認めるがね、どこだってクリスマスは楽しいさ。一番は決められないね」
「それもそうか。俺はこの国以外知らねえがな。おっと、余計な道草食っちまったぜ。俺は忙しいんだ。あばよ。グレイリヨール!」

 片手を上げてケトロウクルは足早に去っていった。あっという間にその背は雑踏に紛れて消えていく。

「雪道をよくあんな早足で歩けるもんだ。転ばないのかね」

 ほう、と息をついた烏は改めて背筋を伸ばした。

「さてと、私も仕事さっさと終わらせてクリスマスを迎えようとするかね」

 烏はすっかり己の体色になった空へと飛び立った。
 天のビロードの絨毯には美しい緑の帯がリボンのようにひらひらとたなびいていた。


ヨーラコットゥリン:クリスマスに新しい服をもらわなかった人間を食べてしまう恐ろしい人喰い猫。グリーラの飼い猫。
ケトロウクル:グリーラの息子の一人。12月23日にやってきて、フックを使って肉を盗む。


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